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俯瞰してみる=見終わった映画をもう一度見るような感覚


うまくいかない、くるしい、しんどい、もうヤバいかもしれない、詰んだ、本気でダメだ.....


そう思ったことが人生で何度あるか。

ずっとこの苦しみが終わらないように思えたことは何度あるか。

でも人間ってかならずハッピーエンドになるように出来てる。

なにをハッピーとするかはもちろんその人によるが、その人がハッピーと感じる要素はもう既に魂にプログラミングされていて(人間に生まれたとたんに一度記憶から消えるが)、それを思い出していく・取り戻していくのが人生という旅だからだ。

必ず最後にはそこにたどり着く。
そして死んでから、たどり着くまでに頑張ってきた自分の人生を走馬灯として見るのだろう。

苦労したあとに、「ああ、あのときはあれで上手くいってたんだな」って気づくような、タイミング・きっかけが絶対にある。


例えばなしをする。

「恋人が浮気ばかりする」のなら、自分の中に「自分は大事にされない」というフィルターが必ずある。

それに気づけると同じことは起きなくなってきて、望んでいた幸せな恋愛が手に入る。

そうなると浮気されていた過去は、私が幸せになるために必要な出来事だったんだ!と思えるだろう。

ということだ。


とは言っても苦しいときはそれが永久に続くかのように思ってしまう気持ちも私はすごくわかる。
でも、こう考えると少し楽になる。

確かに、今までの経験とか世の中のジャッジを通してみると「上手くいってない状態」かもしれない。

でもこの今の「上手くいってない(と思っている)状態」をもっと遠くから見たらどうだろう?遠くというのは空の上から、宇宙から。

長いストーリー(人生)のたった一部ではないか、と気づける。
そこに気づけたら、スタート地点だと思う。

ほほぅ、面白い。とまで思えたら勝ち。



一度見終わった映画を、もう一度見るとき。

主人公が恋人とも別れて借金に追われ家も売って、ネカフェ暮らしで見た目はボロボロだとしても、「でも、最後は社長になって豪邸に住んで素敵な家族にも恵まれるんだよな」と分かっていたら....。
その主人公に対して悲観的な目線は持たないだろう。
最後はハッピーで終わるのを分かっているから、むしろこの落ちてる期間が醍醐味だよ〜と思いながら映画の道中を楽しめるだろう。


人生はそれとまっっっったくおなじだと気づいた。
落ちてる期間があるからこそ、そのあとに手に入ったものが全て感動的で喜ばしいものとなる。

ただ成功しかしていない人生なんて、平均が成功している状態なのだから、むしろ成功が成功ではないのだ。
ただの「当たり前」で平坦な出来事にしか過ぎない。

そう考えると「うまくいっていない状態」は、もはや敢えて人生に組み込まれているのだと思えてくる。

「うまくいっていない状態」があることで、「あ、つまり私は成功するんだな」と思えるようになる。成功できる証拠になる。

だからうまくいっていない状態のときは無駄に抗おうとしない。
ただそれを見る。なぜそれが起こっているのか、自分にどんなフィルターがあるのかを探す。

答えは外側にはないから。
ぜっったいに内側にしかないから。

最短で望む現象に近づく方法は、ただその現象を見つめて自分自身の内側と向き合い、ただそこで静かにその状態の今を生きるのみだと思う。


どっしりと構える。必ず上手くいくから。

目線を宇宙規模まで広げて、もっと楽観的に今を楽しむ。

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