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日本のオルタナティブな名盤 (3) 長谷川白紙「エアにに」2019年

長谷川白紙はいつも期待を超えてくる。新曲が配信されると、今度はどんな曲だろうとテンション爆上がりし、再生アイコンに触れた瞬間に弾け出す色とりどり煌めいた音の結晶にぶちのめされる。この快感が本当に堪らない。


長谷川白紙の音楽の特徴の一つはその情報量の多さだ。例えるなら1970年代のプログレッシブロックバンドが15分以上かけて表現した大作を4分間にぎゅうぎゅうに詰め込んだような。それはBPMを上げただけでなく展開の速さや緻密なビート構成、複雑なヴォイシング、そして多彩なジャンルや手法の導入など、どれもこれも斬新で常人離れしている。


音楽について進化とか発展という表現を用いるのは好きではないが、何か革新的な方向に進もうとする手法について極めて雑にまとめると、高速化と複雑化という方向性に概ね集約される。他人に出来ないことを追求しようとするとそうなるのだろう。するとその過程において通常はポップネスが失われ、一部のマニアしかついていけない音楽と化してしまう。

クラシック音楽もジャズもかつてそのような歴史を辿った。ロックは先鋭化と原点回帰を反復しながら今に至る。

そしてそのような“速くてヤバい”音楽、例えばドリルンベースとかブレイクコアとか、或いはハードコアパンクとかスラッシュメタルとか、それらは往々にして黒魔術的な不気味さや殺伐とした空虚感に包まれがちだ。


しかし長谷川白紙の音楽はどこからどう見てもエクスペリメンタルに満ちていながら、清々しいまでにポップネスを貫いている。その背景には恐らくボカロの影響があると思われる。

ボーカロイドはその特性からBPMを上げた高速EDMとの親和性が高く、刹那的なポップネスを生み出す。ただし長谷川白紙の音楽はボーカロイドではなく自身がヴォーカルを担当していて、それにより質感の違いを生むのは勿論のこと、何よりも自身の声でメッセージを伝えることにより生まれるリアリティの持つ意味は大きい。


緻密に計算されたビートメイクや複雑なヴォイシングからは音楽理論の蓄積や幅広いジャンルに対する探求の軌跡を想像させるが、これらを独自の調和美へと到達させポップミュージックへ落とし込むというのはやはり才能なのだろう。



衝撃的なデビューEP「草木萌動」から1年後にリリースされた長谷川白紙の1stフルアルバム「エアにに」は前作から更に音楽性の幅を広げた怪作だ。


まずは1曲目「あなただけ」の冒頭、ホーンとリズムセクションの勢いに圧倒されるが、落ち着いて聴くとEDMに再構築されたBPM128の近未来型スウィングジャズだ。自然発生的に生まれるブレがグルーヴとなる4ビートと精密に制御されたEDMとは本来相性が良いとは言えないが、緻密なビート構築によりそれを実現可能とした。
1938年に録音されたベニー・グッドマン「Sing, Sing, Sing」(BPM108前後)と続けて聴くとその辺りの折衷具合が実に興味深い。


2曲目「o(___*)」(表記はこれで合っているのか?)はタイトルからもう只者ではないが、こちらは前作を一層ヒートアップさせたハイパーポップなドリルンベース。ビート自体はゴリゴリに尖っているが音がひたすらに爽快なので気持ち良く聴ける。ラストの怒涛の爆ビート+キー上げとか本当もう堪らない。


3曲目「怖いところ」4曲目「砂漠で」とドリルンベースが続き、このまま疾走感を貫くかと思いきや5曲目「風邪山羊」で変化球が投じられる。こちらは80年代後半に流行したニュージャックスウィングを彷彿させるビートだが、これもEDMに再構築されて80年代の質感は感じられず完全に別の音楽になっている。


6曲目「蕊のパーティ」における石若駿とのコラボレーションは興味深い。というか石若駿が凄い。最初のハイハットを追っているだけで混乱してくるし、中間部の拍が急峻に変化していく箇所はもう訳がわからない。そしてもっと凄いと思うのは電子音楽に対して敢えてアナログ感を出した叩き方で合わせてきているところで、ジャズドラムと電子音楽のコラボとして相当に画期的だと思う。


そして7曲目「悪魔」がこれまたオリジナリティに溢れた曲で、メカニカルなポリリズムに煌めいた音が降り注ぐようなちょっと聴いたことのないサイケな音の世界を構築している。強いていうなら質感的にはガムランに近いのだろうか。そしてアンビエント的な調和美を保ったまま混沌へと突き進んでいく様とかもう本当に圧倒されてしまう。


8曲目「いつくしい日々」は元々姫乃たまに提供された曲で、オルタードスケールを基調とした不安定な旋律から多幸感に満ちたサビへ、そしてアバンギャルドな間奏と個性の強い楽曲だ。提供曲であっても一筋縄ではいかない。


9曲目「山が見える」は一見エレクトロスウィング調の軽快なビートミュージックだが、バッキングに相当するビートを徐々に前倒しに入れていくことでグイグイ引っ張り上げるようなスウィング感を作り出すという離れ業をやっていて、これがまた爽快で心地良い。


そして10曲目「ニュートラル」はピアノとヴォーカルによるミニマムな構成で、ビートレスで内向きな弾き語りはここまでに披露されてきたビートミュージックとは対照的で、曲調に反してある意味挑戦的な選曲にも思える。心の奥底に沈み込んでいくようなエンディング曲でこの大作は幕を閉じる。



アーティスティックな閃きとロジカルなアプローチで細部まで作り込んだ芸術作品、これほどまでに濃厚なポップアルバムは例を見ない。
長谷川白紙がフライング・ロータスが主宰するレーベルBrainfeederと契約したというのは素晴らしいビッグニュースで、新作リリースの情報も解禁されている。新たな出逢いが更なる音楽性の拡がりを生むことを期待したい。


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