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私たちはなぜ働かないといけないのか? 他

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1.贈与の経済について

贈与とは?
•お世話になってる友達にギフトを渡す
•お世話になってる人にいい観光地やお店を紹介する(情報を分け与える)
•ブログ読んでくれる人に会いに行く
とか

結論


贈与の経済がうまく回っていると人間関係がうまくいく。
資本主義は富を増幅させていくが、
贈与の経済は『信頼関係、安心感』を強くしていく。

上記について説明
貨幣経済が登場する前から、人間のコミュニティには贈与のメカニズムがあった。
レヴィ=ストロースが着目した、未開の部族の「近親婚をしない」というルールは、
妹や娘を他の部族に娶らせ、他集団から妻を迎えることで同盟関係を作り、交流を持続させる。
いわば贈与は合理的な社会的メカニズムだった。

資本主義経済は、サービスの報酬としてお金を払って、はい終わり、的な側面があり、
贈与の経済は、交流を持続させる。
ここに着目すると、さまざまなヒントが得られる。

現代において贈与に着目すると、なにもお土産や情報提供だけが贈与ではない。
SNSが発達しており『いいね』も報酬なので、贈与のシステムに組み込まれている。

贈与がうまく回っていない人間関係はうまくいかない。
友達、恋人、家族全てそうだ。

そのためか、
・恩返し
・恩送り
・ペイフォワード
・報恩(中国語)
・御恩と奉公(封建社会の概念)
という概念が存在する。これらは言葉から感じるニュアンスが異なるだけで、本質は全部が同じ。

そして、信頼関係の破綻には、◯◯してあげたのに、◯◯してくれないという不均衡が主な要因であることに、皆が気づいている。

それについて、非常に参考になる概念を以下に示す。

'贈与は、私が誰かに『与える』と意識した瞬間に、計算可能な交換となる'
(今村仁司『交易する人間』)

つまり、贈与する際に相手からの見返りを意識すると、
それは単なる計算高い交換行為になり、偽善だと呼ばれることがある。
一方で、先行する贈与に対する返礼は、"恩に報いる"、"忠義を尽くす"と呼ばれる。
しかし、利益を得るための先行投資は、『媚を売る』と呼ばれ、同じ行為でも異なる言葉で表現される。

ようするに、贈与とは受け取ることなく開始できない。受け取った者が恩返しをするという相互行為で成立する。

贈与は与えることに意味があり、人間関係の絆を深める。

しかし、この受け渡しを計算可能な"交換"と意識すると、下心が生まれ、思い通りにいかない時に人間関係の悪化につながると、私は考える。

お金がもらえると嬉しいことについて (情報や、いいねや、好意も。)

現代は貨幣経済が浸透しているので、みんな、お金をもらったらうれしい。

ただ、実際のところお金、紙幣自体はただの福沢諭吉が描いてある紙切れだ。その価値を理解していない原始時代の人からすれば、紙幣はなんの意味も持たない紙切れである。

ところが、私もあなたも、お金がもらえると嬉しい。
つまりお金が欲望を満たすことを理解している。

一方で、

  1. 『情報』や『いいね』が交換可能な価値にもなること

  2. それらの概念や、好意を先行して贈与することの重要性

について理解してる人は、おそらく少ない。

たとえば、知的財産の共有は一般的になりつつあるが、無償での共有が当たり前のように思われがちで、情報の価値が軽視される傾向にある。
そのように情報、創作物、好意など無形の価値を評価し交換する仕組みは一般化しておらず、重要性が十分に認識されていないケースが多い。


さて、ここまで述べてきたように、贈与は原始的な部族たちが自然と身につけてる合理的な社会的メカニズムである、と文化人類学的な説明ができるが、宗教にも似たシステムがある。

無償の愛と贈与は似ている

無償の愛的な概念に似てるのは、
仏教には無私無欲の慈悲心、
イスラム教にはアラビア語でラフマ、
ユダヤ教にはヘブライ語でヘセド、
など。
これらを実践することが推奨されている。

ちなみに、実社会においては、
それらの無償の愛的概念を信じてるAさんと、そうでないBさんがいて、
Aさんにとっては、他者への親切が信仰的に当たり前だが、
Bさんからしたら『なんでこんな他人に親切なんや?下心あるやろ、コワ!』となることがしばしばある。

ここまで長々と書いたが、
人間関係の裏にある力学や社会的メカニズムに着目すると、
『暗黙のルールだらけ』の人間関係の本質がクリアに見える。
ちなみに、著者の私は人と関わることでそんな感じの洞察を得ている。
基本的に(楽しければ)人と関わることは好きだ。

2.私たちはなぜ働かないといけないのか?


答えは、資本主義は成長し続けないといけない、動くのを止めると死ぬマグロだから。

だから私たちは毎年よくわからない新製品を作り、『働きたくねえなあ』と思いながら働く必要がある。
これだけ世の中が豊かになっても、私たちは働かないといけない。

さて、贈与の経済の中では、敵対しないように『思いやり/倫理観』を育て続ける必要がある。
どちらも大変な仕組みだが、資本主義経済よりも、贈与の経済のほうがザックリしている。

資本主義の価値観に偏りすぎると、いくつかの問題が起きる。
たとえば、資本を得るために他者を蹴落とすことも有効になってきて、
お金はあらゆる価値観に侵食するので、商品化しなくていい価値まで商品になる。
資本主義にそんな閉塞感を感じているなら、贈与に目を向けるのがいいかもしれない。

お金だって人を喜ばせる手段だが、
人を喜ばせる手段を得るために、
いったいなぜ競争会社への通勤などという、人によっては『完全な苦役』に服さないといけないのか?

人に喜んでもらうためには、お金という価値を通さなくても、
人に喜んでもらうことをすればよいのである。

また、資本主義は
①利己的な欲望(車や家がほしい) ②利他的な欲望 ③労働の能力
で構成されていて、③が少ない人の尊厳を奪う性質がある。

「贈与」という概念を体で覚えている人は、そんな資本主義社会のもつ息苦しさを緩和することができる。

この考察を書いたきっかけ

友達どうしが仲良くしていて、その友達の行動を見ていて、社会考察に発展させてみた。

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