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日本のオルタナティブな名盤 (2) WONK「Sphere」2016年

2012年にロバート・グラスパー「Black Radio」がリリースされ、ジャズと呼ばれるジャンルで表現される音楽が劇的に拡大し、その境界線も曖昧となった。
ジャズがR&Bやヒップホップと融合することは異端ではなくなり、ありとあらゆるジャンルをジャズと融合させる音楽実験も世界各地で盛んに繰り広げられるようになった。
それまで停滞していたかに見えていたジャズの世界が目に見えて動き出した瞬間である。

日本でジャズに取り組んでいた10代〜20代の若者達がこのムーブに刺激を受けたことは想像に難くない。WONKの1stフルアルバム「Sphere」はそのような潮流の中から生まれた象徴的な作品であり、日本においてR&Bとジャズを繋ぐ試みを形にしたのみならず、国内外に向けて独自の音楽性を果敢に発信することでシーンの中心に位置した作品でもある。


WONKのメンバーは荒田洸(ds)、井上幹(b)、江﨑文武(pf)、長塚健斗(vo)の4人で、彼らはR&Bやヒップホップ、ネオソウル、そしてジャズを経由し、「Sphere」リリース当時は自らを“エクスペリメンタル・ソウル・バンド”と称していた。『エクスペリメンタル』という単語が示唆するように、このアルバムではネオソウルから一歩踏み出した様々な試みが為されている。


Introductionからの2曲目「savior」、少ない音数で強烈にグルーヴを体感させる所謂J.Dillaビートとグラスパー風のピアノ、そこに乗せたザ・ネオソウルなヴォーカル、正にジャズサイドから奏でたネオソウルの真骨頂であり、「Black Radio」を好む人なら心躍らずにはいられないサウンドだ。

ジャズプレイヤーは腕に自信があればあるほど沢山弾きたく/吹きたく/叩きたくなりそうなものだが、J.Dillaビートの生み出す空気感は“弾きすぎない”が鍵となり、その分日本人が苦手とされてきた所謂ブラックミュージックに欠かせないグルーヴが要求される。J.Dillaのビートを叩くときの微妙にズラして揺らぎをつくるのもそうだし、例えばヴォーカルの裏で緩やかに単音で副旋律を重ねるピアノの奏法はシンプルなだけに誤魔化しが効かず、これを格好良く決めるのは結構難易度が高い。


「savior」で心地良いネオソウルに魅了されたのも束の間、次の曲「Real Love」はフューチャージャズ的なサウンドスケープに石若駿を加えたパワフルな人力ドラムンベースが殴り込みをかけるというアグレッシブな展開に驚かされるし、その次の「RdNet」もドラムンベースだがこちらはネオソウル全開なヴォーカル&ピアノを掛け合わせて軽やかな仕上がりになっていてこれまた唸らされる。

SF的な世界観を意識したシンセサイザーを特徴とするフューチャージャズ風のサウンドにネオソウルを乗せたスタイルは後にリリースされたコンセプトアルバム「EYES」で顕著であるが、このアルバムでも随所に使用されていて彼らのサウンドの特徴の一つと言える。その一方で、90年代のUKジャズファンクを彷彿させる「h.v.c」があったり、ジャムセッションからサックス奏者安藤康平のインプロビゼーション部分を切り取った「Minton」はジャズそのものだ。


ヴォーカルのスタイルも使い分けていて、ネオソウルに特徴的なグルーヴ重視の歌唱が主体だが、ラップの曲もあれば、抒情的な旋律が印象的な「Over」のような曲もある。
本作品は日本語歌詞は皆無であるが、そのメロディラインは口ずさみたくなるようなフレンドリーな旋律であり、J-POPへの親和性も担保されている。

このように「Sphere」は「Black Radio」のフォロワーには留まらず、曲毎に所謂ブラックミュージックを様々な角度から深掘りした文字通りエクスペリメンタルな作品であり、2010年代後半から多用されるようになった『フューチャーソウル』という呼称がフィットするが、ヴォーカルの含むポップネスが他国発の同ジャンルの楽曲との差異となり個性となっているようにも感じる。


彼らの強みはバンド名義というところにもあると思う。ミュージシャン4人のセッションアルバムとかプレイヤー名義のアルバムにするよりも、バンドという形態で活動することで、J-POPの延長線上にある存在として受け止められやすく幅広いリスナーを獲得できそうだからだ。その一方で曲に合わせてゲストミュージシャンが柔軟にアルバムに参加しているのも興味深い。

King Gnu「白日」における江﨑文武のピアノ演奏は多くのJ-POPリスナーの耳に残ったと思われるが、他のメンバーも他のミュージシャンとの共演を積極的に行なっている。
昨今は彼らを含めジャズにルーツを持つミュージシャン達が活発にJ-POPやその周辺で可視的に活動を展開していて、これらのコラボレーションが結果的にJ-POPの音楽性の底上げや拡張を担っているようにも思える。後方視的にそれらの潮流を眺めた時に、「Sphere」が、そしてWONKという存在そのものがその契機の一つになっているようにも感じる。


新世代のジャズはグラスパー以降急速にその領域を拡張し、次々と新しいサウンドを生み出していったが、WONKもまた「Sphere」以降のアルバムで興味深い音楽を追求している。
2枚同時リリースでやりたい事を全部演ってしまった「Pollux」「Castor」、NYのバンドThe Love Experimentと共作の「BINARY」、未来志向なコンセプトアルバム「Eyes」、自然体で穏やかなサウンドが新鮮なミニアルバム「artless」、さてその次はどんな音楽を生み出してくれるのだろう。

彼らの原点「Sphere」はフューチャーソウルのみならず、今後のJ-POPの動向を見届ける上でも聴いておきたい作品であり、日頃ジャズに触れることのないJ-POPリスナーにも是非お勧めしたい。


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