三浦綾子『氷点』を読んで
春からゆっくり読み進めていた、三浦綾子『氷点』。
『続 氷点』も含めて、昨日読み終えた。
(あらすじはこちらのリンクから)
北海道の自然と共に繰り広げられる物語。
陽子の数奇な運命、彼女を取り巻く人々とじっくり向き合っていくと、私の心の中のしこりのようなものが、徐々に浮き上がってくるのを感じた。
こんな台詞があった。
(わたしは石にかじりついても、ひねくれな
いわ。こんなことくらいで人を恨んで、自分
の心をよごしたくないわ)
これは、陽子が母の夏枝から嫌がらせを受けた時の台詞だ。
まさしく私が人から嫌なことをされた時に思うことを、そのまま代弁したかのような言葉だった。
「石にかじりついてでも」という頑なな真っ直ぐさは、当時の冷たくなった私の心を、ありありと想起させるものだった。
この台詞は、『続 氷点』の終盤で次のような展開を迎える。
ただひたすら、石にかじりついてもひねくれまい、母のような女になるまいと思って、生きてきた。が、それは常に、自分を母より正しいととすることであった。相手より自分が正しいとする時、果して人間はあたたかな思いやりを持てるものだろうか。
私ははっと息を呑んだ。
「こんな嫌がらせで自分を歪めたくない、自分の人生を汚されたくない」
常にそんな思いで必死に生きてきた。
だがそのうちに自分への過剰な厳しさが生まれ、いつしかその物差しは他者へも向けられていたのではないか。
幼き日の私は、果たしてそういう人間であっただろうか。
本書の最大のテーマである「ゆるし」。
私にはその意味がまだぼんやりとしか掴めていない。
その真の意味を知りたい。
「ゆるし」がほしいと、今私は切に願っている。
〈一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものであるる〉
雪解けの音が、今まさに聞こえてきた。
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