愛されたいの正体。

一人暮らし初めてから結構頻繁に帰っていながら母といい距離取れていいわーと思ってたけど、母との関係は実家にいた時と同じになってきちゃった。逃げただけだったな。

私の中には、母に芸事を目指すことを心の底から認めて応援して欲しい私がいる。

お金の支援もしてくれてるし、反対されてもないけど、芸事の話題になると「へー」と急に私への興味を失うのが、私はちくちく胸に刺さっている。私の1番大事なものだから。

結構最近、真剣に話した時、「まだ本心では安定した仕事に就いてほしいと思ってる」と言われ、私が人生を賭けて芸事の道に進んでいることを理解してないか、理解してくれてても尚、その意思に背いて私が望まない会社勤めをすることを望んでいることがかなりショックだった。私の気が変わって会社勤めを望めばいいなーということなんだと思うけど、その可能性が見えていることが悲しかった。私を見てくれてない感じがした。

母親の気持ちを、他人だからといって「あなたはそうなのね」と切り替えることは私にはまだできなくて、私が1番大事にしてることを話した時に軽く受け流されると、悲しくなってしまう。

別の人だったら全然いいのにね。
「あなたがどう言おうが私は構いません」って、母に対しても思えるようになりたい。

そう。変えたいのは母ではなく私。
母を認めさせることは私にはできない。
だから、ありのままの母を受け入れたい。

「どんな私でも私は私。」
「私は私のままで大丈夫。」
そう思えるように生きることが最近常に課題にしていることだけど、母の前に立つと一段とそれができなくなるし、母という隣人をありのまま受け入れることが難しくなってしまう。

母に気持ちを打ち明けたこともあるけど、だからと言って母が変わることはなかった。それどころか傷つけただけだって、私が辛いと感じているものも、きっと全部母の愛情から生まれている贈り物だったから。私に不幸になって欲しいなんて微塵も思ったことないのは知ってる。病気になった時、母が母の中で私をどれほど大切に思っているのか、よくわかったから。


「漢字テスト100点の賢い子。」
「図工展覧会に選ばれる絵の上手い子。」
「リレーの選手に選ばれた運動神経のいい子。」
「部活で代表に選ばれた努力家。」
いつも母や家族を喜ばせたかった。
もちろん私自身がやりたくてやっていたことだったから、無理をしていたわけではなかったけど、きっと俳優を本気で目指し始めて、母との道が別れたんだと思う。
違う道を歩きながら、「大好きなあなたと一緒にいたいから、こっちの道を歩いてよ!」ってお互いに言い合ってたんだと思う。今は母と話すターンじゃない。
私と話す=私が私を愛するターン。
それが母を愛することにもきっとなる。

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