見出し画像

確信を持つこと、いや・・・

「確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動せよ。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる。」

オランダの画家 ゴッホの名言です。


自分がしていることに自信を持てないのは、至って普通のことのように思います。

どうすれば、自信を持てるようになるのでしょうか。

第三者に褒められたときなど、自分ではなく、他人からの評価によって、自信を持てるようになることが、ほとんどのように思います。


「絶対大丈夫。自信を持とう。」

自分を鼓舞したところで、気休めにしかならないこともあり、何らかの根拠となり得る事象が、自信を持たせてくれるのかもしれません。


承認欲求とは、自信を持ちたいという想いからくるものなのだろうか。

そんなことを考えたりしているのですが。。。


ネットの記事か何かで、ある投資家の話を耳にした。

「良いアイディアと悪いアイディアの違い」

良いアイディアは、「やってみなければわからない」と思うもの。

悪いアイディアは、そう思えないもの。


よって、「やってみなければわからない」と思うものに投資する。

もちろん、やってみてうまく行かないものもある。


やる前から、うまく行くかをわかる人は、この世に存在しない。

よって、やってもいないことに自信を持てる人も、この世に存在しない筈。


それでも、自信を持ってやろうと考える人が少なくないため、新たなビジネスが生まれ続けるのだろう。

新たなビジネスを生む人たちは、どの段階で、「確信」を持ったのだろうか。

「確信」を持っているかのように行動しただけなのだろうか。


「私は、確信があります。なぜなら、このような理屈で考えると、反論の余地がなく、それが、確信を持てる理由です。」

スキのない理論で武装されると、必ず反対意見により、攻撃される。


攻撃が続く中で、完璧に武装したはずの理論に確信を持てなくなる。

この段階で、「確信」を持っていないという行動になってしまう。


やはり、確信を持つことは、簡単ではないような気がする。


確信を持つ持たないは、理屈ではないと考えている。

多分、根拠も何もなく、確信して良いのだと思う。

その確信を、何処かでなくしてしまうのであれば、そもそも、疑いながらの確信だったのではないだろうか。

よって、そもそも、確信していなかったことと捉えることができる。


余計なことは考えずに、「こうだ!!」と思うことをそのまま進めて行けば良いのかもしれない。

「やっぱりこうだった!!」

自分の考えが正しかったと思えたときが、「本物の確信が生まれた」ときではないだろうか。


この名言により、確信は、右脳で行うものであると思わされた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?