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街中ピアノ。

NHKで放送されている「空港ピアノ」とか「駅ピアノ」は日常生活に音楽が同化していて見ていて飽きない。Youtubeでもたくさんの街中ピアノがアップされていて、世の中には上手に音楽に付き合っている人が多いのに励まされる。

Play me, I'm yours. というキャッチでも広まったようにも捉えているが、別の潮流でも身近にピアノを置きたいという様々な期待感が醸成されて日本でも定着してきている。

かくいう自分も、2020年春から蔓延しているコロナ禍で外出や諸活動や、他者との関わりの制限など、とても窮屈なときに、持て余すほどの時間の宛先の一つにピアノの持ち曲を作ることに決めた。

20年以上オーケストラでヴァイオリンやヴィオラを弾いていて、あたりまえのように感じていた表現に制約がかかって、その方向性のひとつに充ててみた。とにかく自分の持ち曲として毎日毎日弾いていても飽きないほどなじめる曲を選んだ。バッハの「無伴奏プレリュード」と吉松隆の「過去形のロマンス」である。

下手は下手なりに場数(ばかず)を踏むに限るので、まずは長野県内のストリートピアノを行脚することから始めた。アップライドやグランドなど様々で、場所の雰囲気とか空気感など特徴がある。暇をみつけては思い出したようにたどっていくと、たいした度胸もつくようで、東京都庁の展望台のグランドピアノとか、竹芝のホテルマリオットのラウンジピアノもいじってみた。

これから先も思いついたようにつま弾くのだろうが、世界のピアノをたどってみることには目を向けたいと思っている。このように思考を外に向けることだけでも何かしら目に見える世界が明るく見えてくる。

音楽は不思議なもので、自分にも家族にも、また身近な生活圏でも、余裕があって平穏なときにはあたりまえのように受け取られる。しかしちょっとぎくしゃくすると「何をこの忙しいときにピアノなんて」と、やっかまれる対象でもある。だから、オーケストラでも古典のベートーヴェンや、自分で発信する下手な音楽が、音楽自体は変わっていないのにそれを受け取る自分や、周りや、世の中の余裕があるかないかを測るモノサシとして常に備えている。