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立場から感じることを超えて、前に進むために

 先週はあるインフラ企業にOTDワークショップを実施した。
 参加者の反応から、他の同様に受講した通常の参加者との感覚の違いを感じた。そして、インフラ企業という立場が作り出す違いから、一般的に前に進むための難しさについて考えた。

OTDワークショップは、グループ対抗のゲームを通して、多様な構成員を包摂する組織づくりにおいて鍵となる視点を体感することを目的としています。https://otd0507.org/workshop/

 詳しくはネタバレになるのでここでは言えないが、このワークショップを通じて人間は自分のおかれたルールや環境、さらにいうと社会や組織の前提についていかに気付けないかということを体感する。

 ワークショップの中で自分が置かれたルールで損をしているということが判明した時、通常の反応は、その参加者は自分個人の問題でないことにほっとして、安心をする。

 一方、今回のインフラ企業の参加者の声としては、「いらっとした」「イライラした」というものが特徴的に上がってきた。

 つまり、自分の能力でなくルールがその結果につながっていることが判明したときに、自分の能力への疑いがなくなって個人としてほっとするのではなく、そのルール自体に憤りを感じていたのだ。

 これは、インフラ企業という社会に広く公平なサービスを提供する立場から、ルールや環境の一部を担っている責任のとして身につけているということを感じた。

 と同時に、ルールや環境から与えられるものに対する信頼が壁となり、新たな一歩を踏み出すときの難しさにもつながるということも感じる。

 コロナはじめこのおかれた状況が激変し否応なく変化を求められている今、そのルールや環境は公平なサービスを提供するために守り続けるものなのか、新たな一歩を踏み出すための壁になっているのか。

 これはインフラ企業に限らず、それぞれの今のおかれた立場で、どのようなことを求められていて、ルールや環境に対峙するべきかの視点が必要ということだろう。


 世界で最も安心安全な社会を作ってきた日本社会だからこそ、この変化が求められる現在、より問われているのかもしれない。

 前に進むべき時に超えないといけない壁について、インフラ企業という最も安心安全な社会の礎である組織の感覚の違いをもとに考えてみた。


 

 


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