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困難にあるときの詩

困難の中に生きると、「人の闇」を見る機会が増えるものだな、と思います。思い浮かぶ出来事をつぶさに書き起こすわけにはいきませんので、散文詩調に表現してみました。
 
闇ある所に光があったなら。
 
強い者にへつらい、弱いものを責める人を見るとき。
弱い者は生きるすべを失い、絶望に暮れ、路頭に迷い、先の見えぬまま、今降りしきる雨から我が子を護るために傘をさして子どもに寄り添う。
 
その人は親子から、平然と傘を取り上げる。その瞬間、世間には見せない醜悪な表情を見せる。それはどこか、能面のような顔をしている。横顔が、どこか少し笑っている。
 
このことは、闇の中で、ひっそりとおこなわれる。美談となれば、人々は憐れみ、涙を流すかもしれない。しかし本当の残酷は、暗闇の中で、ひっそりとおこなわれる。
 
闇の中で、傘を取り上げれば行き倒れる弱い存在。周りに誰も見る人はいない。だからその人は心の底から安心して、能面のような顔をみせながら、傘を取り上げる。
 
弱い立場、絶望の淵で生きてきた者はこの顔を多く見てきた。人が勝利者には見せない顔。
 
その顔をたくさん見たからこそ自分に問う。この顔はきっと私の中にもあるのだろう。ならば私には、傘を取り上げた人を責める権利はない。
もがいて、生き延びて、幸せを掴んだ将来に、それを行き倒れの人に分けてあげる自信は、無い。
 
そんな今も目の前に、隆盛栄華を謳歌し、勝利の美酒に酔う人がいる。或いは理想に破れ、自分を見失い、大志を標榜するものの空虚な破壊を続ける人がいる。
 
みんなそれぞれ、彷徨の中に自分の顔を見失う者の一人であるから、私もいつだって後悔に苦しみ、安らぎを得られないまま生々しく生きていくのかもしれない。
 
それでもちょっと少し、私に学んだことがあったとしたら。闇の中、光の裏で人がひっそり倒れる音を多く聞いたことだけだろうか。
 
だから光と闇を責めることはせず、ひっそりと倒れようとする人に駆け寄り、安物の傘を持ち寄って、あなたのいるところは暗闇ではないよと声をかけよう。
 
この光が世の中に広がりますように。


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