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じっくりと、ゆっくりと。遅れてきたからこそ

 「ネット興亡記」を読んだ。今までもネット界隈での自分の同世代や下の世代の活躍はそれなりに知っていたが、改めてまとめて見てみると、自分も必死で何かを為そうとやってきた同時代がこのような面白い時代だったのに、自分が1ミリも関われていない忸怩たる感覚が強く残っている。

 その中で周回遅れながら、自分のやるべきことも見えてきた。

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 それなりにチャンスはあった。

 思春期に強く反発した父親に、英語とパソコン(当時インターネットという言葉はなかった)だけはやっておけ、お金はいくらかけてもいい、と何度も言われた恵まれた環境を全く活かせなかった。(英語は35歳になってやっと思いたって受験英語だけと決めていた自分の殻を破ったが、あまりにも遅かったことを10年間悔い続けているし、ネット絡みに至ってはいまだに弱いまま・・・。)

 団塊ジュニアである我々の世代は、パソコンのハードの進化は小学校の頃から感じていたし、社会人になってすぐWindowsが会社にも入ってきた。

 1995年という氷河期ながらも希望通りの大企業に就職。経理部というスタッフ部門でも複数人に一つのPC配備で、それが一年立たずに全員に配備された。新入りの自分は役員会議用の書画係で、手書きの上司の資料をワープロで間違いのないように転記し、OHPでコピー機で焼き付けていたところから、2年目には会社で初めてパワーポイント を導入された。パソコン通信で20分かけて大阪の本社から東京の事業部に資料を送付していたのが、マイクロソフトメールで瞬時に届くようになった。今後のITが進むだろうなあということは感じてはいた。

 その後20年以上、一つの会社にいて、営業・マーケティング・事業開発・人事の各分野で自分なりには社会的にも新しかったり、面白かったりする仕事をしてきたつもりはある。動きにくい伝統ある日本企業の中で、一つづつ社内や社外を巻き込んで、新たな動きにつなげてきた自負もあった。

 だが、ダイナミックに動いていた世界とは違うところで、あまりに限定されたインパクトであった。社会の中での重心が移りいく中での、コップの中での嵐にもなれない風程度のことだったな、と。

 

 でも、今になって考えてみると決して無駄な期間ではなかったし、むしろラッキーな立ち位置にいることに感謝している。

 大企業にいたから体験できた幅広い経験。高度成長期から続く大企業に蓄積された、経験やネットワークに繋がれたこと。それに信頼面や資金面でも耐えれるリスクの範囲が広がったこと。

 また、大きくなればなるほど動きにくい組織で動かし続けたプロジェクトマネジメントのスキルは、これまでの25年間でITのインフラが整った中でも解決できなかった複雑に絡み合った社会の課題を解決していく大きな武器になってくれることだろう。

 大企業の中にマグマのように眠っていて噴き出そうとするパワーがギリギリまで溜まっていることを考えても、自分でライフワークと定めた「社会の課題と大企業をつなげて社会にインパクトを与えていく」ことに、非常に有利な立ち位置だと感じてきている。


 社会の課題は解決の難しい問題。システムをITに入れ替えたら解決するものではない。企業の中で自分を解き放てないマグマのような力も溜まっている。この力を結集し、新たなテクノロジーのインフラも利用しながら、遅れてきたものならではの世の中へのインパクトを実現していきたい。

 

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