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「おめでとう」は言いたくない

私が初めて妊娠した人の姿を見たのはきっと、弟が生まれる前だろう。
記憶には鱗片も残ってはいないけれど、確かにそこに妊娠した母の姿があったはずだ。

流行病というには酷く残酷なウィルスが世界に蔓延しているが、この時期に命を授かるという重みはそれぞれに圧し掛かるだろうと想像する。

今夜私が話すのはコロ助(コロナ)の話ではない。ある知人の物語だ。
"知人"とは上手く言ったものだが、私は"知人"ではないのであくまで「私が知りえる彼/彼女」からの妄想が入っていることを先に補足しておこう。

つまらない、妄言だと思って暇つぶしくらいに多めに見て欲しい。

とは言ったものの…。物語の始まりは「私の記憶」から進む。
ただの回想話だ。
冒頭でお話しした妊娠の記憶につて。私が忘れないであろう過去がある。

――――――      ――――――

私が高校をに入学して半年経った頃、地元で開催される祭りがあった。受験も終わり、高校1年生なんて一番楽しい時期だ。私は下校の帰り道、ちょうど屋台が始まった時間帯にやってきた。学校は近いとも遠いとも言えないが、私の地元の方から通う友人はおらず、ふらっと立ち寄ったその日は一人だった。

「小中の友達に会えるかな」なんて期待して出店を回った。
だけど1週回っても期待に反して誰にも会えず、香ばしい匂いを漂わせるイカ焼きに目を奪われていた。

そんな私の横から、突然女性の声がした。驚いてみると、中学で同じ学級委員だったMさんだった。
Mさんは中学時代、少しませてて周りに色々な意味で一目置かれてた存在だ。学級委員は立候補だったけど、何の想いで率先したのかは当時から謎だ。

そんなMさんのその時の姿は、私にとってかなり強く焼き付いた。

「結構大きいでしょ?」

そう言って、大きく膨らんだ自身のお腹をさする。

噂で聞いていた。彼女が15歳で妊娠したこと。相手が蒸発したこと。「産む」と決意したこと。

噂でしかなかったものが、はっきりと事実になって…目の前にあった。
そこから私はほぼ何も覚えていない。絶句し、何も口をきけなかったことだけが心に残る。そこからどうやって立ち去ったのか。どうやって帰ったのかも覚えていない。

今でも思う。もし、私が少しでも冷静になれていたら。もし、私が声をかけたとしたら。私は、なんて言葉を与えたのだろう。

「おめでとう」

その言葉が出てきては、飲み込んだ。なんだかそれは適切ではないような気がしたからだ。
では、「」の中身は何が正解なんだ?

想像して、口ごもった自分自身が嫌になって、結局今も答えは出ないままだ。

――――――      ――――――

そうして、2020年。私は社会人1年目として働いている。
高校の頃の自己嫌悪は忙しい日々に溶け、今を懸命に生きている。

そんな折に先日、かつて縁を切った同級生を見かけた。
彼は付き合いがあった頃、よく「嘘か本当かわからないこと」を話している人だった。
それらの何が真実かは今更確かめようがない。ただ、私はその「どっちかわからない疑心」に耐え切れなくなって(ほかにも要因はあったのだけど…)距離を置いた。

彼を見たのはスーパーの店内だった。優しそうな女性と一緒に、ベビーカーを押して買い物の最中だ。
私は少し距離を取って、必要な買い物を済ませて店を後にした。大分怪しかったので、気づかれたかもしれない。でも、私から話すことは何もなかった。

「家庭を築いたのか」

私は心のうちで呟く。

彼には、

「おめでとう」

は言いたくなかった。

私は冷酷な人間。そう自分を決定づける。

彼の相手にも、新しい命にも、きっと「おめでとう」は適切だ。
私が面と向かって話すことがあれば、気持ちよくその言葉を贈るだろう。

だけど。
彼には言いたくないと思ってしまう自分がいる。

私は一体、何を意固地になっているのか?

考えているうちにふと、Mさんを思い出した。

そうか。

どこかで、"そう"思っていたのか。

私は、彼が"逃げ出す存在"だと勝手に決めつけていたんだ。
Mさんの相手のように、いざという時に逃げ出す存在だと。
それはこの世で一番失礼だ。私は、私の考えを呪った。

彼は、私の理想の悪魔ではなかった、ということだ。
信じられなくなった彼に、私の嫌なイメージを全部刷り込んでいただけ。

生きづらくなったのは私だけだった。
縁を切って、清々しい気持ちになっていた当時が嘘のようだ。

清々しい気持ちになっていた当時⇩

結局、自分が一番"醜"かった。

人を嫌いになるときは、その人を信じられなくなることがきっかけになることがある。

それ以上、その人を嫌いなる必要はない。
なのに、私はどこかで彼を悪意で想い続けてきた。
それはとても"醜い"ことだ。

決別するなら、彼を想像しない私にならなければ。
嫌いな人を「測る物差し」にしていてはだめだ。

これからは、自分の指標で人と関わらないと…。
その為に、悪者の"彼(イメージ)"は捨てなければならない。

さようなら、"醜い"虚像("彼(イメージ)")。

最後に、彼に最大限の心を込めて。

「おめでとう」

そして

「ごめんね」

あなたの生活のプラスになりますように…。