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俺はこんなに面白いパラコレ冬優子を知っている!冬優子好きを自称しておきながらこの冬優子を知らない奴は全員馬鹿だ!大賞2024

私たちはパラコレ冬優子について語らなければならない。

いや~~~~~~




平和ですねー?


どうも、ヤバスギ謙信です。
シャニマス、全然平和じゃないです。
若干荒れてます。

原因はこちら!

冬優子、嘘だなも…?🤯

というわけで、数多くのPが脳破壊されて荒れてます。
(俺は予想通りのコミュが来てニチャついてた)

まあこれだけ見ると荒れるのも仕方ない気もします。

でも!読んでほしい。
読んでほしいんですよ。
何故冬優子はこの選択をしたのか?
何故女優なのか?何故これがパラレルなのか?

全部語られているんです。

過去のPコミュで。

…はい、Pコミュなんです。
持ってないと見れません。
シャニマスの良くないところですね。

というわけでこの記事では今までの簡単なあらすじと今後冬優子がどうなっていくのか?についての軽い考察を書き連ねていこうと思います。

長文読みたくない人向けの概要↓
〇冬優子には「アイドルにしておくには勿体ない」ほどの役者としての才能があり、前から女優とアイドル二つの道で迷っていた。
〇その上でプロデューサーと共にアイドルの道を歩むことを選択した
〇パラコレは女優の道を選択したifルート
〇アイドルであることが彼女たちの最善の選択肢ではない
〇一連のストーリーの結論を出すイベコミュがこの後絶対来ます!(前例アリ)

記事タイトルの元ネタです
マジでこれすぎる


〇パラコレに至るまでの経緯

まず、今回のパラコレ「紅茶夢現」には前日譚となるコミュがいくつか存在します。

そのコミュというのは「STEP」「三文ノワール」「ノンセンス・プロンプ」です。(抜けがあったらごめんね)

STEPはご存じの通り冬優子がアイドルになるまでの話ですね。
このコミュは無料で読めるからな!

パラコレにも出てくる同級生が出てきますね。
そして「ふゆ」と冬優子、二つの仮面の関係性の示唆や、冬優子がアイドルに抱く憧れというのが提示されます。

三文ノワール(限定♡)は、冬優子が女優という新しい選択肢を見つけてしまう話です。

このコミュ読んだら冬優子のパラコレはこれしかないだろ!となる


「ふゆ」という仮面を被り続け、常に演技をしながら生きてきた彼女には、アイドルにしておくにはもったいないほどの演技の才がありました。
アイドルの道か、女優の道か。本当に冬優子のためになるのはどちらなのだろうか。女優になるということは、プロデューサーと冬優子の往く道は違うものになってしまいます。
冬優子は、そしてそれ以上にプロデューサーは迷うことになります。



ノンセンス・プロンプ(恒常)は、三文ノワールの解答編とも言えるコミュです。


寂れた遊園地。かつては沢山の人が訪れ、賑わっていたはずだが今は見る影もない。そんな場所に冬優子は、そしてプロデューサーは、どこかアイドルの在り方を重ねてしまいます。
アイドルの輝きは儚いものです。いずれ消えゆく光であり、それ故に三文ノワールでPは必要以上に悩むことにもなっていました。

このコミュの「行間」凄すぎる

しかしこのコミュでプロデューサーは、例え最後の一人になろうと自分は冬優子のファンであること。そして、どんなに寂れてしまおうとも冬優子自身がアイドルであることを選び続ける限り、冬優子はアイドルなのだということを、即ち三文ノワールの解答を冬優子に提示します。

それは非現実的な、理想的な願いでしかないのかもしれない。けれどそれこそが、黛冬優子が求めていた言葉だったのです。
それを受けて冬優子は「ふゆ」という仮面と向き合い、嘘を吐き、吐かれ続けることを選びます。
時計の針は動き出す──。

そして今回のパラコレに続く、というわけですね。
厳密には続いているわけじゃないとは思いますが。

紅茶夢現では冬優子が女優の道を選び、別事務所へと移籍していることがわかります。
三文ノワールで語られたように彼女の女優としての才能は本物で、女優として明確に成功していることが伝わってきます。それはきっと、283プロにいた頃よりも。


〇パラコレはもう一つの解答を選んだ世界である

選んだ、というよりノンセンスプロンプの解答を導き出せなかった世界なんじゃないでしょうか。

ここからは少し想像が入ります。

激務に追われるプロデューサーは恐らく「候」のような小さな失敗が嵩み、冬優子とコミュニケーションを取る機会が減り、自らの覚悟を示す機会を逃してしまったのではないでしょうか。
だから冬優子はプロデューサーの覚悟を受け止めることが出来なかった。目を背けてしまった。

ストレイライトだけでなく、283プロ全体を通してみても冬優子とプロデューサーの関係性は特異なものであると言えるでしょう。決して恋愛感情など存在しないそれは、互いに大きな信頼を置く、正しく相棒のような関係性にまで成長してきました。

冬優子がプロデューサーに抱く想いというのは、三文ノワールで少し語られています。
例え自分がアイドルではなくなったとしても、隣にいて欲しい人。
それが決して不可能なことだとわかっていても。

だからこそ、自分のためにプロデューサーが憔悴していくのを見ていられなかった。プロデューサーの覚悟を聞けていない冬優子には、それを見続ける覚悟がなかったのではないでしょうか。


〇アイドルとは最善の択ではない。それでも。

283プロ所属のアイドル達の中には、アイドルになること、アイドルであることが最善の択ではなかった者たちがいます。それも結構な数。

七草にちかは夢を諦めなかったから苦しみ続けた。
樋口円香のアイドルロードは「蛇足」である。
芹沢あさひはいつかアイドルを踏み台にしてより大きな存在へと成長していくだろう。

だけど、それでも。彼女たちがアイドルであることを選び続ける限り。
傍に居続けて、彼女たちの影として支えていく。

それこそがシャニマスの描くアイドル道であり、プロデュース道なのだと私は思っています。
靴に合わせるのではなく、彼女たちがありのままの姿ではばたけるように。
彼女達がいつか巣から飛び立つその時に、隣に居られるように。

芹沢あさひ landing point
ライブ後大成功コミュ

283プロのアイドル達は、アイドル以外の道を歩むことも出来たのです。
プロデューサーはその人生を捻じ曲げた人間に過ぎない。

だから彼女達には自分で自分の未来を選ぶ権利があるわけです。
例えそれがアイドル以外の道であっても。

だけどその時に、彼女たちがアイドルであることを選んでくれたのだとしたら。
どれだけ嬉しいことでしょうか。


今回のパラコレで冬優子が女優になっていたのも、彼女の選択によるものです。
その選択の結果、彼女が今幸せなのかはわからない。もしかしたらアイドルだった時の方が幸せなのかもしれない。でもそんなものはきっと気の迷いで、長く続けていけば彼女は女優としての幸せを掴むことが出来るのかもしれない。

今回のカード名「紅茶夢現」にある「夢現」という言葉。
夢とも現実ともつかぬ、はっきりしない状態のこと。

夢落ちではあったけれども、それは決してありえないことではない。
彼女の選択次第では、そうした未来が訪れることがあるのかもしれない。
私たちは選ばなかった彼女を、尊重しなければならない。

そしてだからこそ。
今アイドルであることを選んでくれている彼女たちの意思と覚悟が輝くのだと、私は思います。



〇でもパラコレはバッド・ビターエンドだよね

そう言われると何ともいえないのですが。(バッドエンドではないと思う。冬優子は女優として頂点に立つ才があり、それは見様によってはアイドル時代より良いものなのかもしれないから)

ただ、シャニマスはここで終わるコンテンツではありません。

シャニマスは定期的に連続したストーリーのコミュを提供してきます。

シーズのイベントコミュが一番わかりやすい例ですが、Pコミュで連続しているケースもかなりあります。
更にはPコミュで提示した課題をイベントコミュで回収するなんてこともあり(これがシャニマスのいいところでもあり悪いところでもある)、最近だと芹沢あさひPカード→winter mute dawnや、八宮めぐるPカード→絆光記などが有名な例でしょうか。

そして前述したとおり、このパラコレも複数のPカード・共通コミュから成る連続したストーリーの一部です。

ところで別の話になりますが、ストレイライトのイベントコミュは最近、ユニットメンバーそれぞれの抱えている問題に大きく踏み込んだ内容となっています。
そんでもって2つ前があさひ、1つ前が愛依にスポットを当てたコミュです。
特にあさひスポットだったwinter mute dawnはとんでもない量の前日譚を踏まえた、芹沢あさひの到達点ともいえるコミュでした。

最高

そして次は恐らく冬優子主人公のイベントコミュなんですね。
もうわかったでしょう。

次のイベントコミュで一連のストーリーに対する答えが出ます。

シャニマスはここで終わりじゃないんです!!!
最後まで黛冬優子という人間に向き合ってほしいと、そう思います。

○おしまい

いかがでしたか?

長々と書き連ねてきましたが、何が言いたいのかというと

シャニマスのコミュを読んでくれ!

そして

読んでないのに文句言わないで🥺🥺🥺

ってことですね。

全人類今すぐ学マスを辞めてシャニマスをやれ!とは言わないけど、読んでないのにネガキャンするのは違うでしょうよ…。

一回絆光記を読んできて欲しいですね。
あまり強い言葉を遣うなよ。人が傷つく。




〇輝きの向こう側
アイドルマスターとはアイドルを描くコンテンツではありません。
アイドルになった女の子の、アイドル以外の面を含めて全てを描くコンテンツです。

そして何より、アイドルマスターは必ずしも輝きを肯定しません。
アイドルが輝いていない瞬間を含めて、全てを肯定する。
おばあちゃんになってもアイドルであり続けたい。そして彼女たちがアイドルであり続ける限り、アイドルマスターの道は終わらない。

それこそがアイドルマスターの描く輝きの向こう側なのではないでしょうか。シャニマスはアイドルマスターのそういった思想をかなり強く受け継いでいるとも思います。

全盛期などとうの昔に過ぎてしまった、本家アイドルマスター。
それでもアイドルであろうとするその姿に敬意を込めて。


これも読んでくれると嬉しいです!

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