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観覧車篇【ひとり上手とよんでくれ】

車で30分以上走ったここも、地元といえば地元。
「平成の大合併」であとから増えた部分の「地元」だから、
「つけまつ毛」みたいな地元。その「つけま」の観覧車のある公園に着いた。

近くで用事を済ませた帰り、道路脇の看板を見つけた。なんとなくその時の気分で、なんとなく近くを通るだけのつもりが、気づいたら駐車場専用レーンに乗っていて、100台は停められそうな広大なスペースに侵入していた。停まってるのは4、5台。アスファルトに引かれた進路誘導の白い矢印を無視してガラガラの駐車場を突っ切っている時、ちょっと悪いことをしている気がした。

公園と言っても、たしか昔は小さな遊園地だった公園。その名残の観覧車。現在は隣のもっと広大な敷地に、キャンプ場やロープウェイがあると、新しい観光案内板が教える。そのあたりの事情に全く接触することなく過ごしてきた十数年間の生き方を問い直そうとして、やめた。
晴れた土曜日の16時。

公園の名前にもなっているシンボルの大きな池は、明らかに水量が少なく、緊張感のない怠惰な色が横たわっているだけで、絵の具の筆を洗ったバケツを、みんなここへ捨てに来てるみたいだ。
観覧車までの道すがら、足漕ぎボートの「はくちょう1号」「はくちょう2号」は、岸辺に打ち上げられたまま池に背を向けてるのが見えたし、UFOの開いたハッチから長く伸びているすべり台は、黄色と黒のトラロープでぐるぐる巻きに拿捕されていたし、空っぽの小さなゴーカートの周回コースでは、十何週目かの冬が最終コーナーを回っていた。
顔のあたりまで垂れ下がっている、まだ「桜」じゃない桜の木の枝を意味もなくタッチしながら歩くと、観覧車のふもとが見えて来た。
動いてる。
近くで見たら結構小さい。ゴンドラの数は16機。

券売機の前にはベンチがあって、座ってるおばあちゃんは、孫が降りてくるのを待っているんだろう。
ここまで来たら乗ってみたい。乗ってみたいけど、おばあちゃんに見られてるのは恥ずかしい。
180センチの成人大男が、ひとりで観覧車に乗ろうとしてる姿はどう映るだろうか。どんな顔でおばあちゃんの前を横切ったらいい。会釈くらいした方がいいかな。あえての無表情だろうか。不審者と思われないためにも、あの頃のエビちゃんくらい口角を上げた笑顔がいいだろうか、それは余計に不気味か。ていうかマスクしてるんだった。そんなことを考えているうちに、なんかどんどん面倒くさくなってきた。すると、公園の奥の広場の方からカップルが歩いて来た。二人で観覧車を指差し見上げながらこちらへ来る。あー、乗るんだ。おばあちゃんと孫に見られるより、カップルに見られる方が嫌だな。

だめだ、やめた。もういいや。そもそも観覧車に乗るのが目的だったわけじゃないし。全然マイナスじゃない。全然問題ない。出不精の自分が、ついでとはいえ、ここまで来られたことをまず褒めよう。全っ然問題なし。また今度来ればいいんだし。

来た道をとぼとぼ引き返す。
こっち側から見ると、池には新調された「ボート乗り場」の看板があったことに気づく。はくちょう1号と2号の顔も見える。
やらなくてもいい理由を探している。
出来ない理由が見つかると安心する。いつもそう。
今日も何も描かなかったくせに、空のバケツで筆を洗うフリだけして、また立ち去ろうとしている。1号と2号がそれを見ている。
小さな波紋すら拒んで、それを安寧だと思って生きている。滞って濁った怠惰な色に、肩までどっぷり浸かっている。それをなんとかしたいと、もがいた時期もあったけど、最近はすっかり落ち着いてしまった。

笑い声が近づいてくる。さっきのカップルだ・・・。
その後ろから、小さい女の子が走って来る。「道路に出ないのよ!」さっきのおばあちゃんだ・・・。
あれ?・・・ってことは?・・・ってことは!!

急げ、乗らないと!ずんずん歩く、誰かに見られる前に。
枝にタッチする余裕はない。急げ!なにかに追いつかれる前に。
観覧車のふもとの小屋が見えて来た。中にはオレンジ色の帽子を被った係員のおじいさんがいる。気づかれる前に減速して、券売機の前。
へぇー、最大4人まで乗れるんだー。おとな1人だと210円かー。まー、ちょうど時間あるし、乗ってやってもいいけどなー。
名もなき偉大な先人が発明した、余裕と気だるさを同時に醸し出すことが出来る体勢、そう、片足体重で立ち、後ろ手に組んでいる。
財布を取り出し、焦る手を悟られないように小銭を取り出し投入する。と同時に背後で小屋の扉が開く音がした。
ナイス!オレンジ帽子のおじいさん。
チケットを取り、歩く速度はゆっくり、焦る気持ちだけが体を追い越し、ずんずん歩いた。誰かに見られる前に。羞恥心に追いつかれる前に。
ベンチのおばあちゃんに見られるのは嫌だけど、係員のじいさんは仕方ねえ。じいさんも長く係員やってりゃ、変な客の一人や二人見て来ただろう!まあ3ヶ月前から始めたバイトのじいさんかも知れないけどっ!
乗り場までの数段の階段を、身軽な自由人みたいに一段飛ばしで上る。観覧車に乗るだけの謎の強固な決意を悟られないように、目一杯肩に力が入った脱力感で言った。
「こんちはっ」

時計回りでやってくる原色のゴンドラは、近くで見るととても小さい。
「これでいい?」と、オレンジ帽のじいさん。
青は嫌だ、絶対赤がいい!と言うとでも思ったか?どれでもいい!いや、これがいい!誰かに見られる前に今すぐこれに乗せてくれ!
「あー、いいっスよ。(おすまし顔)」
オレンジじいさんが開けてくれたドアは、成人大男は半身にならないと乗れないほど狭く、向き合っているベンチイスは、幼稚園バスみたいに小さい。
ゴンドラ内部を断面図にすると「凹」の形になっていて、ベンチイスの片方に座るとゴンドラは明らかに傾いた。
あれ、ちょっと怖いかも。
じわじわ上昇するにつれ、ギシギシ揺れるのがわかる。まさか止まったりしないよね?点検はしてるんだろうか?ペンキは塗り直したようだけど、その時部品の交換とかはしたんだろうな?怖いな、高所恐怖症じゃないはずだけどな。『すずめの戸締まり』を観たばかりだからかな。突然、「向こうの世界」が現れて誘われたらどうしよう。
いやマジで、止まって閉じ込められたらどうしよう。

地元テレビ局のニュースに、唯一の乗客としてインタビューされるだろう。
「なにか異変は感じましたか?」
(顔出しNG)「まあ、ギシギシと音はしていましたけど、風の影響かなと思ってました。」
「怖くありませんでしたか?」
「いやー、別に。」
「閉じこめられている時の様子は?」
「ベンチイスに座っていると傾いていたので、上昇してる半分ぐらいのときから、凹の真ん中部分で蹲踞の姿勢を取ってました。」
「ソンキョの姿勢?」
「あのー、相撲の、懸賞金もらうときの。」
「あー・・・。」
インタビューが終わったころには、頂上。
そうだ、ちゃんと景色を見ておかないと。せっかく乗ったんだから、元取らないと。こっちが町の方で、こっちが例のキャンプ場。こっちが来た道で、こっちはただの雑木林。体の向きを変えながら、ゴンドラを出来るだけ揺らさないように四方を見回した。そして気づいた。
降りるとき誰かに見られるかも。

乗るときは良かった、周りに人がいないことを確認出来たから。降りるときは、オレンジじいさんが開けてくれたドアから否応なく出ないといけない。全身黒づくめの成人大男が半身でのそっと出てきたら、不審者に見られるだろう。ていうかそもそも見られたくない。ゴンドラ内からでは死角もあって下の様子がよく見えない。最後の4分の1はずっとそわそわしていた。
あっと言う間に下に着く。開くぞ。行くぞ。いま出来ることは、半身でのそっと出ないこと!それだけ。ドアが開く、半身になる、右足を上げ、左足踏み込む。よっと。熊川哲也みたいに地上に舞い降りた。
オレン爺に尋ねる。
「これって、いつからありますか?」
「平成元年だね。」
「子供のころ乗った記憶あるんスよねー。(嘘)」
懐かしくて思わず乗っちゃいましたよ感を出しながら、見上げる。
同時にオレン爺と談笑してる感を出すことで、半身成人大男は、不審成人大男ではありませんよ、ましてや熊川哲也でもありませんよと、見ているかも知れない人にアピールしている。
階段を下り少し歩いて、振り返ってもう一度見上げる、懐かしかったなぁみたいな顔で。
オレン爺はもうこっちを見ていなかったし、周囲には誰もいなかった。

怠惰な色で満ちた暮らしを、魔法で全取っ替えする妄想をよくする。
新しい水を呼び込んで循環させていくことでしか、この停滞から脱することが出来ないことも解ってる。
自分には、他人が見たら気にも留めない小さな波紋がその第一歩で、観覧車がそれだったのかもしれない。それぐらいに達成感みたいな清々しい感情がゆっくり広がっていた。
途中から、なんとしても乗ってやる!という謎の決意に変わってたのは、自分でもよくわからない。なにか不思議な力でも働いたのかも知れない。

「つけま」で検索してみた。
「部分つけま」もあるらしい。とにかく「盛れる」らしい。
「付けるタイプの魔法」らしい。

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