私の音楽の楽しみ方とアイドルのこと

私の叔父は音楽好きで、自分でもギターを弾く人です。エレキギター、アコースティックギター、フラメンコギター……あまり楽器に詳しくない私にとっては「よく分からんがいろいろ演奏できてすごそう」の世界。ジャンル問わず音楽に詳しいのも、博識だなあと思います。

そんな叔父は音楽が好きだからこそ、打ち込みで作られた曲などは音楽として楽しめないそうです。音を楽しめればそれでいいんじゃないかと思ってしまう自分とは、あまり価値観が合いません。直接音楽の話をしたことはほぼないので、お互い不愉快になったことはありませんが、たぶん話さない方がいいんだろうなあと思っています。

叔母が言うには、叔父は人の歌声すらも音として楽しんでいるそうです。その感覚は分からんでもないです。

■私の音楽の楽しみ方

私はここ10年くらい坂本真綾さんの曲が好きです。私が出会うよりももっと前の、初期の曲ほど真綾さんの声は楽器の一つのようだなと思います。それはそれで好きです。

しかし、その声だけが、曲の音だけが好きなのかというと、そういうわけではありません。曲に関して真綾さんが話していたこと、リアルタイムでは知らないものの想像せずにはいられない当時の真綾さんの状況、そして曲に励まされたり考えさせられたりしてきた私自身の思い出。そういったものが重なって、真綾さんの音楽が好きだと感じています。

私はたぶん、音そのものとしてというよりも、付随するさまざまなものをひっくるめた物語として音楽を楽しんでいるんです。

■私にとってのアイドル

さて、そんな私が音楽の話をする上で切っても切り離せないのがアイドルの存在です。

と言っても別に歌って踊れるような、「アイドル」とされる方々全般に詳しいわけではありません。好きになった曲を歌っている人たちがそういうアイドルのカテゴリーにくくられる人たちだっただけです。だからアイドルの音楽はどうだとか、界隈はどうだとか、そういう話はよく分かりません。

ただ、少なくとも私の応援しているグループに関しては、何も知らずにだけ聞いたときと、グループやメンバーのことを知ってから聞いたときで、曲の印象が変わることがあります。

最近だと、フィロソフィーのダンスの「サンフラワー」がそうです。

歌詞やMVを見ると、パッと音として聞いたときよりも胸にくるものがありました。

こんなに何もかも違う 私たちが同じ夢
追いかけてるなんて不思議だね

たとえばこの歌詞を聞いたらパッとメンバーの4人を思い浮かべますし、この4人が歌うからこそ曲の魅力が増していると感じます。これは私が短いながらもフィロのスを応援してきたから、メンバーのことを知っているからです(ファンがアイドルを「知っている」って簡単にいうのもあれだなと思いつつ)。

「その曲に込められた思いを知って感想が変わるなんて、音楽を純粋に評価できていない」と思う人もいるかもしれません。

でも私は、そもそも音楽を評価するために聞いていないんです。音楽からさまざまな感情やエネルギーを受け取るのが好きなんです。

思えば中学生時代に坂本真綾さんを好きになったときから、考え方や仕事に対する姿勢にも憧れていました。他の誰でもない、真綾さんの音楽だからこそ支えてもらえました。

好きなアイドルの十束おとはさんが以前、インタビューでアイドルを「誰かの人生にパワーとときめきを与えてくれる存在」と定義していました。そういう意味では、真綾さんは間違いなく私にとって最初のアイドルです。

■意味が乗った音楽は面白い

「他の誰でもないこの人/この人たちが歌うからいい」という経験を、私は坂本真綾さんとフィロソフィーのダンスの音楽でやってきました。

3番目がSexy Zoneでした。音楽に意味を乗せるのが抜群に上手いので、私の音楽の楽しみ方とぴったり合うんです。

たとえば、「夏のハイドレンジア」。

この曲は恋愛ドラマの主題歌で、歌詞から見ても明らかにラブソングです。私もずっとそう思って聞いてきました。

ただ、Sexy Zoneが10周年ツアーの最終公演でこの曲を歌ったとき、この曲の印象がガラッと変わりました。

そのライブの最後で、ファンへのメッセージが流れました。別の会場では現地参加していたので、見覚えのない演出に驚いたのを覚えています。後から知ったことですが、メッセージ以降の部分は、配信だとファンクラブ経由でチケットを買った人しか見られなかったそうです。まさにSexy Zoneのファンに向けて用意した部分でした。

そして歌われた「夏のハイドレンジア」。サビの

晴れ渡るフィナーレへと手を引いて連れて行くから

で、私はいつも恋人の手を引いていくような光景を想像していました。

しかしこのライブで聞いたときは、全く違うことを思いました。

というのも、メンバーの佐藤勝利さんはツアーパンフレットで、Sexy Zoneのゴールテープの切り方について話していたんです。いわばSexy Zoneのフィナーレについて。「その時が来るのは当然、もっとずっと、遠い先がいいな」と言いつつも、いつか来る終わりについて言及していたのがすごく印象的でした。

同時に「夏のハイドレンジア」の「晴れ渡るフィナーレ」という歌詞も、個人的にはするっと飲み込めない歌詞でした。「単に初恋の歌なら終わりを感じさせる歌詞にしないのでは? もしかして主題歌になってるドラマは切ないラストなのか?」と勘ぐってしまったほどです。(今は「いつか来る最期の日まで」というニュアンスなのかなあと思って聞いています)。

そんな佐藤勝利さんの「ゴールテープの切り方」への言及と「晴れ渡るフィナーレ」が、配信を見ながら一気に結びつきました。ああ、いつか来るSexy Zoneのフィナーレはきっと晴れ渡るものなんだろうな、と思いました。

もちろん作詞した秦基博さんはそんなことを考えて書いていないでしょう。Sexy Zoneのメンバーだってそんなことは考えていない気がします。けれど、少なくとも私の中では、この曲は「Sexy Zoneからファンへの愛の歌」という意味も帯びました。「夏のハイドレンジア」の厚みが増したというか、より多面的になった瞬間でした。歌われる状況によってこんなにも曲の聞こえ方が変わるなんて、やっぱりSexy Zoneの音楽は面白い。

オタクの深読みと言われればそれまでですが、なんというか、深読みさせる演出をするんですよね(この話前もしたな……)。乗せられた意味も含めて音楽を楽しみたいタイプにとって、思考を巡らせたくなるライブ演出は本当に面白いんです。もちろん生身の人間が関わっていることですから、一挙手一投足に対して「絶対にそうだ!」なんて決めつけないようにしないといけませんが。

彼ら・彼女ら自身が持っているものと曲が結びつくからこそ、曲に説得力が生まれたり、曲が多面的になったりする。だからこそ自分の悩みや境遇と結びついて支えてくれるし、いろいろな気付きをもたらしてくれる。そしてその曲がより大切になる。私にとってのアイドルは、そんなワクワクする経験をさせてくれます。だから好きなんだと思います。

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叔父さんへ。
私は、私にとってのアイドルから、音楽を通じてパワーとときめきといろんな感情を受け取っています。叔父さんの話を聞いて、自分はそうだなと思いました。たぶん違うタイプだけど、どうか喧嘩に持ち込まないでね。
あと、叔父さんが見ていた小芝風花ちゃんのドラマ、Sexy Zoneの中島健人さんも出てるよ。というか真横にいる人がケンティーだよ。よろしくね。