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【ザ・アリーナ】号泣して言いがかりをつけた先で日常に戻って夢のステージを待っている

「Dreamを本編ラストにしたの誰!? 菊池風磨さんじゃない!? 勘弁してほしいんですけど!?!??」と思ってから1ヶ月半が経ちました。セクシーゾーン ライブツアー2022 ザ・アリーナの話です。

アルバム発売後からライブまで、Dreamという曲にはいろいろな感情を込めて聞いていました。

上のnoteにも書いていますが、11月に卒業する別界隈の推しのことを思ってちょっと泣きながら聞くこともあります。

ザ・アリーナのライブ中もこの推しのことを思って泣きました。公演終盤のケンティー監修映像のときです。「アイドルが消える」という状況に、推しの卒業を思い出して号泣しました。

そんな中で本編ラストの曲としてDreamが振られるのです。「中島健人さんの光のパワーを持ってしてもDreamは夢みたいに綺麗に消えてしまう歌だよなあ」と思っていた人間からすると涙が止まりません。映像で他界隈の推しとの別れに泣き、その後のForever GoldやRUNで身勝手にもSexy Zoneの永遠を願ったばかり。そんな私に突きつけられる「夢みたいに綺麗に消えてOk?」ってそんな、そんな……。まあ全部言いがかりなんですけど。

そんなこんなでDreamが本編最後に来たのはかなり胸に突き刺さるものがあり、My初日であった新潟公演では正直なぜこの位置なのか分かりませんでした。

しかしその後の宮城公演を経て、風磨くんの挨拶とセットにすることでその意図が少し分かるような気がしました。

ライブが終わったら日常が始まること。ライブという夢のような時間が「非日常」として輝くのは「日常」があるからこそであること。そんな日常にも寄り添える存在でありたいこと。宮城の夜公演で、風磨くんは挨拶で割とそういう話をしていたと記憶しています。

そう考えたとき、Dreamは「アイドルっていつか終わっちゃって儚いね」「ライブが終わっちゃうね、でも仕方ないよね」というよりは「この夢のような時間は終わってしまうけれどそのかけらを抱いて夢の続きにある日常をちゃんと生きていこうね」ということなのかもしれません。そしてその日常にもSexy Zoneは寄り添うよと。

本音を言えば、ライブ中は永遠にこの時間が続いてほしいと思います。余計なことは思い出したくないし、ずっと楽しい時間でいたい。ライブの帰り道で明日なんか来ないでほしいと思うことも多々あります。

でもライブに終わりがあるのは仕方ないことです。カーテンコールで「後悔はないですか!?」と聞かれたら「ないー!」としか言いようがありませんし。とてつもなく切ないけれど仕方がない。

ただ、その切なさをどうにか乗り越えられるんじゃないかと、その夜のDreamを聞いて思いました。歌詞やメロディはCDと同じなのにね。宮城の夜はそんなことを思ったのです。

「夢みたいに綺麗に消えてOk?」というのは思い出まで消えてしまうわけではないのでしょう。ライブが終わってSexy Zoneは夢みたいに綺麗に目の前から消えてしまうけれど、この思い出を胸に日常を歩いて行けるはず。ぶっちゃけSexy Zoneがいてもしんどいなってときもあるけれど、それでも頑張って歩いていってSexy Zoneのおかげで頑張れてるよと胸を張って伝えられる人になりたい。そんなことを、規制退場終盤の伽藍とした会場で思いました。

本編最後をDreamで締めたことについて、正直新潟公演のときは「これ絶対風磨くんでしょ!? ケンティーだったらForever Goldとかにしてたと思うんだが!?!?」と思っていました。勝手に想像して勝手に対比して勝手に感情爆発させてすみません。

でも自分が入れたその後の公演を見て、挨拶を聞いて、他の公演の挨拶についてファンの方のレポや横アリ公演の記事で読んで、Sexy Zone(ないしは風磨くん)はもっとDreamという曲に希望を感じているのかもしれないなあと思いました。

Dreamはたしかに切ない歌です。でもザ・アリーナの演出を通して、思い出を心の片隅に置きながらその先を生き続ける人の曲という印象が強まりました。夢のような時間を終えて、また次の夢に向かっていく。そういう瞬間がザ・アリーナのDreamだったように思います。

ライブという夢の時間はあっという間です。夢の世界としてトキメキを届けるのか、ゆるやかに日常に接続させて生きるエネルギーをくれるのか。今回のライブは前者のようなトキメキと後者のようなエネルギーの両方をくれたように感じました。

2022年夏のハイライトをありがとう。次の夢のステージも素敵なものになりますように。

■余談:ライブの構成について

余談ですが、ライブの構成が予想とだいぶ違って面白かったので書き残しておきます。

新潟公演の感想にも書いた通り、今回はライブ全体として1つのストーリーでやっていく「ザ・菊池風磨な演出」というよりも「コンテンツ×複数個」みたいに見えました。

夕方から夜にかけてテレビをずーっと見ているときの感覚ってこんな感じかもしれません。その感覚が80〜00年代っぽい気もします。映像も歌番組・アイドルドッキリ系バラエティ・ニュース番組の順で、夜が深まってる感がありました。どこまで意図してるかは分からないけれども。

……などと思っていたら風磨くんがbis(2022年9月号)で

昨年は舞台っぽい感じだったので、今年はテレビっぽく仕上げています。テレビって声を出して盛り上がって見るものじゃないと思うので、会場でも声は出さずに没入してもらえるかなと。

と話していてびっくりしました。意図した箇所で私がそう感じたかは分からないけれど全体の印象としてそれはとても伝わっておりますぞ。意図したことを全体として表現できるチームSexy Zone、好きです。

それにしても「コンテンツ×複数個」な演出は意外でした。風磨くんの作るライブは劇みたいで、高級ビュッフェかコース料理かっていったら後者というイメージだったもので。強いていうならポプステコンは「コンテンツ×複数個」みが強い印象。個人的にはそれぞれによさを感じられるので、どちらの形も好きです。風磨くんが意識的に何かを変えたのか、他3人の意見やスタッフさんの意見が多めに入ってそうなったのか。ドキュメントムービーでなにか分かるといいなあ。早く見たいです。