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二酸化炭素と人間の脆弱さ

†ジェームズ・ブライドル『ニュー・ダーク・エイジ』久保田晃弘監訳、栗原百代訳

私の思考の基盤はどこにあるのか。自由に考える心の存在か。それともそれをニューラルネットワークの挙動に還元される脳の存在か。いずれにせよこうした考えは、明晰さの観念に目覚め頭のなかで自由に物事を想像することのできる自律した人間の存在を前提とした、人間中心主義の思考である。

こうした人間のナイーブさは近年のエコクリティシズムによって批判的に再考されていることはよく知られたとおり。そしてその視点に立つなら、人間の思考の基盤もまた、それを取り巻く環境の形態によって成立しており、またたとえば気候の変動などにより簡単に左右される。いったい私はどこで思考しているのか、いやなぜ物事を考えられていられるのか。

ブライドルは、近代以降空気中の二酸化炭素濃度が飛躍的に増大しつつあることを指摘し、産業革命以前には二八五ppmだったものが二〇一五年には四四〇ppmを記録、そして現在の増加ペースで計算するなら今世紀末には一〇〇〇ppmを超えるだろうと予測する。

一〇〇〇ppmの濃度では、人間の認知能力は実に二一パーセント低下するという。ブライドルは、現在産業都市ではすでに五〇〇ppmを超えており、まして換気の悪い住宅、学校、職場といった屋内ではたいてい一〇〇〇ppmを超えてしまっている現状について述べ、さらに高い濃度では人間は明晰に思考することができなくなってしまうと述べる。二酸化炭素の圧倒的量の前では、人間の思考などは実に脆弱なものでしかない。

人間はその身体内部の機能はもとより、それを包む環境、澄んだ空気、確かな大地、そうしたものによって思考が可能になる。人間とその外部の環境を循環する二酸化炭素。こうした眼には見えない、しかし確実に存在し、生物と世界をつなぐ、膨大な物量のネットワークの機能のもとで、人間は立っている。

 二酸化炭素は知性を曇らせる。明晰に考える能力を直接低下させる。そして私たちは、二酸化炭素を教育の場では壁で囲み、大気中には送り込む。地球温暖化の危機は知性の危機、思考の危機、別の方法で考える能力の危機だ。ほどなく私たちはまったく考えられなくなるだろう。
 認知能力の低下は、大西洋横断のジェットルートの崩壊や、通信ネットワークの損害、多様性の抹殺、歴史に関する知識の蓄積の消去といったスケールで反映されている。これらは、ネットワークのレベルで考えること、文明規模の思考と行動を支えることが、これまで以上にできなくなっていくことの前兆である。私たちが自身の生活系を広げるために築き上げた構造、すなわち認知と触覚にもとづく世界とのインターフェイスは、ハイパーオブジェクトの到来によって支配された世界を感知するための唯一のツールだ。それを認識し始めるのと同時に、そうする能力がするりと手の内から逃げていく。
 気候変動について考えることが、気候変動自体によって弱められている。ちょうど通信ネットワークが、軟化しつつある土壌によって損なわれてしまうように、絡まり合う環境とテクノロジーの変化について議論し行動する能力が、複雑なシステムを概念化することができないために減じられてしまうように。なおかつ、現在の危機の中心には、ネットワークというもう一つのハイパーオブジェクトが存在する。インターネットと生活様式、それらが織りなす思考法。(略)
 ネットワークが私たちの築き上げたリアリティの最高の表現であるのは、それがとても考えにくいからにほかならない。私たちはそれをポケットに入れて持ち歩き、それを運ぶための鉄塔と、処理するためのデータの殿堂を建てるが、それらを個別のユニットに還元することはできない。非局在的で、本質的に矛盾をはらんでいる――そしてこれは世界そのものの状態である。ネットワークは連続的・意識的・不可知的に創造されている。新たなる暗黒時代に生きるには、そんな矛盾と不確実性を、そんな実用的な不可知の状態を認識することがまず求められる。

激しい気候変動、止まる兆しの見えない地球温暖化。ブライドルは、こうした不安定で先が見えない加速する現実を、暗黒時代の到来という言葉で語っている。

こうした悲観的で、しかしある意味その不透明な未来によって思考のフロンティアを刺激するような語彙を使用するブライドルが依拠しているのは、これまた近年の思想の分野で著しい発展を示すハーマンのオブジェクト指向存在論の近傍で思考しエネルギーを得ている、ダークエコロジーやハイパーオブジェクトといった思考概念を提唱するティモシー・モートンの思想である。

ブライドルはモートンの思想を援用しながら、今日のネットワークもまた、人間を取り巻きつつもその知覚にとってはあまりにも巨大で膨大なデータ物量によってしか全体的な把握の難しいもの、一つのハイパーオブジェクトであるという。

汚染された環境、不可知なネットワーク。ハイパーオブジェクトに取り囲まれて生存が可能になっている人間は、しかしその切り崩された環境によって危機に瀕している。思考の基盤すら奪われている人間にとって、ではいったい何が思考可能になるというのか。ブライドルが書く現実は、炭鉱のカナリアよろしくその危機を書きとめ残そうとするアイロニカルな一端の痕跡である。とりあえず、それを見ることからしか進めない。


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