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煮詰まったときは場を変える

先週の日曜日。
主人は朝から仕事で、帰りが何時になるか分からなかった。
娘と2人で過ごす。

誕生日ケーキの残りが冷蔵庫にあったことを思い出し、トレーのまま2人でつついて朝ごはんにする。
女2人きりで、たまに、こんなこともあって良いだろう。

それから私は、掃除をしたり、昨日使った礼服の洗濯をしたり、片手間に娘の「鬼滅の刃ごっこ」の相手をしたり。
公園でも児童館でも、どこか行ってみたいとこないの?と聞くも、「お家がいい」とのこと。
金曜日の誕生日でもらったプレゼントでまだまだ遊び足りないのだろう。

それでなくても、最近娘はお家で遊びたがるようになってきた。
保育園入園前までは、日中2人で部屋にこもりきりなのが嫌だった私は、毎日お弁当持ちでどこかに連れ出していた。今日はあの公園、明日は児童館、その次は図書館、といった具合に。

かくいう私は、実のところそんなに外出好きではなく、まあ人並みに出掛けはするものの、1人きりなら一日中家で過ごしても平気なタチなのだ。

環境要因が性格に大きく影響してしまうならば、毎日出歩いていた娘は、お出かけ好きになっていただろう。
しかし、最近の様子をみるかぎり、この子がお家でまったり派なことは明白で、先天的な性質、もしくは遺伝だといわざるをえない。

いくらお家でまったりインドア派な私達でも、大人と子供のそれはワケが違う。
ウチの子は、相手をしてもらわないと退屈になってしまうらしい。

相手するにも限度ってもんがあり、適当にいなして過ごしてみるも、誘われるのも断るのも憂鬱になってきたのは、夕方にさしかかる頃だった。

あ、これではダメだ。と思った私は、「よし、買い物に行こう」と、ついに重い腰を上げた。

意外にも娘もすんなりと同意してくれた。
空気が重いと感じていたのは私だけではなかったみたい。

まだ娘がほんの赤ちゃんだった頃。
何をしても泣き止まなかったのに、ちょっと窓をあけてみたり、外に散歩に出かけると、不思議と泣き止むことがあったっけ。

そして、それは今回のように、だいたい夕刻だったような気がする。

何歳になっても変わらないもんだなあ。なんて思ったそばから、いや、もしかして、一生こんな感じかも。と思い直す。

人間が物事に取り組む時、だんだんと足取りが重たくなってくるのは、ちょうど折り返し地点を過ぎてしばらくした頃ではなかろうか。

人づきあいにも、倦怠期ってやつがあるし。

それは、物事が滞っている、流れていないということなんだと思う。

そんな時には、場をかえてみる。
ちょっとその場から離れてみる。
空気を入れ替える。

なんでダメなんだろうと考えることも大事だけど、案外その場から離れるだけで解決したりして。


よく語られている事だけど、実体験として学ぶ事のできる子育てって、やっぱりすごい。

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