会いたくない病
人に会うのが、怖くなるときがある。
何処にいても、”居場所”を見つけられない自分がいる感覚があって。
私はまた、”空(から)”に閉じこもる。
居場所不在なのはきっと、私が無意識に張るバリアのせいだ。
普段、俯瞰で自分なんか見つめないくせに、他人を俯瞰で観察している。
その時々に合わせて、私は”私”であり続ける。
「無難な人」になりきる。
いても、いなくても、変わらない存在でありたいとどこかで思っているのだろうか。
…違う。怖いから、逃げているだけだ。
醜い自分を晒して、失望されたことしかない私は怖がっている。
下手な嘘を平気でつく自分。見てくれがニコニコしていても、頭の中では誹謗中傷している自分。他人を罵る己を見て、酔っている自分。自己中な自分。
どこまでが「社会的な我慢」で、どれが「そうではない」のか。
居酒屋の食べ物を遠慮する自分。
これは、我慢?本性?
おもいっきり正論で反論したいけど、空気を壊さないように愛想笑いする自分。
それは、本音?建前?
何処に行っても楽しくない。苦笑いする自分。
それ、本心?誤魔化し?
何処にいても楽しい人はいるのに。
なぜ、他の人にはそうなれないのだろう。
私に興味を持ってくれないなら、呼ぶな。
”空”の私を求めるなら、近寄るな。
ぐちゃぐちゃな私を、受け入れろよ。
少しでも中身を出せば、変な顔をする。距離をとる。消える。逃げる。離れる。
私は、ぐちゃぐちゃな”あなたたち”を受け入れるのに。
浅ましい。陳家だ。張りぼてだ。
私とあなたたちの繋がりは、きっとそう呼ぶ。
あなたの生活のプラスになりますように…。