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スペイン旅の記 2017年5月〜6月 ②

さて、ぼう然として味のわからないまま(とは言え、こんな時でもスペインの生搾りオレンジジュースは絶対的にうまい)急いで朝食を終えた。平静を装い何事もなかったかのように朝飯を食べ終えても、残念ながら荷物を盗まれたという事実は無かったことにはならなかった。

まず朝飯を片付けたのは、正味50Lの登山用ザックと肩掛けバッグと朝ごはんを持って走り回るわけにはいかなかったからである。しかし朝飯を食べている間に、盗まれた荷物を発見できる確率は格段に下がったと思う。オープンスペースにあるカフェは大きく三方に開かれていて、一つは駅の外に出る出口。あと二つは駅構内を縦に伸びる通路である。どっちへ追いかけていいか見当もつかないし、どっちみちもう間に合わない。私はなぜ気づいてすぐに大声を出したりして周囲に知らせなかったのだろうか。ショックと、言葉が不自由だという気後れと、恥ずかしさがそうさせなかったのだ。背後から一部始終が見える位置にいたカフェの店員に、見ていなかったか聞くこともできたが、しなかった。なんなら店員がカモがいると手引きしたのではないかなどと疑心暗鬼になった。

私は絶望的な気持ちで絵の道具の入った大ザックを背負いカフェを離れ、うろうろと駅構内を歩いた。ゴミ箱があれば何か捨てられていないかのぞいてみたりしたが、無かった。すれ違う誰もが怪しく見えた。駅構内を歩いている警察官のような制服の人に、さっき盗られなかったポケット和西辞典で調べたばかりの一文を話してみた。Me robaron mi mochila.「私は私のリュックサックを盗まれました」(一生忘れないであろう、無人称主語の文である)
すると制服は、駅の外の警察に行けと言っているようだ。そう言えば、駅構内に警察のいそうな事務所の表示らしいものはない。私は駅の外に出てみて怪しい人物はいないかなど見回したり、道の側溝をのぞいたりした後ふたたび駅に戻り、また右往左往したあとまた別の制服を着た警察官らしい人物に同じ一文を投げかけた。やはり、遺失物オフィスのようなものは駅の外にあるらしい。通りの名前とか、地図とか何も示されなかった気がするが、私はだいたいの位置を理解して、やっと駅を離れた。

それから駅に近いファストフード店の外でWi-Fiの電波を拾おうとした。ガラケー(それもどのみち海外では使えない契約だったが)も失くし、連絡手段が音声通話なしのスマホのみになっていたが、駅構内では無料の電波につながらなかったのだ。ファストフード店はまだ開いていなかったので店の前の路上で、私はいつもお世話になっている車のディーラーの社長さんにスカイプで連絡を取ったのを憶えている。とりあえず連絡ができて話が通じそうな人がほかに思い浮かばなかったのである。私は彼に、私のカード会社に電話してカードを止めるように頼んで欲しいと言ったような気がする。自分が電話が使えないからだ。社長さんはさぞびっくりしたことだろう。顧客のそんな要求にも応えなくてはならないとは。彼は本人でなければそういう手続きはできないはずだと言った。そりゃそうだ。冷静に考えてみれば当たり前である。私は動転していたのだろう。冷静に考えられる人に話したかったのだ。社長さんありがとうございました。

私は物売りがバッタもんの鞄を並べ始めて落ち着かないファストフード店の前の路上を離れ、今朝出てきたホステルに戻ることにした。すでに予約しているアルメリア行きの列車はあきらめ、一刻も早くホステルに戻って電話を借り、クレジットカード会社に連絡するのが最善であると思われた。
ホステルの受付には数時間前に別れを告げた兄ちゃんがまだいたので事情を話すと、快くでかい荷物を預かってくれ、受付の電話も貸してくれた。私は感謝して心おきなくクレジットカード会社に国際電話をかけた(たぶんコールセンターはイギリスか何処かだったと思う)。それから、兄ちゃんに警察署の場所を聞いた。盗難届を出して、証明書類をもらわなければならない。海外旅行保険で携行品損害を補償してもらうためだ。警察署はホステルと駅の間に近く、徒歩で行ける場所にあった。私はとぼとぼと署におもむいた。

警察署は失くしもの専門のような感じだったが、最初に話しかけた若い警官は私の訴えをいかにも重大な事件のように深刻な顔で聞いてくれ、事務所の中から紙切れ一枚を持ってきてこれに記入しろと言った。その印刷の荒いコピー用紙には日本語で盗難届と書いてあった。日本人用の用紙なのだった。そこに自分の住所氏名、事件の起きた場所や時間、相手の人数(私の場合、一人しか見ていないが推定2人以上だ)などを書き込む。
そして書類を提出してから2時間待たされた。見たところ事務所の中に警察官は余っていて誰も忙しそうには見えなかったがさすがスペインである。私の後にもどこかで何かを盗られたか失くしたかした人々が2組ほど訪れて同じように待たされていたが、警察に急ぐ気配はない。どこへも行けず事務所の外の長椅子で待つこと2時間、提出した紙にどこに2時間かかったのかわからないハンコ一つとサインが添えられて帰ってきた。その紙を何気なくひっくり返して、私は裏面にも記入欄があることに気づいた。そこに肝心の盗られた物品や金額を書き込む欄があったのだ。しまった、本当に必要な情報はこれだ。これを書き込んであらためて提出し直すとまた2時間かかる…!と思った私は、裏面は自分で書き込むことにして持ち帰った。警察も裏面の被害の内容が空欄なのにハンコを押して寄越すとは何も見ていないのである。それなのに2時間!

ちなみに30Lのバックパックに入っていたものは、ノートパソコン、外付けHD、コンパクトデジカメ、ガラケー、羽田空港で買ったばかりのモバイルバッテリー、ドバイの空港で買ったばかりのスマホ用イヤホン、日本円とクレジットカードの入った財布、現金100ユーロくらい?、洗面道具、講習会の書類、スペイン語のテキストなど…。幸いパスポートとスマホは身につけていたので、パスポートの再発行という面倒はなくて済んだ。

ホステルに戻るとすでに午後2時ごろになっていた。とにかく、盗られたものは戻ってこないし、マドリードで出来ることもなくなった。クレジットカードは失くしたがもう一枚デビットカードがあった。パスポートも帰りの航空券も絵の道具もある。私はあらためてアルメリア行きの列車を調べると、予定より遅くはなるものの今日中にアルメリアに着けることがわかった。私は絵の道具の入ったでかいザックを背負い、受付の兄ちゃんに礼を言うと再び悪夢のアトーチャ駅へと向かった。

列車のドアが閉まるまで不安だったがアルメリア行きの列車はスムーズに出発し、私はやっとアントニオ・ロペスの講習会に向けて再出発できたのである。
いったいに、海外では座席指定のある特急列車は出発まではやはり置き引きやスリなどに用心が必要だが、不審者は出発までに降りる(と思われる)ので、出発してしまえば少し安心できる。そういえば、ドバイの空港で7時間待ちの間に、私はヒマなので外務省の海外安全情報ウェブサイトを見ていた。そこで、「列車の発車間際に窓の外から話しかけられて気を取られている間に荷物を持ち去られる」ケースというのを読んでいたのだ。読んでいたのに。カフェで椅子を借りてもいいかとスティーブンタイラー似の中年女に話しかけられるケースは載っていなかった。
アルメリアに着いた時には夜になっていた。予約していたホテルにはスマホで遅れる旨をメールしてあったので問題なくチェックインできた。ホテルに荷を置くと近くの店に夕飯の買い物に出た。1斤1ユーロのパンに1ユーロのハム、1ユーロのチーズを買ってくる。これを私は1ユーロ定食と呼んでいる。長い1日がようやく終わった。

「この椅子を借りてもいい?」

(この絵は今回思い出して描いたものだが、警察で2時間待たされている間に描けばよかったと、5年後に思うのだった。本当にマヌケである。つづく)

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