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僕、漫研でした

高校生の時、部活は漫研(漫画研究部)でした。

中学はサッカー部でしたが、途中で辞めるのが嫌で、しっかり3年やったものの、最後まで馴染めなく「僕って体育会系やチームスポーツに向いてない」と、自分に失望することになりました。そして、高校進学。部活に入ろうとなった時、体育会系は嫌だなあ、と思って入ったのは漫画研究部でした。
思春期にその人の人生の大きな基盤が出来ると聞いたことがありますが、高校の漫画研究部はまさしく、今の自分の基盤の一部を占めている、と自信を持って言えます。あの時、漫研でなくて帰宅部だったら、きっと、数十年たった今、noteのクリエイター(?)として参加していなかったのではないかと思います。

……進学した高校は私立の男子校で、校則も厳しく、当時は校則違反は丸刈りにされる、ということが日常的にありました。
スボーツに力を入れている学校ということもあり、体育会系推薦の生徒さんが多数来ていましたが、文化系もそれなりに数がありました。その中でどうして漫画研究部だったんでしょうか。

当時、角川のメディアミックスが盛んだった時期で、ラノベなんてカテゴリなかった時代に出てきた『ロードス島戦記』でTRPG(わからない方はググってね)を知ってハマり、中学時代は休み時間や部活がオフの日にみんなでお菓子とシナリオを書いたノート、たくさんのダイス(サイコロって呼ばないのです)、手垢がついたルールブックを持ち寄って遊んだものでした。

そんな中学生活を送り、高校に進学したは良いのですが、出身中学から来たのは私一人で、中学時代の友人はバラバラに進学し、遊ぶ機会が激減。クラスメートでTRPGを知っている人は皆無。男子校で、異性交友なんてもありません。さらに当時はスマホどころか携帯電話すらありませんでした。携帯ゲーム機は出始めていたゲームボーイ(辞書みたいな厚さの初期型)くらい。当然、学校に持っていけば没収されて親の呼び出し(運が悪いと丸刈り)になるので、持っていくわけにいきません。と、なると、当時の私には、通学時の読書くらいしか楽しみがありませんでした。

桜が散って、初夏の頃にはすっかり学校がつまらなくなってしまいました。

そんな時に、学校の掲示板で知ったのが漫画研究部。体育会系に嫌気がさしていたし、漫画制作は未経験ですが、もともとTRPGで『物語を創る楽しさ』を知っていたので、試しに部室に伺ってみることにしたのでした。
部活自体は、毎年の文化祭で活動記録代わりに作る同人誌に掲載する作品を描くこと以外の活動制約なし。
それまでの私が学校生活で遊ぶ機会がなかったTRPGも、部の先輩が持ち込んでいて、定期的に遊んでいました。さらに、部活帰りはみんなでターミナル駅のゲームセンターで遊んで帰る、という毎日。親の身になった今では「おいおい、勘弁してよ」とか思いますが、その時の私としては「精一杯の自由」を味わっていたように記憶してます。成績も真ん中くらいで推移してたし。

当時は「オタク」とか小馬鹿にされて歯を食いしばることもあったり、校則も厳しかったけど、TRPGが出来ること、物語を創ること、年は違っても同じことをして、喜びを分かち合う人がいることで、皆勤賞で高校を卒業することか出来ました。
先程も書きましたが、この時期に味わった経験が、後の私を形作ったと思います。

①創作の苦しさと楽しさ
→ 後のnoteの記事やドラマシナリオ講座の受講につながります

②一緒に楽しむ人がいる、ということの喜び
→ 家族や仲間、親しい人を選ぶ基準につながります

③自分の大事にしているものを小バカにされる悔しさ
→ 創作のネタや社会人生活で激する時の基準につながります

④悔しさを跳ね返す『モノ』を持つことの大切さ
→ 社会人になって空手に入門するきっかけにつながります

こんなところでしょうか。今、部活を一所懸命にやられている学生さん、限られた時間で何かに一所懸命に打ち込むチャンスは、社会人になってからでは、ほとんどありません。また、どんなものであれ、一所懸命に打ち込んだことは、知らず識らずのうちに、ご自分の大きな人格形成の基盤になってきます。周囲の事はあまり気にせずに、存分に部活に打ち込んでくださいね。

社会人のオジサンの独り言でした。

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