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ソフトウェアエンジニアリング/写真/アート/洋服/音楽が好き。 「日本のソフトウェアエ…

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ソフトウェアエンジニアリング/写真/アート/洋服/音楽が好き。 「日本のソフトウェアエンジニアを憧れの職業へ」に向けて株式会社アンチパターンを設立。

最近の記事

SaaS Engineering Meetup 企画趣意書

背景と目的: 我々が解決したい課題は、日本の DX が遅れていることです。経済産業省は、各企業による簡易な自己診断を可能とする「DX 推進指標」を 2019 年7 月に策定し、情報処理推進機構(IPA)が中立機関として分析した企業の自己診断結果を、日本の企業における DX 推進状況のベンチマークとして提供することとしています。その調査の2020 年における結果をみると、90%以上の企業がDXについて未着手であるか途上にあるということが分かります。新型感染症の流行以降、デジタル

    • 2031年の日記

      遡ること2023年、ChatGPTが世界を席巻した。あれ以降多くのコンテンツがAIによって生み出されるようになったし、仕事もAIがやってくれるようになった。 特に転機になったとされるのは、2023年の秋頃に開発が進んだソフトウェア開発特化のLLMだ。それまではノーコードという名称で画面上からソフトウェアを作る動きはあったが、特化型LLMを活用してソフトウェアの下部構造すらも自然言語で記述できるようになった。ハードウェアのセットアップからネットワークの構築、アプリケーションの実

      • 日本語を母国語にする人はプログラミングを勉強するのが大変なんじゃないか

        結論:日本語を母国語にする人じゃなくても大変なんじゃないか。 はじめに日本のソフトウェア産業は遅れているという話がある。広く認識されている言説としては、ハードウェアによる成功体験が抜けていないとか、労働法に関連して内部に技術者を保有するリスクを回避するために開発組織/機能を外部化したことが影響しているなど色々あるかと思います。 本稿においては、そういった歴史的な観点は別にして日本語を母国語にする人がプログラミングを学習するのがそもそも大変なんじゃないか、というのを考えてみ

        • 「ルックバック」という快作、感想とタイトルの意味を考察※ネタバレあり+感想ツイートまとめ

          藤本タツキ氏の読み切り漫画「ルックバック」が素晴らしすぎたので感想とタイトルの意味を考察する。 読んでない方はまず読んでみてほしい。 https://shonenjumpplus.com 執念とある種の諦念が作品全体に横たわっており、でもそれが苦しいものじゃなくて味わい深いものとして描かれている。 創作をしている人にはあまりに効き過ぎるんじゃないかと思うほどだ。 セリフを多用せず、それこそ背景にあるカレンダーや服や窓の外の景色などから、時間の流れを表現するなど、情緒な表

        SaaS Engineering Meetup 企画趣意書

        • 2031年の日記

        • 日本語を母国語にする人はプログラミングを勉強するのが大変なんじゃないか

        • 「ルックバック」という快作、感想とタイトルの意味を考察※ネタバレあり+感想ツイートまとめ

          コンテキスト・エコノミーの隆盛

          作品そのものも評価の対象ではあるものの、作品に付随する物語=コンテキストが大きな付加価値を生んでいるという現象が多くなってきている気がする。 最近ではけんすう氏が「プロセス・エコノミー」という概念を提唱しており、「プロセスを共有するところがお金を稼ぐメインとなる」みたいな形が成り立つのではないかと言及しており、そこからうんうん考えていた結果である。 また、先日シャーマンキングについて書いたこともこの話には繋がってくるのでそちらも興味があれば。 コンテキスト・エコノミーと

          コンテキスト・エコノミーの隆盛

          シン・シャーマンキング論

          最近はシンを付ければ何でもいいと思っている。 冗談はさておき、シャーマンキングはこの春から新アニメも開始し、注目されるところだが、原作含めて、シャーマンキングという作品は今、新たな次元にシフトしている。 『SHAMAN KING』はもちろん、『シャーマンキング0-ZERO-』、『シャーマンキングFLOWERS』、『SHAMAN KING THE SUPER STAR』、『SHAMAN KING レッドクリムゾン』、『SHAMAN KING マルコス』など、漫画作品だけでも

          シン・シャーマンキング論

          てつがくを着て、いえに居よう

          感染症の影響で外に出ることを自粛するよう呼びかけられ、 仕事の面でもリモートワークやテレワークが活発になり、 人びとは家にいることが多くなっている。 家にいて、他人と会わないとなった時、 あなたはどんな服を着ているだろうか。 パジャマのまんま? Tシャツ/ジーンズのラフな格好? それとも見られないことをいいことに裸だったりするだろうか。 服は人と人の間にあるものだ。見て、見られる。 そしてそれ自体が自己表現というよりもあなたそのものなのだ。 都会は兎角人と会う。 だか

          てつがくを着て、いえに居よう

          2030年の日記

          公衆衛生の観点から他人との接触はリアルで行わないのが、暗黙の了解、というかマナーになって久しい。 そもそもリアルという言葉自体が本質的とか本心とかって意味よりも、物質的という意味を帯びてしまっているし、そんなんだから最近では少しネガティブな言い回しだと感じるくらいだ。 昔よりかは都心から離れていても生活必需品とか趣味のものは家に届くようになっているし、家も広いし、一生かけても消費できないくらい世の中はコンテンツで溢れている。そういう意味では幸福な時代になっているのかもしれな

          2030年の日記