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【Lost Liner Notes】 ハービー・ハンコック / カルテット (1981年)

Herbie Hancock / Quartet

これは1992年にリリースされたCDのために執筆したライナーノーツを加筆・訂正したものです。

1981年7月、“ライヴ・アンダー・ザ・スカイ”のハービー・ハンコック=カルロス・サンタナ・バンドのステージのオープニングとして、ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスのトリオとともに1人の若いトランペッターが登場してきた。メガネをかけ、アフロ・ヘアっぽいスタイルのその若者は、そのトリオをバックに信じられないようなすごいプレイを展開した。止めどなく溢れ出るようなフレージング、完璧なテクニック、豊かな音色——ウィントン・マルサリスの日本デビューの瞬間である。本当にあのときはビックリした。あのハービー・トリオとあそこまで対等に吹ける若いトランペッターがいたのだから。当時彼はまだ弱冠19歳だった。
1981年の夏にアート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズを脱退し、米CBSレコードと契約したウィントンは、エグゼクティヴ・プロデューサーだったジョージ・バトラーのアイディアでハービーのトリオと組み、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本をツアーして世界のジャズ・ファンにその存在を印象付けた。そして翌1982年に初リーダー作『マルサリスの肖像』をリリースし、ジャズ・シーンのスーパー・スターになっていったのはご存じの通りである。
そしてこのカルテットのツアーが終りに近付いた1981年7月末に東京でレコーディングされたのがこの『カルテット』だ。この時ハービ一は絶好調だったのか、それとも期するものがあったのか、4日間スタジオに入り、3種類のフォーマットで、発表されたものだけでも18曲ものレコーディングを行っている。7月27日はトリオによるレコーディングで、これは『ハービー・ハンコック・トリオ '81』として発表され、翌28日にはウィントンを加えた本作『カルテット』をレコーディング、そして29、30日の2日間はブランフォード・マルサリスを加えたクインテットでレコーディングし(このセッションのためにブランフォードをアメリカから呼び寄せ、またこのクインテットは後に“V.S.O.P. II”としてワールド・ツアーを行うことになる)、その時のセッションから4曲が『マルサリスの肖像』に収録された。これだけの素晴らしい内容のアルバムたちが日本でレコーディングされたということは、我々日本人にとってはとてもうれしい出来事だといえるだろう。

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