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怒ることに意味を見いだせなくなった日とその後

実は私はキレキャラで、たった1つの言葉が刺さって今がある話をします。

この日は鮮明に覚えている、という日ありませんか?そんな日とその後の学びを書いてみたいと思います。

はじめに

(今回は衝撃的な話は全く無く、本当に普通の話です。恥ずかしいくらいの過去の自分の話とその学びです。期待値は最低レベルで。ただのメモに近いです。)

先日の記事を読んでいただいた方数名に「優しい」とおっしゃっていただき、うれしく思いました。

しかし考えてみると私はキレキャラでした。前半ではどんなことをきっかけに変わってきたかを遡り、最後では今の考えを書いてみたいと思います。(最初に、前回の記事のような衝撃的な話はまったくございません。)

負けず嫌いのサッカー少年時代

幼少期からサッカーが大好きだった。小学校一年の年がまさにJリーグ開幕の年。ほぼJリーグ元年。埼玉県出身といえば、もちろん浦和レッズの大ファンである(ごめん大宮)。(ゲットゴール福田。支える柱谷(幸)。GK土田。)寒い冬になると、少し大きい浦和レッズの黒いベンチコートを毎日羽織っていた。でも、最初は弱いチームだった。

おれはレッズの選手になる。と思っていた。それはさておき。

ただひたすらに負けず嫌いだっだ。

小学校一年から地域のサッカーチームに入った。ポジションはFW。理由は背が低くてすばしっこいから。昔は背が低いことにコンプレックスがあったが今は個性だと思うようにしている。背番号は3。入部順に背番号が振られた。隣の号棟に住むりょうちゃんが一番最初に入部して背番号2を取っていた。それくらいですごく悔しかった(1 はGKのため空き番号)。それだけで負けた気がしていたくらい悔しかった。

試合になれば、負けたり、ミスしたりするとチームメンバーに文句ばかり言っていた。自分が大会でPKを外すと悔し泣きすることもたまにあった。それくらい感情の起伏が激しかった。トレセン(地区の選抜チーム)に選んでもらえず内心非常に悔しかった小学校時代だった。

チームを分裂させた最悪のサッカー部キャプテン

サッカーをしていたらあれよあれよと時が経ち中学生になった。部活は迷うこと無くサッカー部。この時スラムダンクが隆盛だった。バスケに人が流れ、サッカー部は自分の学年はたったの9人。後輩を入れないと1チームも作れない超弱チームだった。Jリーグ発足当時の浦和レッズのようだと思った。

中学サッカー部に入るとまず、なぜかDFへコンバートされた。すぐにボランチ(セントラルMF)へ行った。そこが私の天職となった。トレセンにも呼んでもらえた。ある種、小さな世界の天狗になっていた。

ボランチはFWとまったく異なり、パスを散らしリズムを作る。これまでやってたFWへパスを供給する。パスコースを消して守備をする。自分ではなく他人を活かす立場で、これまでとは違う立場になった。これまではりょうちゃんからのパスで自分が決めていた。このコンバートにより他人への苛立ちもさらに増えていった。トラップミスをされれば腹が立つ。ギャップに顔を出してこない周りにも腹が立つ。プレッシャーをかけるタイミングを逸する後輩にも怒鳴り散らかしていた。練習が終われば、片付けやトンボかけを真面目にしないメンバーにもひたすら怒っていた。

それでもいつしかキャプテンに任命された。自分は正しいと思っていた。

心の底から勝ちたかったのに、市内最弱のチームだった。少しでも勝てるチームをどうにか作りたかった。

ただ、チーム内には、ヘラヘラ真面目に練習をしない人。サッカーが大好きで、勝ちたくてサッカーをしてる人。部活だからとりあえずやっておこうとする人がいることに気づいた。特に、ヘラヘラ時間さえすぎればいいと思っている連中は、練習も明らかに手を抜いてた。とにかく、そこが気に食わなかった。

ある時部活のミーティングで、自分と誰かが提案をした。

「"ただヘラヘラして時間を過ごしたい組" と "サッカーして勝ちたい組" に分けたい」

そして、その提案が通り、チームが2つに別れた。結果的には別れてしまった。練習メニューも全部違う。自分は勝ちたい組の練習しか見ていなかった。こっちの方がむしろ楽しいと思っていた。言い方を変えればキャプテンなのに片方を捨てた。

ただ問題は、勝ちたい組だけではチームが作れなかったことだ…試合をすればチグハグ。もっとムカつく。悪循環だった。完全にチームが分裂した。

サッカーの時は人格変わって怖いよね。

と言われていて、それがむしろ当たり前だと思っていたし、心地よくさえもあった。起伏の激しかった中学サッカー部時代。多感な時期と言うがまさにこの言葉がびったりだ。

優しくなろうと改心した先生の言葉

「トク、キレすぎたな。そのままだとずっと孤独だな。」

サッカー部引退の日。部活の先生から言われたこの言葉。未だに覚えている。しかも、先生は満面の笑みだった。

話はややそれるが、サッカー部の先生は元レスリングの選手だったらしい。全国大会で準優勝したことがあるらしく、かなり強くて有名だった。まさに日本レベルの人だった。いつも朝はランニング。湯気が立ち上る。そして、鉄棒にタックルをしている。体格はいかつく上腕二頭筋が大きかった。ラジオ体操をすると、中指を肩につけることができないくらい、上腕二頭筋があった。耳たぶも擦れてなかった。そんないかつく強く実績のある先生でも、怒鳴って何かを解決しようとしているのを確かに見たことがなかった。それに当時はまったく気づかなかった。

なぜに引退の日に言われたのだろうか…

あの言葉でハッとしてしまい、最弱のチームで引退したことに加え、かなりしょぼくれた引退の日だった。

自分では全然わからなかった。それが悪いとさえ思っていなかったからだ。それに、メンバーに謝ることもできなかった。だがこの日が自分の中で変われねばと思う日だった。だから、この日はよく覚えている。

その後考えていること

怒っていると孤独になる

振り返ってみると確かに孤独だったことによく気がついた。中学時代はそれなりに各々の仲の良いグループが散らばっている。自分は一つすごく仲の良いグループがあったが、サッカー部の人は誰もいないグループだった。成人式の日にもそれを実感した。中学卒業後に埼玉から東京に引っ越したのもありそれなりに疎遠だった。

サッカーばっかりやってきたけど、チームは強くならなかったし、孤独だったのかもなと感じた

怒っているとなぜ孤独になるのか?怒っていると、みんな表面的には優しく接し、何ごともないように接してくる。何か言うとキレる人は、静電気のようなもので、突然パチッとなり、反射的に怒る。

そして周りも嫌になる。

怒りというのは伝播するものだ。怒りの被害が直接無かったとしても、周囲にはその負の熱が飛んでしまっている。「あいつにはなるべく触らないようにしよう。当たり障りのない会話で終わらそう。とりあえず、ご機嫌はとっておこう」という雰囲気になる。そもそも怒っている人に近づこうとする人は少ないだろう。

深い関係性どころか、普段の他愛もない会話でさえ支障が出ていることに気づかない。

これはオフィスやSlackチャンネルでも同じだ。プンプン怒っている人には人が寄り付かない。でも仕事はしないといけない。周りの精神は疲弊する。負の効果でしかない。

結果的に他愛もない会話や深い会話ができなくなる。フィードバックを正しく受け取ってもらえない人となる。そうするとありがたいフィードバックも来なくなる。そして、孤独になる。

これはフィードバックを受け取る訓練をしてこなかったから、というのも一つあると思っている。フィードバックを受け取る訓練は、思った以上に大切だと痛感する。

怒って良くなることはほとんど無い

悪態をついたり、大声を張り上げ怒鳴り散らしてものごとを解決したとしても、それは瞬間的なもの。長期的には逆効果になると思うに至っている。

あの日から無意味に怒らなくなった。怒らないようにしてる。社会人になって怒る人に出会い、さらにそれを実感した。

怒鳴って何かが変わったとしても人の心は離れていく。長期的には悪影響。怒る人の自己満足に過ぎない。

怒った本人はどういう心境かはわからないが、会社クローズ処理の時も罵倒に近いことをされた。そして、心はすべからく離れていった。

(申し訳ない。社会人になって大声で怒ったことが一回だけある。フットサルをしていた時に、自分のチームメンバーがラフプレーをされ「おい!」とついベンチから大声を上げ、フットサルコートの端から端まで届いたことは一度だけあ...)

怒る人を見ると、私は逆効果なのにな、と思ってしまうようになった。そういう人とはむしろ、自分の心の平穏のために距離を置くようにさえしている。

怒って長期的に良くなることはほぼない。子育ては難しいが…

そもそも怒るのはどんな時か

なぜ自分は怒っている、怒っていたんだろう?

なぜそこでミスをする?なんでそこでギャップに顔を出さない?トラップミスをする?パスミスをする?トンボかけない?

これくらいのことでただ怒っていだ自分を振り返ってみることにした。

・人に対する期待値と実際の行動に乖離がある時
・「自分はこうすべきだ」というような個人的な理想の姿 (期待値とほぼ同義がもしれない) と実態に乖離がある時

が主な理由だった。

前提も違えば、考え方も違う人たち。まして育った国や環境が違えば、根本的な考え方さえ全く異なる。自分の期待値や理想を人に押し付けたところで、相手は相手の期待値や理想がある。そこに乖離が出るのは当たり前だ。

仕事場では期待しないというのもない。チームがあれば目標を作り目指す。そんなときは、期待値に関してよく擦り合わせ明確にドキュメントに落としておくことが重要だと学んだ。曖昧な状況で、認識の乖離が起きてしまうのはもったいない。それをもとに怒っても仕方ない。

そして、怒らないために

怒らないために何を考えているか。

1. 過度な期待はしない
2. 期待する時は明確に納得いくまですり合わせる
3. 人間誰しもミスや間違えを犯す
4. ミスは人ではなくプロセスにある
5. ムッとしたら深呼吸
6. なんでだよ!と思う前に、何があったんだろう?という問いに変える
7. 良い音楽をかすかに流しておく
8. いつも笑顔

こんなことを考えている。というか、こういうことができるよう心がけているという方が正確だ。自分は仏ではないのでイラつくこともたくさんある。完璧とは程遠い。できないことも多々ある。ただ、できるだけ怒りの感情はコントロールするようになるべくしたいと心がけることが重要だと信じている。

人はミスをしたり、目標未達になったりすることもありえる。頭ごなしに怒ってもほぼ人の心は離れていく。というか、私の心は離れる。

ひとそれぞれ仕事以外の生活がある。それがむしろ基本だ。その生活に何か問題や不安なことがあったら仕事に集中できなくなることもあろう。プロフェッショナルであってもプライベートな部分で辛いことがあれはミスしてしまうこともある。体調、家族(ペット)、お金、勉強、人間関係など色々ある。これが3つ重なったら本当にたちが悪い。

人それぞれの生活を尊重しないで、勝手に曖昧に期待してしまうということはぜひ避けていきたい。

怒ってものごとを解決せずに、心穏やかに過ごした方がハッピーである。

そんなことを考えながら今日も眠りにつきたい。そうだ、アリストテレスの本が読みたかったんだ。

Photo by Michał Parzuchowski on Unsplash

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