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【Lost Liner Notes】 リターン・トゥ・フォーエヴァー / 浪漫の騎士 (1976年)

これは1991年にリリースされたCDのために執筆したライナーノーツを加筆・訂正したものです。

チック・コリアとスタンリー・クラークの2人をリーダーとした“リターン・トゥ・フォーエヴァー"(以下RTF)は、その時代時代で様々なフォーマットで活動していた。1972年にリリースされて記録的な大ヒットとなった『リターン・トゥ・フォーエヴァー』から端を発する第1期(1972~73年)、そして突然ハードなエレクトリック・サウンドに向かった第2期(1973~76年)、さらにホーン・セクションを導入した第3期(1976~'78年)と続き、その後は一旦活動を停止していたが、第2期のメンバーはしばしば再集結してライヴを行なっていた。また2011年にはまた新たなメンバーで“リターン・トゥ・フォーエヴァー IV”としてツアーも行なった。そしてグループがその形態を変化させていくにしたがって、はじめはチックのソロ・プロジェクトという意味合いで始まったRTFも、チックとスタンリー・クラークの共同プロジェクトという形に変わっていった(グループのクレジットもチック・コリア→チック・コリア・リターン・トゥ・フォーエヴァー→リターン・トゥ・フォーエヴァー・フィーチュアリング・チック・コリア→リターン・トゥ・フォーエヴァーへと変わっていっている。この『浪漫の騎士』は“リターン・トゥ・フォーエヴァー”というクレジットの第1弾に当たる)。そんな中でこの第2期は、ある意味で最も“グループ”としての性格が強かったフォーマットであり、4人のメンバーの個性が最もヴィヴィッドに表われていたグループだったといえる。この当時のサウンドはチックの全体的な音楽的歩みの中でもかなり異質なものだったといえるが、それがかえって魅力的だった。1973年の『第7銀河の讃歌』で、チックとスタンリーに、ビル・コナーズとレニー・ホワイトをメンバーに迎えて突然ハードなエレクトリック・サウンドに変身したRTFは、翌1974年にギタリストをアル・ディ・メオラに代えてサウンドをよりハードにしていく。そして1975年の『ノー・ミステリー』でグループのサウンドを確立して、1976年にポリドールからCBSに移籍して発表したのがこの『浪漫の騎士』だった。だが興味深いのは、これと同じ年にチックはそれまでRTFのアルバムをリリースしていたポリドールからソロ・アルバム『妖精』を発表し、その後『マイ・スパニッシュ・ハート』『マッド・ハッター』などといった名作を次々にリリースしていったということだ。そしてその方向性がのちに第3期RTFにダイレクトにつながっていくことを考えると、当時チックにとってこの第2期RTFはすでにひとつのスペシャル・プロジェクトになっていたといえるだろう。同時にこの『浪漫の騎士』は、そんなチックにとって“第2期RTFの完結”という意味を持っていたということがわかる。

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