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柔術に生きる。




柔術に生きる。


という言葉が正しいのかは分かりませんが、

“柔術とどう関わって生きていくのか?”


それが最近僕の中で一つの
思い種になっています。


柔術に取り組むにしても人それぞれ。


専業柔術家もいれば、兼業柔術家もいて、
柔術愛好家もいる。


選手としてやるのか、仕事にするのか、
趣味が高じた副業にするのか、
ただの趣味とするのか。


人それぞれの生活状況や思いがあって、
どう取り組むのかも本当に人それぞれです。


では、僕はどう取り組んでいるのか?


今のところ、ただの“趣味”として
取り組んでいる部類になるでしょう。


ちょっと本気で取り組んでいる趣味。


だからこそ、物思いの種に
なっているんですけどね。



若き柔術家に共通する迷い




え?趣味として楽しめているから
それでいいんじゃないの?


と思えるかもしれませんが、
日々取り組んでいるとのめり込み、
のみり込むとかけたくなる気持ちが
出てきてしまいます。


要は、専業柔術家になりたくなってしまう。


ということですね。


でもこれ、僕みたいな20代の若年柔術家に
とっては実はよく起こりえる現象なのでは
ないかと思っています。


なぜならまだベットできる
多大なる時間があるから。


例えば僕の周りにも、柔術が好きで本気で
取り組みたいという気持ちがありながら、

現実の取り組み方と理想の取り組み方に
ギャップを感じている人は少なからずいます。

  • 柔術を続けたいけど就職を機に仕方なく離れてしまう人

  • やめるまでいかなくても思うように時間がさけなくなる人

  • 練習は充分にできてはいるけどもっと本気で取り組みたい!
    という気持ちに駆られ物足りなさを感じてしまっている人


人それぞれ、気持ちの入れ具合で感じている現実と理想とのギャップに大きさの差はあるけれど、

みんなある程度折り合いを
つけているような印象です。



本当はみんなかけたい




実際、僕が柔術始めるきっかけになった
友人は、当時まだ22歳でしたが、

就職と共に柔術をやめてしまいました。


彼は大会でもわりと結果を出していて、
まさにこれから、って感じの奴だったんですけどね。


実際、就職を機に東京に行くみたいな
ことも言っていて、

それがすごく楽しみに思えたんですが、
結局勧誘されるままに地元で警察官になりました。


つまり、ハッキリと折り合いをつけたわけですね。


“柔術では生きない”と。


もちろん、彼の人生なので
僕が余計なことは言えませんが、

少し残念な気持ちもあったのは
正直なところです。


地方のサークルの週二日の練習で大会で
好成績出すような奴でしたから、

どんな風に化けてくれただろう
っていう気持ちがあってね。


でも、もちろん折り合いをつける
気持ちというのもとても分かります。


だって柔術にかけたところで
見返りってないですから。


どれだけ頑張っても得られるものの
大きさってそんなに大きくない。


しかも勝負の世界なので
努力すれば必ず得られるとも限らない。


そんな現実を目の前に、

何も得るものがない世界にかけられる人
ってすごいなって素直に思います。


でも、本当はみんなかけたいんですよね。


柔術が好きだから。




現実を前にして選ぶ道




人生で一度くらい、本当に好きなことに
かけてみたいじゃないですか。


その好きという気持ちが強ければ強いほど。


だけど、前述のような
“何も得られるものがない現実”を想像し、
みんな折り合いをつけざるを得ない。


途中で折れてしまうのがとても怖い。


その折れた時の自分に残されている
ものは何か、想像するのが怖い。


だったら無難に、普通の人生歩んで、
人並みの成功や幸せを掴みたい。


そう思うのは自然なことです。


僕も本来全然そっち派で、
別に特別なことしなくても、

普通に生きられるならそれが
幸せだと思っています。


普通の幸せを手にして、
趣味で好きなことができるなら、
それほど良いことはないでしょう。


そして実際そういう考えがあったので、
僕は23歳の時、一度ちゃんと
諦めているんですよね。


柔術なんてやってても、
最後に得られるものなんて何もないじゃん。


って思いがやはりあったので。


実際、その頃インストラクターになった
当時25歳の先輩を見て、

うわすげーなーなんて思っていたぐらいです。


で、それから半年は惰性で
ダラダラ続けてしまい、

その後、ちゃんと一回やめました。


まぁさすがにずっとやらないことはない
だろうなと思っていましたが、

様々な要因も重なって結局一年ちょっとの間しっかりやめてしまいましたね。


今思うとその期間かなりもったいなかったですが。


まぁしょうがないです。


でも、折り合いをつけるってそういうことで、

“柔術家になることを諦める”

ということなんですよね。


言い換えると、柔術家という肩書きだけを
背負うリスクから身を背けること。


生粋の柔術家として生きる道を
外れるということです。



柔術家と柔術愛好家




もちろん柔術家という肩書きは専業〜趣味の方まで誰でも名乗れる物だと思いますが、

個人的に“家”というのはそこに軸足を置いて
生きている人をイメージします。


例えば、写真家、書道家、芸術家、
柔道家、総合格闘家など、、、


その肩書きのみで生きる本当の意味での
ピュアな柔術家として、

その並びに入るには相当な覚悟が必要でしょう。


まぁ、覚悟といった面では、
どの“〇〇家”の世界でも同じことでしょうが。


特に柔術においてその理由はやはり上述の通り、

得られる物が大きくないから
というのが一番大きいです。


だから、純粋な柔術家として生きるのは
あまりにも無茶な選択に思えるんですよね。


そのため僕は、とりあえず趣味として
柔術を続ける選択をしたわけです。


そして一昨年10月15日、25歳の誕生日に
柔術に復帰し、それから1年8ヶ月、

怪我などしつつもコンスタントに
大会に出ながら、

一応続けることができています。


ただやめる前と違うのは、
本気で楽しんでいるということ。


柔術をやめていた一年の間に、いかに
自分にとって柔術が楽しいもので
あったのかに気づき、

復帰するときに本気で楽しもうと決めたからです。


なので、生粋の柔術家というわけでは
ないかもしれませんが、

本気で取り組んで、ちょっとだけ成果出して、それなりに楽しめているんですよね。


そして、もっとうまく、
強くなりたくなってしまっている。


ここが問題なわけです。


今からかける覚悟はあるか?



一度折り合いつけたくせに、
またかけたくなってしまっている。


なんということでしょう。


あまりにも無謀。
(と現実的な方の自分は思っている)


あの時より歳も4歳近く取りました。


技術レベルはそこそこ上がれど
あの時ほど無鉄砲に体を動かせません。


復帰してから1年8ヶ月だけでも
恐ろしく強い人に何人も会いました。


まだ全然勝てる気がしません。


自分より断然若い世代の柔術家が台頭し、
全日本の表彰台を占めています。


明るい将来しか感じさせません。


柔術の未来はその世代に
任せておけば安心、

僕の出る幕はもうないでしょう。


でも、そんな現実を目の当たりにして
かけたくなってしまっているのは、

やはり深い迷いの中で正常な判断が
できなくなってしまったからでしょうか。


いえ、理由は一つ、
やはり後悔したくないからです。


もう、これに尽きます。


自分にとって何か一生懸命になって
やれたこと、それを人生で一つでも
作ってからいきたい。


そういう思いが強くなりつつ
あるのでしょうね。


我ながら引きます。


各々が選ぶ道とその先のゴール




ただ、そんな感情になってしまったからこそ、今は周りの人の柔術への取り組みというのにより一層注目してしまうわけですね。


それこそ冒頭で書いたように。


同じように悩む周りの人を見ていると、
やはりそれぞれの生活や思いによって
その選択や決断も人それぞれで、

その人の性格から思いの強さまで、
感じさせられます。


そしてこんな僕は優柔不断で、
まだまだ決断を下せそうにありません。


しかし、なんとなくゴールは決まっていて、
今はどの乗り物に乗って、どの道を選んで、
そこを目指していこうかな?

というような、そんな迷いの中です。


根っこの部分では、もう気持ちに迷いはなくて、ただ後悔しないように生きるのみ。


やっぱりそこは、
一番大切にしておきたいんですよね。


だからこそこんな落ち着かない
生活をしているわけです。

全ては後悔しないために。

その選択に悔いはないか




と、いうことで、なんとなく思い立って
書いたこの稚拙な文章ももう終わりです。


この苦行にも感じられる様な
長くグダグダな文章を最後まで
読んでくださりありがとうございます。


ないかとは思いますが、

この文章が将来有望な青少年の未来を
台無しにするようなことはあっては
ならないので、

最後に書いておくと、


途中で書いた

“普通の幸せを掴んで趣味として楽しむ”

が一番正解な柔術との関わり方だと
僕は思っています。


だってそれでいいじゃないですか。実際。


だから、今まで守ってきたのものを
簡単に捨ててしまってほしくない、

という気持ちはあります。


人生柔術以外にも楽しいこと
実際めちゃくちゃありますからね。


ただ、僕の場合、
守ってきたものなんてなくて、
すでに失うものは何一つない。

(かっこつけてるわけじゃなく実際そう。)


また、人生柔術以外に楽しいことはない。


という、そんな極端な状態なので、
それならば“実験的”に試してもいいかもな、

とふと思っただけです。


だから、そういういくつかの例外的な人を
除き、自分の人生を大切に生きてほしいな
と思っています。


(ちなみに若くて既に相当な実力もあり、柔術家になるべくしてなる人もたまにいますが、それもまた例外的な人です。)


すごくおもしろくない考え方かもしれませんが。


自分なりに結論が出ているのはそこのところです。


まぁどう柔術に生きるかは、結局人それぞれ。


どの道を選んでもある程度の後悔は残るでしょう。


その想像される後悔同士を天秤にかけて、
今時点で考えられる最も後悔のない選択を、

していくしかないでしょうね。


そのために、今何ができるでしょう?


ということで、長くなりましたが以上です。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


それでは。




あとがき


最近になり、柔術をどのような形で続けていくのか?

そんな悩みを抱える人が周りに増えました。

春先という時期的なこともあるでしょう。

生活リズムの変化は一趣味でしかない柔術にも大きく影響し、それによって思うように取り組めない人も中には出てきます。

ちなみに私もその一人です。

生活リズムに環境の変化。

また新しい場所に来て得た情報による気持ちの変化。

これらが大きく影響し、私に改めて

どう柔術に取り組むべきか?

を考えさせる要因となっています。

そこで周りを見ると、同じ様に悩む人がいることに気づいたわけです。

何もそれは新生活を迎えた人だけではありません。

既に柔術にかけた人たちの中にもその悩みは何となく垣間見える気がします。

それこそ本文中に書いた様に、柔術で生きることを選んだからこそ失ったものを感じさせるような。

そんな姿を見て、何が正解なのか?

をまた考えるに至ったわけです。

もちろん、これといった正解はなく、人それぞれなんですけどね。

今回、その自分が見た悩む柔術家の姿に焦点を当てて文章を書こうと本来思ってはいたのですが、この記事をしたためた日にもまた今後のことについて考えさせられる様な大きな出来事があったので、

その影響か自分の過去と将来を引き合いに出しつつ誰かに問いかける様な内容の文章におのずとなっていました。

なのでその本来書こうと思っていた部分を少しでもこのあとがきの部分で捕捉しようと思い、さらっとしたためています。

柔術家になるか迷う人もいれば、
柔術家になって迷う人もまたいるでしょう。

だから、自分にとって柔術をする上で何が大切か?

そこを軸に据えて考えるのが、いいのかもしれませんね。

では、これで終わりといたします。

ありがとうございました。

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