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公開日記 4月その④選挙/休みをデザインする/なんにもやりたくないしなりたくない子供たち

4月24日
なぜか急に思い出した、保育園の卒園式での来賓の言葉。

「大人は子供に教育を受けさせる義務があります。
子供は教育を受ける権利があります。
よく、この言葉で勘違いされやすいのですが、権利を使うのは自由です。
権利は使いたいときに使えばいいし、使いたくないときは使わなくて良いのです。
ですから、大人は無理に子供を勉強させることなく、見守ってあげれば良いのです。」

卒園式がおわった後に自宅でも、夫と「良い話だったよね」と言い合ったのを覚えている。

要するに。
権利は使いたい時に使えば良い。
義務は、権利を使いたい人が必要な時に使えるように、準備しておくこと。
かな、と受け止めた。

なぜこの話を思い出したかというと、この週末の選挙の事を考えていたから。

私は、たぶん、弱者に優しい政治を求めているんだろうな。と。
それは、なぜかというと、いつ何時誰が弱い立場になるか分からないから。
自分が必要な時に権利を主張した際に、それが受け入れてもらえる社会であって欲しいと思っている。
人々のあたりまえの生活の権利を、受け入れる義務を政治に担ってほしい。

こうしたらもっと経済成長する!とか、子育てしやすい町に!とか、アイディアの方向性は色々あっても、「それ、元気な人は出来るかもしれんけど、弱い立場にある人は無理よ。」っていうような政策ばかりを掲げてる人の多いこと。

もちろん、充分な福祉を支えるのは活発な経済活動っていうのも分かってるけど、そのバランス感覚のある人がいいのかな。と。

国政だろうが県政だろうが市政だろうが、自分が投票する指針がなんとなく定まってきたような気がして、うれしい。

4月25日
政治の話続きで申し訳ないのだけど。
前々からフォローしていた、インフルエンサー?の方がいらっしゃいまして。
これまではあまりそんなことなかったのに、その方の投稿に、最近選挙続きだったこともあり政治的な発言が増えてきたのです。
それだけなら様々な意見があって当然なので、全然構わないのですが。
私の気持ちと全然ちがうのです。
支持してるであろう、政党とか政治家とかが私と正反対。しかも、結構攻撃的な発言も散見され。

前、たまに行く古本カフェの店主さんに、
「政治的思想が全く違う人の作品でも読めますか?」と聞いたことがあって。
「そこは、切り離して考えるようにしてるんで、僕は大丈夫です(読めます)。」と答えられた。

それでいくと、私の場合は、政治絡みの発言の部分は流して、それ以外の投稿だけ見るようにするってこと??
なんか見ちゃったものは消せないし、嫌だなあ。
って思っていたら、夫は、
「俺は完全に無理だな。そういう発言を見た瞬間にフォロー外すし、本だったら絶対読まない。読みたくない。」とのこと。

色んな意見があって、色んな人が色んな政党を支持してるから、政治が成り立ってるっていうのは分かってるけど、政治が絡みだすと、どうも攻撃的になってしまうの、どうしてだろう。

4月26日
週の真ん中水曜日。(これなんだっけ?)
昨晩から雨で、朝なのに暗い。
小学校も本格的に始まって今週で2週目。
朝から家族皆がぼんやりとした空気。

「疲れが出てきたよなー」と夫。
さらに。「学校だって、週の真ん中の水曜あたりに休みがあればいいのになあー。週末にまとめて休みなんて、休日と平日の変化が大きすぎる。」と続く。

私:「あ、じゃあ、水曜日と土曜日はお昼までの半日休みってのはどう?病院みたいに。」
夫:「それじゃあダメだよ。土日は今までと同じように休み。水曜日も休み。」
私:「え、そんなの休み増えちゃうじゃん。大丈夫か?」
夫:「あのさあ。それって、休み増やしちゃいけないっていう幻想に取り憑かれてるだけだよ。」

相変わらず、いいこと言う、我が夫。
大人だってそう。
働き方として、フルタイムなのかパートタイムなのかという二項対立にしがちだけども、それは時間給で計算しているから。
自分として必要な給与(=稼ぎたい金額)に主軸を置いて考えれば、パートタイム並みの労働時間でフルタイム並みの給与を得ることも可能なのだ。
(あくまでも、理論上はね。)

そしたら、偶然、今日のVoicyの晴さんの話がコレだった↓

子供も大人も、有限な時間を主体的に捉えて生きていくことが必要ということですな。


4月27日
夜、仲良しのLINEグループで近況報告など。
すると、グループ内の皆(30代乳児〜小学生の子持ち)が揃って不運に見舞われていることが発覚。(私をのぞく。)
内容はそれぞれなんだけど、どう考えても皆疲れてるよね。と思わざるをえなかった。

そこで、皆に、1日1人で自由に過ごせる休日をとったことがあるか尋ねると、「コロナでダウンした時」「出産後の入院中」などなど。自分が能動的にとろうとした休日は皆無だった。
それってほんとの休日なの?

コロナワクチン接種後に、体調不良になることを見越して休めるように準備しておきましょう。と言われていた時期があったけど、私自身、その時まで自分のための休日ってとったことなかった。
でも、しっかり休日のために休める準備をして、「今日は一日ベッドで過ごす!」と決めて休んだ一日は、未だに忘れならない程リフレッシュ出来たと記憶している。

別に身体を休めなくても良くて、アクティブな活動の方がリフレッシュ出来る人は、そうすれば良いんだけど。

なんだかもやっとして疲れが溜まっている人は、まず、自分だけのために、少し先に有休をとるところから初めてほしい。と感じた本日。

4月28日
娘は順調に小学校へ通っている。
行きたがらないこともないし、片道3キロ近くある道のりも、弱音を吐くことなくむしろ楽しそうに歩いている。
問題は。
宿題をやりたがらないこと。
「帰ってきたら、まずやることをやってから、好きなことをしようね」
という約束を決めていたのに、続いたのは3日程。
だんだん「宿題やりたくない」「宿題めんどくさい」そしてついに、「なんで宿題しないといけないの?」に変わった。
やりたくないことをやらせるのは、こちらも疲弊する。
こちらも、「今日も帰ってきたらどうしようかなあ」
と思いながら、鬱々とした気分になるなんて、とっても不健康だと思う。
だから「もう、やらなくて良いんじゃない?」とか、「学校の休み時間の間にやってくることにしたら?」とか、手を替え品を替え伝えてみると、とうとう泣き出してしまった。
どうも、娘の中で「どうしてもやりたくない自分」と「やるべき事はしっかりやらないといけないと思う自分」が戦っていて混乱している様子。

そうこうしていたら、どこかでこんな言葉を見かけた。(曖昧すぎる)

「やりなさい」と言った瞬間から、「やらされている事」に変わる

そりゃそうだ。
人間、やらされる事は面白くないに決まってる。
言葉がけひとつで、同じ宿題が、全く違う性質を持つようになってしまうのだ。

というわけで、今日は金曜日。
月曜の宿題提出まで間があるので、とにかく放置してみようかな。と思っている。

4月29日
娘の習い事の間、いつものママ友と会話。

「最近の子たちは、やりたい事が見つからなくて、とりあえず普通科に進み、とりあえず大学に進学し、自分がどの職業に就けば良いか分からないから、とりあえず大学院に行く、みたいになってるらしいよ」

うむ、興味深い話題。
あくまで、噂レベルだけど、なぜそんなことになっているのかを私なりに考察してみると。

1.本来であれば、やりたい事があったはずなのに、その芽を周囲の人々や環境によって潰されてしまった可能性。
例:「ゲームばっかりしてないで勉強しなさい」という言葉がけによって、本当ならゲームの道に進めたかもしれないのにゲームはダメという刷り込みがなされてしまった。等。

2.自分の気持ちに気づく訓練が充分でない
自分で寒いなと感じる前に上着を着せられている、など、親の先回りのせいで自分自身の感覚にアンテナを立てることが苦手になってしまった

3.好きな事を職業にしなければならないという思い込みがある


奇しくも今週娘が学校で借りてきたのは、こんな本

(ネタバレになるけど)
なんにもしたくないカエルさんが、なにをしたら良いか尋ねまわって、結局、「なんにもしない」をする、というところに辿り着く。という内容。

なにになりたいか分からなくて、就職出来ない若い子たちも、結局「何かにならなくてはいけはい」呪いにかけられているのでは?

もっと根本的に、「何にもならなくて良い」という事もひっくるめて考えられるようになれば良いのにな。と思う。

これって、なんか、アレみたい。
「何が食べたい〜?」って聞かれたから「ハンバーグ」って答えると、「ハンバーグはちょっとなあ」って言われる。じゃあ、何なら良いのよ!って思って、もう考えるのをやめた。
こういう状況。
(え?さらに分かりにくい??)

何故ハンバーグがダメなのか。
作るのに工程が多いのがダメなのか、家に材料が足りないからダメなのか。
その理由を明らかにしてくれたら、じゃあ家にあるもので食べたいものは何か?とか、簡単に作れそうなレシピは無いのか?とか、次の議論に進めるのに、ただ、意見を否定されてしまうと、そこで思考停止してしまう。

要するに、若い子たちが「こうなりたい」という事に対して周囲の人々が、「これはちょっとなあ〜」と答え、え?じゃあ何なら良いのよ?ってなってしまってるのでは?っていうこと。

そういう、根本的な思考癖っていうのは、小さい頃からついてしまいそうだから、親はあんまり親っぽくアレコレいわない方が良いのかなあ。

つくづく、親の仕事は、ただ、見守ることだけなのかもなあ。

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