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我々と敵

†フェルナンド・バエス『書物の破壊の世界史』八重樫克彦、八重樫由貴子訳

という二分法は、政治の世界で友敵理論としておなじみの人間の分割法だが、そうした習慣が世界史のはるかな時間スケールにわたり根深いものであること、そしてその状態はひょっとすると「書物」というトポスにおいて強烈に顕れるものなのかもしれないことは、『書物の破壊の世界史』が説くところである。著者は、幼いころから書物に親しみをもち、その本が失われる事態があることに思いを至らせたときから、その研究に没頭してきたのだという。この本はそうした著者の書物についての博覧強記たる愛が存分に詰め込まれた、書物の破壊というテーマ一点だけを網羅したビブリオグラフィーだ。

戦争、災害、略奪、焚書、検閲、規制といった書物の被る運命についてのトピックが、粘土を扱うシュメール人の時代からkindleで本を読む我々の時代まで、ありとあらゆる時代と地域の事例をかけて、書物の破壊の歴史を著者のバエスは記す。まず偏執的でテーマ性の強い書物についての辞典とも楽しめるし、分厚い本ながらもその話題の興味深さからかリーダビリティは高く、あっという間に読めてしまう。書物を焼きたがる傾向のあるプラトンはライバルであるデモクリトスに敵愾心を燃やし、彼の書物をすべて焼こうと企んだ、など世界史上の有名人にかんするおかしくも業を感じさせるエピソードから、オリエントの図書館の消失についてのドキュメントなど、人間がいかに書物に対して文字通り執念を燃やしてきたかについての説話群は、トリビアルな好奇心を満たすだけでなく、その裏側の人間の知性の運命までも描いている。

そうした書物の破壊についての通史的な考察がなされるはじめに、バエスは人間が書物を破壊する事態についての普遍的な洞察をまず記している。いわく、書物の破壊とは単なるモノの破壊ではなく、それは記憶やアイデンティティといった、個人や集団、国や民族の象徴への攻撃なのだと。戦争での空爆で書物や軍事施設でもない図書館がターゲットに選ばれるのは、意味のない行為ではない。それは、敵側の最たるシンボルへの攻撃として選ばれるのだと。書物を破壊しつくすビブリオコーストは、そうした人間の理念や民主的な権利に対する象徴的な攻撃であるのだ。

そうしたビブリオコーストは、それゆえに決して非理性的な行為ではなく、むしろ知性があり教養も高い個人や集団によって扇動されるとバエスは念を押す。その破壊者は、こんな具合に徹底的に解剖される。

全般的にビブリオクラスタは用意周到な者たちだ。つまりは頭脳明晰で敏感で、完璧主義者で注意深く、並外れた知識を有し、抑制的な傾向が強く、批判を受け入れるのが苦手で、利己主義で誇大妄想癖があり、中流以上の家庭の出で、幼児期・少年期に軽いトラウマを抱え、権力機関に属していることが多く、カリスマ性があって、宗教・社会の話題に敏感、おまけに幻想に浸りがちである。

こうした網羅的な記述はおかしみを誘うが、しかし一方で唸らされてもしまう。『書物の破壊の世界史』というハイブラウな本書を手に取る教養の読者のことだ、つまりビブリオコーストはあなたがおこなうかもしれないものなのですよ、と宣告されているようなものではないか。こうしたおぼえを禁じ得ないのは、私だけではないだろう。

ここには、書物というフィールドを通して、飽くなき人間の暴力性が集団に対して分割線を引き、手を変え品を変え反復されることの事実がある。バエスは、そうした人間の負の部分を全編にわたって書き切っている。知識や記憶の集積であり学問や民主主義の基礎であるはずの書物が、他ならぬそうした理念への徹底的な攻撃を呼び起こす。それでは、我々はいったい何のために書物を生み出したのか。人間の本性が痛烈に問い返されている。


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