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間宮改衣『ここはすべての夜明けまえ』早川書房SFマガジン2024.02

100年後には今生きている人はこの世には誰一人も存在しない。ただ一人生き延びた「わたし」を除いては。

不老不死として脳の融合手術を受け、マシンの身体と脳が融合した人工人間の「わたし」。ヒトの人たる由縁が揺らぐ、記憶の断片が走馬灯のように浮かび、雪片のような淡く儚い記憶が次々に蘇る。誰にあてて書くのか。自分の1世紀前の家族について。

生きていることがつらくて、自らいったん終止符を打つと決意した。安楽死ではなく脳の融合手術を医師の勧めで受けた。2123年に遥か昔の家族について静かに思い出し、物語る邂逅の記録。ただ一人だけ生き延びた生命としてその記憶をたどっていく。体はマシンだが脳の一部は人間のままとして生き延びた「わたし」は、永遠に老化しないテクノロジーの産物でもある。葛藤の日々を家族とともに生き抜いて時間を過ごした中で、父親の唯一の願いは、生きていた証としての家族史を後世への遺物として残すことであった。ただその使命に応えようと、一本の糸をひたすらに伸ばし続けてきた。

当たり前だと思って手書きで記録をしても、どこまで「言語」と「文字」が記録でき伝わるのか。読み手の方から最大限の手を差し伸ばし意を汲まないと掴めない真綿のような表現を、ただひたすらに目で追って、その拙い文字の裏にある膨大な時間の伝えきれない想いを辿っていく。その行間には吐息として言葉にならない思いが表出されている。

生きている証とは何なのか。生きた証とは何なのか。名前のないヒトは何者なのかわからない。子孫が繋がることが証なのか、人の記憶に留まることか、文字や音声や肉体や精神が形として残ることか。人種が途絶えてしまうと、何一つとして残るものはなくなってしまう。日本語もどのように変容して受け継がれるのか。跡形もなく地上からも動物や植物や鉱物の記憶からも消し去られてしまうのか。地球上でも宇宙空間の中でも、最後のヒトとなった人類のたった一人に選ばれた「わたし」の記憶がここに蘇る。

共に過ごした時間はとにかく尊くて美しかった。何にもましてかけがえのない時間であった。一刹那のできごとをつないでいくだけで、思い起こすだけで眼前の風景が切なくてただひたすら凛として見える。今「わたし」の立っている場所。わたしがわたしであることのここの場所。わたしの目の前に広がる世界こそ、『ここはすべての夜明けまえ』。

太古の昔から細胞に宿された記憶、万葉の昔から言霊に宿された言の葉の記憶、春のあけぼのに映る風景に共鳴する感性の記憶が消えかかっている一瞬を若い作者の感性が感じ取って、瑞々しいことばが遥か彼方の世界から、遥か先の時空から光を放っている。

(miya)