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24/4/10 伊勢神宮の博物館

 2月中旬、初めて伊勢神宮へ行った。神宮自体も規模が大きく、中の資料館も非常に勉強になったが、今回はそのあとに行った神宮徴古館・農業館について書く。なお、伊勢神宮が運営している博物館は3つあり、徴古館、農業館、美術館である。美術館は時間の問題で、行くことができなかった。
 神宮徴古館・農業館は神宮域内の整備事業を行った「神苑会」の企画により建てられた、日本初の私立博物館である。

伊勢神宮の歴史~徴古館から~

 伊勢神宮では20年に一度、遷宮といい、社殿や神宝を新調して、大御神に、お遷り願う行事がある。しかし、戦国時代、世が争いで荒れていたため、遷宮ができなくなっていた。そこで、織田信長や豊臣秀吉ごろに復活に向けての動きがあった。
 江戸時代になると、世の中が平和になった。お伊勢参り(おかげ参り)が人々の憧れになり、大流行した。3月頃は連日6万人以上となった。
 近代になると、明治維新で皇室を日本の中心とする目論見があり、神宮を国民の拠り所にしようと、政府から積極的に働きかけがあった。家ごとに行っていたお祓い大麻を廃止し、神宮大麻を全国に頒布した。なお、大麻とは「おおぬさ」と読み、神々への捧げものやお祓いに使われる木綿や麻のことを指す(ドラッグではない)。
 徴古館ではこのほか、神宮に奉納された美しい美術品をみることができる。徴古館でも十分作品数があったが、美術館の方へ行くと、もっと数があるのかもしれない。

日本に白菜、リンゴを広めた田中芳男~農業館~

 農業館は、自然の産物がいかに役立つかを伝える日本最古の産業博物館であり、「博物館の博物館」ともいえるという。農業を主なテーマとし、林業・水産業などの資料も展示している。設立責任者は、日本の博物館の生みの親といわれる貴族院議員で物産学者の「田中芳男(たなかよしお)である。田中芳男は、明治時代の近代化の流れの中で、農業の重要性を説き、自らの足で資料収集、調査を行い、丁寧に解説した。何かを成し遂げる人は、他人の考えに合わせず、大事な価値観を貫くということがわかる。
 展示内容で印象に残っているのは、農業用具の犂(スキ)からトラクターに移り変わる変遷である。はじめの犂は、先の金属と木のみであったが、年々徐々に、金具が多くつくようになる。それがいきなりトラクターになっていたのが印象的。

赤福本店にて


期間限定のいちご餡と普通の餡


 帰りは、伊勢神宮近くの赤福本店へ行った。温かいお茶と優しい甘さ、香りの和菓子を食べることができる。周りのお客さんの話声が心地いい。お参りの疲れをいやすスポットで、おすすめである。


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