釣れないときは、魚が・・・

「釣れないときは、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。」

アメリカの作家 ヘミングウェイの格言です。


何かを求めてアクションを起こしても、求めているものを得ることができない時間が長く続くように感じます。

「Easy come, easy go」

簡単に得られるものは、すぐに失ってしまうものであると言い聞かせておりますが。


「曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照らしてぞ行く」

曇りなき心の月を先立てることだけを考えることにしております。

浮世の闇のことは考えずに心の月だけに意識を向けるようにしております。


「魚が釣れた!!」という実感を早く求めてしまい、焦っている自分に気付き、気持ちを改めるという作業を繰り返しながらも、やはり、不安になってしまうことが多々あります。


「未だ木鶏たりえず」

ただただ、至らない自分を憂いてしまうのみではありますが。。。


巷間、「即効性」を謳った書籍、セミナー、広告、諸々を目にする機会が転がっている。

何かを始めて、すぐに結果が出ないものは、受け入れ難いものなのかもしれない。


セミナーは特にそう思う。

セミナーを受講するだけで、何か変化があると考えている人が少なくないように思う。

広告の場合、企業活動の中での話であるが故、すぐに利益が出るような仕組みでなければいけないのかもしれない。


「絶対に違う!!」

違うと思わせるものがる。

「即効性」を匂わせるものに、違うと感じてしまう。

深みを感じることができないのが理由だろう。

深みを感じることができないものに、飛びつこうとも思わなくなった。


それでも、「即効性」の「正当性」を認めなければいけないような思いもある。

「即効性」が、世の中のマジョリティーなのでれば、それを認めなければいけないのかもしれない。


巷に転がっているキャッチコピーを眺めてみる。

「筋トレ1カ月で体脂肪率10%台」

「三日で語学をマスター」

「毎日塗るだけで美肌」

違和感がある。


色々なことを試してきて、即効性を証明できるものは、皆無だった。

が、それは自分の話であり、他人は違うのかもしれない。。。

と考えるのも、違和感を覚える。


「魚を釣る」ことを目的にすると、釣れないことで落胆してしまう。

故に、釣れる方法だけを知りたいと思うのが、人間の性なのだろうか。


「魚を釣りたいのだから、魚を釣る方法を教えてください。」

「わかりました、すぐに釣れる方法をお教えします。」

この会話が成り立つのだろうか。

やはり、違和感以外には何もない。


「魚が与えてくれた考える時間」を有意義に過ごしながら、「そのうち釣れるだろう。。。」という気持ちで、釣れるそのときを待とうと思っている。


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