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仮面の向こう側
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
他人にこういう人間だと思われたいから。
もしくは、
こういう自分になりたいから。
そんな理由で、自分を偽ること。
そして想像の斜め下、思い描いていたものとは違う自分になってしまったり、なりたかった人間に見てもらえなくて、過去のとある頃の自分になりたくなる時ありませんか。
きっとなりたい理想の自分の像を正確に投影できていないのも一つの要因でしょう。けれど、それだけではなくて、上辺だけを取り繕っても何も変われないのだと、思い知るのです。
「人は変われる」
とか
「変わろうとしないから変わらない」
なんて言われ続けてきた思春期を経て、変わることの難しさは身に沁みて実感しています。
けれど、変わることの難しさを知っている身からすれば、変わることができない人間はいないということも知っています。もしあなたが、変わりたいと心の底から願うのなら、あなたは変われる可能性があります。
強い意志を持って変わりたいあなたを描ければ、あなたはあなたのなりたいあなたになれます。
何だか宗教っぽくて、根性論っぽいですね。
勿論、変わることはとっても難しくてとっても困難なのは言わずもがな。
けれど、変わりたいと本気で思うのなら、なりたい自分を思い描けるのなら今からでも変われます。もう遅いなんて、存在しないと思います。世間に出回った物語の中ではよく「もう遅い、私(あの人)はもう変われない」なんて耳にしますけど、本当に変われないのではなく変わろうとしないだけなんです。その方が物語として解りやすいから。そう当てはめたほうが生きやすいから。ドラマチックだから。そんな気がしてしまうんです。
ヒトは変われるとは言いますが、変わる気のないヒトを変えることはできません。ヒトは周りが変えるのではなく、自分が変わらなければいけないから。だから、漠然とした変わりたい気持ちだけで変われないんだと思います。
良くも悪くも、ヒトを変えるのはそのヒト自身です。スイッチを切り替えたようにある日突然、なりたい自分になることはできません。けれど、なりたい自分になる為には結局、日々積み重ねるしかないんだと思います。
幼少期には、明朗快活に図太くずけずけと生きて
思春期には、内向的に他人の顔色を窺って生きて
青年期には、意見を言いながらヒトを窺う術を知った
二転三転人生を歩んできたからこそ言えると。そう思ってます。
変わることが偉いわけでもなければ、変わらないことが正しいわけでもないと、そう思います。結局、今生きてるあなたをあなたがどれくらい認めてあげられるか、許してあげられるかにかかってるんだと思います。
全くもってNOが言えないけれど、そんな自分が好きなのか。NOが言えないから苦しんで悩んで生きているのか。人によって感じ方が違うように、それぞれ変わりたい理由も意志の強さも違うからこそ、自分の好きな自分になる為に、自分を受け入れる為に変わりたいヒトが変われたらいいのにと、そう思うんです。
変わる途中、いくつもの嘘の自分がいる感覚に嫌気が差したこともありました。けど、それこそが、自分ではない自分になった証明でもあるような、そんな感覚だったりしました。
だからこそ、無理のない範囲で。そんな言葉も付け加えたいです。きっと、変わらない自分のことを好きだと思えることが一番です。けど、自分のすべてを愛せる人より、コンプレックスを変えたいと願う人の方が多いとも思うのです。
だから、努力しようとする人は尊くて、美しい。世の中に溢れる物語には、その美しさを描きたいんだろうなと思います。
でももし、あなたがあなたの好きなあなたになれなくても、変われなくてもそこに居ていいんですよ。
変わりたい努力派肯定すべきだし、変わらない選択をしたあなたもまた、美しい。
変哲のない空も愛せる人でありますように。
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