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感想はひとつ。やってよかった。

「好き」
私の中に、確かに存在する言葉である。それでいて、口にする頻度はほぼゼロで、会話中の使用頻度ランキングなるものが存在するとしたら、後ろから数えた方が早い。

対人関係においては特にそうだ。面と向かって伝えるのは気恥ずかしい。人を選ぶ傾向のある私にとって、そばにいること自体が好きである証拠。身勝手ながら、そう察してほしかったりする。まあ、深い付き合いを見据えた場合に限ったことだが。

一方で、自己対話をするシチュエーションでは、ランキング上位に迫り上がる。
この人の小説が好き。
この音楽好き。
あの映画がツボ、好き。
ぽかぽかって音が好き。
もふもふは正義、好き。
ドーナツ美味しい大好き。

後半の精神年齢が五歳児なのは見逃してもらうとして、好きなものは好きであるから、自分に対して「好き」を表明することに遠慮はない。だが、それらを共有したい、共感してもらいたいと思った瞬間に流れが変わると推測している。好きの気持ちは強いので「あーそーですかー」と軽んじられるくらいなら、内に秘めて変わらぬ熱量で盛大に愛でていたい。独りで。



それでもやっぱり好きの気持ちは強いので、その気持ちを饒舌に語っているのが私の作品です。あれは小説や漫画といった創作物でありながら、私は何が好きで、何を美しいと思い、何を思って生きているのかを投影していると思っています。意識するしないとに関わらず。
作品とはそういうスタンスでいるので、作風から創作者さまに思いをはせることが好きです。変人ですみません。

少し話が逸れましたので元に戻すと、私にとって作品に触れることは、創作者さまの価値観に触れることにも似ていて、さまざまな価値観/世界観を知りたい私にとって、展示販売イベントなるものは絶好のチャンス。言うなれば人の足を得た人魚。未知の世界を冒険し、何を知らなかったかを知り得る機会なのです。

上記の通り脳内五歳児なので取り込めるデータ量と処理能力は微々たるものでしょうけれど(たぶんiPhone3くらい)、それでも作品を読んで、見て、聞いて、心を動かすことで残るものが必ずあるはずで。それがきっと、いつかの未来で創作のタネになるはずで。

ただ、変に頑固な私は、参加するならどんなイベントでもOK!!と言えないところがありました。一次創作が好きなので、そこに絞って検索するとまずイベント自体が少ない(補足:社会環境的にオンライン開催のみ)。サークル参加するにしても「○○カップルオンリー」のようにうたうイベントがほとんどで、「いや俺んちBLだけどそこに着目して欲しいわけじゃなくてヒューマンドラマなんだよメインストリームがよお」っていう謎にオラついた私が出てきたり(何故だよ笑)。好きな作風に辿り着くには、シチュエーションを限定するのが最短距離なのでしょうけどね。お互いに。

オラついたおかげで(??)気づいたことがひとつ。カテゴライズするのも、されるのも苦手。オラつきはきっと、違和感の表れ。

これは極端な私見だと思うので、誰にでも当てはまるわけではなく、押し付ける意図もないです。念のため明記させてもらいますね。

そんな流れの中にいて、出会ったのが某オンラインイベント。見つけた時の俺→「ジャンル宣言がいらない……だと……? 見つけた俺の居場所ーーーっ!!」。秒で参加しましたよね。

それ以前にも一次創作イベントには参加させてもらっていて、さまざまなご縁をもらって感謝しています。これは本当に。そこに加えて、ジャンル分けが不要=なくても良いという概念に目から鱗でした。同じように思う人たちがいるんだな、そう喜んで、ひとりで心をほくほくさせてました。

そしてイベント後の俺→「なんか、俺もやりたい。好きなものを好きと言える場所。楽しいだろうなあ。テーマは、そうだな、愛とかだったら参加しやすいかな。あったかそうだし、何より俺が見たい。みんなのLOVEを布教できてぐふふふf(以下省略)。繋ぎたい。人と人、創作者さん同士。もしもここでの出会いがその後にもつながっていったなら。やるか」

いや短絡的すぎる。いいですか、当時の俺。イベントは、計画性が大切です。君がいちばん苦手としているところです。よくよく考えて行動しましょう。だけど、楽しいよ。みなさんのおかげで、本当に楽しいよ。

実際に振り返るとまあやることはそこそこあって「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ」を何度唱えたかわかりません(それは企画を立てすぎたからダゾ♡)。それでも、参加サークルさまが増えたり、ツイートで作品投稿されているのをお見かけすると元気が出て、やる気がブーストしたりするのですよね。

1回、そして2回目を乗り越え、感想はひとつ。やってよかった。

特に2回目はスペースで直接お話しする機会が持てて幸せでした。名言多発、笑いの絶えない時間でした。みなさま、さまざま経験し、感じとり、思い思いの方法で創作されている。全てを終えて残った感触は、尊敬であり、感謝であり、出逢えて嬉しいな。相手の中に「それわかる」と「へえそうなんだ知らなかった」が共存するとき、私の中に生まれるのは「やだ好きもっと知りたい」。好奇心が顔を出したら止まらなくなる性分でして、ずうずうしい質問ばかり投げて申し訳ございませんでした(陳謝)。


「好き」
私の中に、確かに存在する言葉である。そしてこれからも確かに在って、思いのままに表現していきたい感情である。創作者として、そしてみん好き主催者として。



補足:「さまざまな価値観/世界観を知りたい」理由は、思考の中にある偏りを極力なくし、凝り固まった判断基準を刷新し続け、フラットな視点で物事を捉えたいから、なのです。第一印象でジャッジしない。これが意外と難しい。

補足2:一人称が私、俺と変化するのは木之下あるあるです。(この補足の要否も含め)お気になさらず♡


ゆうりまたやるってよ。
https://pictsquare.net/1la12hi3wbm8huej2ff54u8n7de4jr5a

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