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ゼッケン 59番

「白、ゼッケン59番、塚田裕介選手……赤、ゼッケン60番……」

 アナウンスが流れ、試合場に礼をして入る。
 主審に促された位置に立ち、対戦相手を待つ。

 主審に礼、お互いに礼、構えて、はじめ。

 慌てずにゆっくりと相手に近づく。相手も様子見のようだ。
 相手のリズムに乗りたくないので、軽めの下段回し蹴りを相手に当てる。

 59番。その日、この番号のゼッケンを背中につけて、私は空手の試合に臨んでいた。
 所属する道場と友好関係のある道場が主催する試合で、いわゆる「他流試合」であった。所属道場主催の試合と違い、アウェイの会場はやはりピリッとした空気を感じる。
 参加したのはマスターズクラス。要は「空手おじさんクラス」である。
第一線で若い選手と戦うのはちょっとキツイ、でも試合はしたいという、意気盛んなオジサン達が参加するクラスで、ほぼ同年代20人ほどのワンデイトーナメントなのであった。
 毎試合ハードであるものの、苦手なタイプの選手と当たらず、かみ合わせの良い試合が続いた。今回は不戦勝で勝ち上がるという幸運も重なり、結果的に入賞できた。トロフィーの存在に改めて入賞したと実感する。

 アドレナリンが抜けて疲労感が出てきた身体を引きずって帰宅。
 道着を取り出して、早速、背中からゼッケンをとる作業に取り掛かる。縫われた糸をハサミで切り、道着は洗濯カゴに放り込む。試合が終わったので、59番のゼッケンは、もう二度と使うことはないのだが、いきなりゴミ箱行きというのも忍びないので、自室の適当なところにおいておくのがいつものことだった。頭ではもう捨ててしまって良いものなのはわかっているが、躊躇してしまう。

 これには理由があった。

 ゼッケンは私が縫ってつけているのではない。
 試合のたび、私が家内に頼んで、毎回縫い付けてもらっているのであった。 家内とはまだ恋人同士だったころ、私が頼んだのが始まりで、それ以来いつも縫い付けてもらっている。
 家事や仕事の合間に作業してもらうので、いつも仕上がるのは試合ギリギリだ。頼んでるくせに「早くしてくれ」と催促してしまうこともある。
 「そんな言うなら自分でやりゃいいのに」「プラモデルとか作れるんだから、裁縫だって出来るじゃん」となどとブチブチ言いつつも、家内はしっかり縫い付けてくれるのであった。
 そんな家内の作業工程を知っているので、すぐにポイと捨てることがどうしてもできない。身の回りの整理をした時に、思い切って捨てるのがせいぜいだ。
 家内の見立てどおり、きっと自分で縫い付けることは出来るのである。
 でも、そんな気にはどうしてもなれなくて、家内に「悪いんだけど……」と頼むのであった。

これも理由がある。

 ゼッケンを家内に縫ってもらうことで、たとえ彼女が会場に来なくても、背中を押してもらっているように感じて試合に臨んでいるからなのだ。

 納得行くまでの稽古をしないまま、その日を迎えることがある。
 残業続きで、疲れが取れずにその日を迎えることも少なくない。
 試合翌日は日常に戻り、ややこしい仕事と向き合わなければならないことを思い出したりもする。
 そんな後ろ向きな気持ちを、試合場に向かう当日の朝、縫われた道着の背中についているゼッケンをじっとみて改めるのだ。そして、試合会場で着替える時に背中に存在を感じて、試合に臨む。

 きっと、これからも試合にでるたびに家内にゼッケンを縫い付けてもらうのだろう。今回みたいに入賞することもあるだろうし、あっさり初戦敗退もあるはずである。
 出来る限り試合で「自分を試す」ということを続ける限り、試合会場で道着に袖を通すたび、家内に背中を押してもらおうと思っている。

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