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時の止まったシャニマス世界に切り込む【ムーンライト・ガーデン】芹沢あさひ

どうも、ヤバスギ謙信です。
みなさん、最近シャニマスのコミュ読んでますか?

芹沢あさひ、約1年半ぶりのSSRです。
待ってたよ!

そんでもって、
すんげ~~~~~~~~~~コミュが出ました。
そ、そんなことやっていいんですか…!?って言いながら読んでました。


Q.何がすごいの?

A1.芹沢あさひ約1年半ぶりのSSRコミュ
STEPを軸として、芹沢あさひの才能と可能性について『枝の剪定』と『竹取物語』をテーマに描く。
超重要シナリオ『Wintermute,dawn』以降でガッツリあさひのシナリオが動くのもここが初めて。
あさひという少女が今後歩んでいくであろう道を示唆することにもなるであろう、かなり重要な話。

wintermute,dawnの最後のシーン
月が写っている…!

A2.芹沢あさひ、ひいてはシャニマスという、時の止まったサザエさん時空に生きるコンテンツの苦悩を示唆する超メタ的なコミュ。










根拠はあります。
それがこれです。

エバーグリーンとは常緑樹のように、季節が変わっても落葉せず常にグリーンであり続けるたとえです。

エバーグリーンコンテンツとは、長期間にわたって内容の変わりにくいテーマを持ち、読者に必要とされ続けるコンテンツを指します。

エバーグリーンコンテンツとは?集客効果を狙ったコンテンツの作り方 より

エバーグリーン (Evergreen) は、常緑、不朽を意味する英語の名詞・形容詞。音楽では「時を経ても色褪せない名曲」というニュアンスで使われることがある。

ウィキペディア エバーグリーン より

これです。凄いタイトルですよね。
時を経ても色褪せることが出来ないシャニマス世界のアイドルを指す言葉として、これほど的確なものがあるでしょうか。

シャニマスのことが大好きな皆さんならわかると思いますが、シャニマスというコンテンツはめちゃくちゃ時を進めたがります。
時を進めたくて仕方がない…!という心の声が至るところから漏れ出ています。
運営型のアイドルコンテンツ、尚且つアイマスブランドという制約があるにも関わらず、です。

事実、その制約によって明確に本編の時を進めることは叶っておらず、パラレル・ifという抜け道を使うことで、ほんの少しだけアイドルの未来を描くことが出来ている、というのが現状です。

かつてはアイドルの年齢を進めるという挑戦的な試みをしていたアイマスですが、色々あったりしてアイマス2以降そのような例はありません。

この「エバーグリーンの住人」というタイトルは、そんな現状を皮肉ったタイトルなのではないか?

という仮定を持ってこのコミュを読んでみると、なるほどなるほどメタ的な描写がかなり多いんです。

というわけで、この記事では
・【ムーンライト・ガーデン】の感想
・メタ的描写とその考察
について色々と書き連ねていこうかなと思います。




Q.それってただの深読みだよね?

A.はい。何も否定できません。


○表から見た【ムーンライト・ガーデン】

表からということで、こちらの項では過度にメタ的な読解はせず、普通に感想を書いていきます。

●枝の剪定

【ムーンライト・ガーデン】(以下本SSR)における一つ目のテーマである『枝の剪定』について考えていきましょう。
枝の剪定は、本SSRの一つ目のコミュ『ランドスケープ研究』にて語られ、以降本SSRにおける最重要のテーマとして扱われます。

木の枝の剪定とは、コミュ内で語られるように人々の邪魔にならないように、或いは通気性を確保し、よく育つようにと行われる行為です。
これに対してあさひは「森で自生している植物もあるのに、どうして公園等の街中の木だけに行うのか」と疑問を持ちます。
これを受けたシャニPは「自然界にある植物は偶々生き残っているだけで、大多数の植物が淘汰される。街中にある以上は人の手を加えて剪定してあげる必要があるのではないか?」といった風に返します。

対してあさひは「切った枝の中に宝物があるのではないか」といった風に言うわけです。

ここにおける『切った枝の中の宝物』というのは『芹沢あさひの持つ才能の可能性』を暗示しています。
芹沢あさひは発展途上の大樹であり、放っておけば好き勝手に枝を伸ばし、その枝は時に他者の邪魔をし、弱者を淘汰する者となってしまいます。
だからこそ社会、そして時にシャニPは、芹沢あさひの才能を出来る限り社会に害を与えない存在へと剪定しなければいけないわけです。

人間における剪定の一例として勉強を挙げるシャニP

ですが、そんなもの当の本人にとっては『重いもの』でしかありません。

用語解説:重いもの
芹沢あさひにとって煩わしいもの、しがらみ。
それは社会で生きていくなら受けざるを得ない重力であり、同時に他者からの「想い」、愛でもある。
彼女は重力を鬱陶しいと思うが、重力がないと生きていけない。

彼女は常にワクワク・キラキラを求め続けており、その勢いは月にまで手が届くのではないかというほどです。

例えその道がどれだけ危険であっても、放っておいたら彼女は突き進み続けます。際限なく枝葉を伸ばす植物のように。
だからシャニPは、あさひの身を案じて望まぬうちに剪定してしまう。

「自分で見て考えて疑問を持つことが出来るのはいいことだ」と語るシャニPに対して「おかしなことを言うっすね」と返すあさひのセリフは、彼女の言葉が如何に剪定され続けてきたかを物語っています。

これすぎる
あさひの言葉・欲求が、社会において剪定されるものでしかないというのが悲しすぎて泣きそうだった

しかしその剪定に対して、あさひは抗うことなく素直に言うことを聞きます。それこそが彼女が社会に、そしてどこかシャニPにすら抱く諦め、「言ってもわからない」ということなのです。

本SSRにおいて、剪定の例としていくつかのエピソードが出てきます。
その内の一つである音楽の授業のエピソードでは、実力はあさひが一番高いにも関わらず、既に外部でアイドルとして活躍しているからという理由で学校内の合唱のソロを他の人に取られてしまうというものです。

この先生が行った行為は、もちろんベストな選択ではなかったでしょう。
ですが、手段の是非はともかく、教育者として平等・均等を重視するというのは決して間違っていません。何より先生はただあさひを選ばないだけでなく、その理由もちゃんと説明しています。
一方でそれは社会を構成するための措置でしかなく、個の天才であるあさひにとって学校という社会の縮図が煩わしいものであることは間違いないでしょう。

STEP編やwinter muteで描かれた学校の話もありますし、今後のあさひにとって学校というのは重要なキーワードになってくると思われます。

割り箸でゴム鉄砲を作って遊ぶあさひとシャニP
シャニPは図らずも社会性という枠組みであさひを剪定してしまっている
好奇心の持つ危険性へ向き合うシャニPの姿が本SSRを通して描かれる

●「教育」か「剪定」か

本SSRで剪定として描かれたものは今までのコミュでも定期的に描かれてきた、あさひをどう社会に馴染ませるか、という問題とほぼ同じだと考えます。

芹沢あさひコミュの根幹のテーマともいえるこの問題は、既存コミュだとあさひが社会に馴染むことがある種の「教育」として肯定的に描かれてきました。
しかしwintermuteを経た今回のコミュでは、ある程度社会性を身に着けてしまった彼女が、しかしそれを手に入れるまでに飲み込んできたものというのが確かに存在する、ということを突きつけてきたのかなと思います。

言うならば今までシャニPが、更に言えば我々が正しいと思って信じてきたプロデュース方針が本当に正しいのだろうか?という問いかけです。
これは最近似たような問いかけをするコミュが近しいアイドルに出てきたと思います。
もしかすると、今後ストレイライトが描くコミュというのはそういった方向に進んでいくのかもしれません。


●「言ってもわからない」

あさひがかぐや姫の心情を読み解くシーン
これについては後程また触れていきます

「言ってもわからない」は本SSRで複数回出てくる象徴的なセリフで、あさひが周囲に抱く諦念を表しています。

あさひの抱く知的好奇心・疑問は非常に大きく、それは時に危険が伴います。
また彼女は秀でた才能を持ち、放っておけば周囲を淘汰してしまう。
だからこそ彼女の周囲を、或いは彼女自身を守るために、彼女は「教育」を受けてきました。

あさひは基本的に素直な子で、言われたことは(彼女なりの解釈が入ることもありますが)守る傾向にある、と今までのコミュでは描写されてきました。
そのような描写を受けた私、或いは我々は、芹沢あさひという少女を語る時しばしば彼女の素直さについて触れ、それを彼女のチャームポイントであるかのように語る場合がありました。恐らくシャニPを始めとする作中のキャラクターたちも、少なからずそのような認識を持っていたのではないでしょうか。

愛依の妹の前で「ふゆ」を崩さないために冬優子に話しかけるな、
という言いつけを素直に守るあさひ

しかしその素直さというのが、彼女の諦念から来るものだったとしたら。「言ってもわからない」から、素直に聞くしかないという諦めの表われなのだとしたら。それはどんなに悲しいことなのでしょうか。

音楽の授業と同じような不条理を描くコミュ【Anti-Gravity】でも、あさひは早々に諦めている
諦めが悪いのはプロデューサーの方だった

芹沢あさひは間違いなく、シャニPに対して無類の信頼を寄せています。これは断言してしまっていいでしょう。
しかしそんな人物に対してすら、言ってもわからないと思ってしまっているということの重みが「教育」を肯定的に捉えてきた私たちに重く圧し掛かるのです。
今まであさひに対して行ってきた行動に「剪定」という言葉を与えるだけでこうも悲観的に捉えることが出来てしまうというのは、言葉の妙をひしひしと実感します。


●竹取物語

枝の剪定の他に、本SSRでは至る所で竹取物語の引用がされています。
現存する日本最古の物語として有名で、中学の古典の授業で習った方が多いのではないでしょうか。

本SSRでは、芹沢あさひを竹取物語の登場人物であるかぐや姫になぞらえてシナリオが進行していきます。
あさひの人を引きつける魅力に、どこかかぐや姫を重ねて心配してしまうシャニP。

そして宝物を求めつつも、本当に欲しいものは別にあるとし、そしてそれを「言ってもわからない」と口にすることのないあさひ。

あさひがかぐや姫に対し読解・共感することが出来ている、というのが印象的です

彼女が真に求めるものは月、つまり「キラキラ」です。
彼女の才能は正しく比類なきものであり、月にだって届く力を持ち、そしてそれは並ぶものを許さず、大切な人を置いて行ってしまう。

例えそれがみんなを悲しませることに繋がってしまったとしても。

コミュ「エバーグリーンの住人」において、あさひは本当に月にすら届きうるのではないか、と錯覚したシャニPは彼女の才能の強さを改めて認識します。

そして芹沢あさひとの別れを予感するのです。

以前からシャニPは定期的にあさひが自分の下から去ってしまうのではないか、ということを考えます。

LP編
自力で新しいものを見つけたあさひを見て、どこか寂しさのようなものを覚えるシャニP
いつか巣を飛び立ってしまうかもしれない少女に、それでももし一緒にいることが出来たなら、という願いが込められたセリフです

トゥルーエンド「384,400㎞」でそれは確信的なものとなり、シャニPは月に帰っていくかぐや姫の物語を引用してあさひに語り掛けます。

……こんな月だったんだろうな かぐや姫が帰っていった夜は

ああ。みんな、嘆いていたな おじいさんもおばあさんも、帝も……かぐや姫も

あさひはこれに対し、不老不死の薬を飲んででも月に会いに来ればいいと言います。

不老不死の薬。永遠の象徴たるそれを飲み、自分と一緒に月に行ってほしい。それこそがあさひの願いでした。

もちろんこの不老不死の薬というのは例えに過ぎませんが、このフレーズに聞き覚えのある人もいるのではないでしょうか。
そう、【三文ノワール】黛冬優子のコミュでも、同じような問いかけが存在します。
冬優子のコミュに触れ始めると脱線してしまうので、この記事で大きく触れることはないですが、今後ストレイライトの進む道というのが見えてきたのかもしれません。

結局、このあさひの願いに対する答えは本SSRでシャニPが出すことはありませんでした。次回への宿題といったところでしょうか。
しかし、シャニPはいつか訪れるかもしれない「その時」へ、そしてあさひへの想いを語ります。
いつかあさひが月に行ってしまっても大丈夫なように、彼女が独り立ちした時に社会に剪定されてしまわないように、枝の土台となる幹を作っていこう。そんな風に語るのです。

それはシャニPが抱き続けてきた親心、そして別れの予感への、今の彼が出せる最善の答えだったと思います。

その瞬間に立ち会いたい、その場所に連れていける人間でありたい。そんな願いを抱き続けた彼が、例えその時自分が隣にいなかったとしても、彼女が彼女で在れるように、そのために自分も強くなろうと意思表明すること。
自分の願いを捨ててでもあさひのために強くなるというその覚悟は、正しく献身の覚悟と言えるのではないでしょうか。
それは1年前、三文ノワールやふたり色クレオールの時のシャニPでは出来なかったことで、シャニP自身も成長していることを表しているのでしょう。

そして、そんなシャニPの言葉を聞いて、芹沢あさひは深い眠りへと落ちていくのです。
もしかしたら、全てを忘れてしまうかのような眠りに。


〇エバーグリーンの住人たち

記事冒頭で述べたように、【ムーンライト・ガーデン】にはメタ的な描写が複数存在します。
エバーグリーンという言葉の意味からして、これは意図的なものであると受け取っていいでしょう。

メタ的描写があると読み取れるのは、コミュ「エバーグリーンの住人」及びトゥルーエンド「384,400㎞」の二つです。

コミュ「エバーグリーンの住人」の中では、より成長したいあさひと、年齢的にまだまだ先は長いのだから焦る必要はない、と宥めるトレーナーのすれ違いが描かれています。

もちろん今まで描かれてきたようにあさひの生き急ぐ姿であると言ったらそこまでなのですが、永遠の14歳であるあさひの悲痛な叫びとも取れるのではないでしょうか。

更に「384,400㎞」では、より難解な描写が入ります。
当該コミュの最後、あさひが急に眠気を覚えるシーンです。

文面から読み取れる情報を整理していきましょう。
これはトゥルーエンドの最後の場面、つまり一回のプロデュースが終わりを迎える直前です。
シャニマスというゲームはホーム画面に戻り、再びプロデュースを開始すればアイドル達は何度も同じ時間を繰り返すことになります。
この一連のセリフはシャニマスというゲームシステムに囚われ、「永遠」に同じ時間を繰り返すことを示唆しているのではないでしょうか?

先日話題になったシーズとコメティックのリアルイベントでのポエムです。

幾度も到達の機会を与えられ、その度に記憶を失い続ける彼女たち。
丁度本SSRが実装される直前の出来事でもあり、関連性を見出さずにはいられません。

変化を肯定し続けてきたシャニマスというコンテンツは、しかしながら本質的な変化を迎えることが出来ず、永遠に続く時に囚われ続ける自己矛盾を抱えたコンテンツでもあります。
誰よりも変化を望む彼女たちが、しかし「重いもの」によって永遠に縛られ、美徳たることを強いられる。
IF I_wingsやパラコレ、未来を想う言葉、或いは永遠を扱う多数のコミュこそが、彼女たちがそれでも、少しでも前に進むための足掻きなのかもしれません。


〇おしまい

いかがでしたか?

芹沢あさひ約1年半ぶりのSSR。
恒常だしセレチケを待ってもよかったんですが、何となく引いてみたらまさかこんなすごいコミュが読めるとは……。
「諦めない、絶対」と歌うユニットのセンターが、誰よりも諦めが早いというのも皮肉なものです。
メタ要素抜きにして傑作コミュですし、ちょっとコミュタイトルを変えるだけで一気にメッセージ性が深まるというのもまた面白いですね。
次のコミュが待ち遠しいです。
パラコレなのか、アンサーコミュになるのか、はたまたイベコミュなのか……。

本記事の内容について。
メタ要素をこうもしっかりと考察する、というのも中々無粋なことでもあるとは思うので、まあ話半分で見ておいてもらえると助かります。


それでは。


シャニアニ2nd3章、全国の映画館で絶賛上映中です。
めちゃくちゃよかったので是非。






●おまけ 発言者不明のセリフ群


実はトゥルーエンド「384,400㎞」にはもう一つ秘密が隠されています。

ここの「もう……わたしだめかも……~」というセリフは、一見するとあさひが発したセリフのように見えます。もちろんCVも田中有紀さんです。
ですが、よく見るとおかしいことがわかります。

通常アイドルの

このように、このセリフには誰が発言したのかが明記されていません。

あさひが発したセリフはログ上に顔アイコンが出ますし、吹き出しに名前が表記されます

実はこれだけを見ると別におかしくはないのです。
というのも、コミュ冒頭に「Pが寝ぼけている時に発言しているあさひらしき人物」が同じ表記で出てきており、あさひが寝ぼけ始めたから再び戻ったのではないか、と推測することが出来るからです。
しかし、この場面でおかしいのはそれだけではありません。

上の画像で、「そして何度だって忘れてくれ」と語っている人物の吹き出しが緑色になっていることにお気づきでしょうか?
通常緑色の吹き出し枠というのは、モブキャラクターのセリフを指す色になっています。また、同場面でシャニPのセリフとして正式に表記されているものの吹き出しの色は、ちゃんと灰色です。
つまり、この場面であさひに語り掛けている人物はシャニPではないということになります。

とはいってもこのような演出はこのコミュが初出ではありません。
例えば冬優子コミュにおいて、冬優子の心の声(ふゆの声)を表す演出として用いられることがありました。
ですが、もちろん冬優子はそれなりの事情をもってこの演出を使っているはずです。表面的な二面性を持たないあさひでこの演出を使う意図とは何だったのでしょうか?

まあ結論としては、私はこの演出に対する答えを出すことは出来ていません。恐らく現在の材料では推測の域にすら到達出来ない伏線なのかなと思います。
まあこういう要素が隠されていたよ、くらいに捉えておくといいと思います。


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