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事実より小説の方が奇なり

豆腐を見たときに 

「色を塗ってみたい」

と思ったりする。


物事を多角的に見る癖がある。
いや。多角的に見るように心がけている。
どこでアウトプットするでもないが、
面白いものを見たときに "おもしろい!" 以外の
答えを出すようにしている。
その方がいいんだろうな、という自己満足だ。

そんな一人遊びが功を成したのか。

昔から
あなたはエッセイや小説を書いたほうがいい。
とたまに言われることがあった。

国語の先生に小論文を褒められたり
適当に書いた読書感想文が賞を取ったり
反省文を読んだバイトの店長が飯を奢ってくれたり

それくらいのことだ。
別にお金になるようなことではないし
断じて職業にしていいレベルではない。

文章を書くことは昔から好きだった。
から、
せっかくなので小説を書いてみよう。
と思い立ったのが4年くらい前。
2020年の冬。世の中がコロナで騒ぎ出した頃。


【ストレンジテトラ】という"世の中の仕事"に関する現代小説を書いた。
全14話。
仕事をしながら空いた時間にちまちまと書き続けていたそれが今年の夏、やっと完結した。


関西の電設会社で働いていた二十歳の頃。
夜勤で京都駅の近くの電柱の活線作業をしていた。
深夜3時。
新聞配達のおじさんがチャリを漕いで、水商売のお姉さんが帰路に着くのを目にした。
自分が寝ている間にも働いている人がいることを再認識した。
1日の始まりとか終わりとか、そんなものは存在しなかったんだ、と悟った。
僕の知っている世界は、僕の知らない世界の集合体である事実に感銘を受けた。

その日から"自分の知らない仕事"に興味を持った。

お相撲さんの髷(まげ)を結う専門の仕事(床山)や
池ポチャしたゴルフボールを潜って回収する仕事などがあることを知り、今この瞬間も何処かに潜んでいることを嬉しく思った。


だから自然と「どんな小説を書こうか」と筆を握ったときに「仕事に関する物語にしよう」とすんなり入れたのだった。

、今。あの日に戻れるのなら。
ワクワクしながら小説を書こうとしている自分を全力で引き止めて、胸ぐらを掴んで1発ぶん殴りたい。

なんで長編にしたんだよ。


初めて物語を書くんだったらとりあえず短編小説とかにするべきだろう。1話で完結すべき。

小プールから入って徐々に身体を慣らしていくところをコイツいきなり10mの飛び込み台から背面で飛びやがった。

そして主人公に"4の倍数文字でしか話せない"というオモシロ縛りを設けたせいで話を終わらすのに3年かかってしまった。

ほんとに反省している。
終わりは見えていたけど終わる気がしなかった。
せめて3mの飛び込み台だったら。

何を勘違いしたのか全14話もある長編を下書きも構想もせず書き切れると思っていたのだ。
挿絵なんかも毎回描いてたもんだからそりゃあ3年かかる。
明治時代だったら4畳半の部屋で練炭自殺してる。
作家でもない奴が。


主人公の鮫川音季(さめかわとき)は特に名前の由来やイメージした人物はいない。
強いて言うなら、財布が落ちていたときに脳内に現れる「交番に届けましょう👼」「馬ァ鹿!パクっちまえよ😈」と語りかけてくるインサイド・ヘッドのジェネリックみたいな奴だと思っているので、実質ストレンジテトラの主人公は女版の自分だと思っている。
自分が普段思っていることを存分に小説全体に落とし込んだので、気持ちよかった。
おそらく鮫川音季も豆腐に色を塗るタイプだと思う。

特に需要もないと思うし長くなるので、
各キャラクターの誕生秘話やら各話の解説なんかは割愛する。


小説を書く前と書いた後で何か変わったか、と振り返ると、結構劇的に生活が変化した。

ものの見方や人との付き合い方からガラッと変わったし、会話の中でのフレーズとしての言葉の並びや文字数などが気になるようになった。
対話時のアップデートはされたと思う。

また、『小説』という世界は作者が絶対的な創造主であることを身を持って体験できた。
登場人物はいつでも殺せるし、1秒で不幸のどん底に突き落とせる。
どこにも披露する場がないクソみたいなギャグも昇華できる恐ろしくも愉快な場所だった。

文字と空想で世界を創造して脳内旅行ができたのは20代のいい思い出になった。
また機会とやる気があれば、たまには小説を書いてみるのもありだな、と思う。

フィクションなんかに負けないように
この日々も波乱に富んだ物語になるように
色を付けていく。


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