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マラソン・ランニングを始めたこと

金沢市で、大規模な市民マラソン大会が行われることになり、第1回の大会は2015年11月15日の日曜日。就任した山野之義市長が、開通した北陸新幹線で金沢へお客さんを呼び込もう、町を活性化させよう、と始めたイベントです。

私はというと、マラソンを観たのは、大学の卒業旅行でアメリカ・メキシコへ旅行していた1987年3月1日にロサンゼルスの町を買い物に歩いていて、第2回ロサンゼルスマラソンのランナーや沿道の応援風景に出会った事があるぐらいで、
「すげえ、みんな頑張って走ってるな」
ぐらいの感想でした。マラソン大会やら、箱根駅伝のテレビをやってると、何となく見てしまうのは、周りの皆さんに釣られて…でも、何となく続けて見ちゃうんですよね。不思議なものです。

さて、2015年は10月初めに自分のかなり重そうな病気が発覚しました。
しかしその前から、同級生(小学校からの親友)で整形外科医で金沢市医師会でマラソンの救護の担当役員をしていた相木一秀先生から救護班の手伝いを頼まれていました。妻の誕生日ではあるのですが、まあ市民一丸のお祭りのお手伝いだからと、それほど積極的ではない気持ちでお手伝いを約束しました。
10月25日に救護班の講演会が金沢大学の角間キャンパスで行われましたが、重い気持ちで講義を聞いていたことを思い出します。

当日の11月15日は朝からの雨。しかも、スタート直前にいきなりのざーざー降りで、これは波乱のスタートだな〜って戦慄しました。

私の担当は陸上競技場のスタンドの下、屋内走路にベッドを並べて、少し症状の重い人たちをゴール横の救護から連れてきてケアする部署でした。

横の窓からはゴールの少し手前を走ってくるランナーの姿が見えます。ロシア陸連のドーピング問題で失格になってしまいましたが、1着のランナーは若いロシア人でした。
「速えぇ〜〜〜」
ってのが素直な感想でした。僕らが全力で走るのと同じぐらいの速さで42km走ってきて、まだこの速さってのはすごかったなぁ、横で見ると実感します。

トップランナーの皆さんから遅れて3時間-4時間ぐらいの方々が帰ってきたあたりから、低体温でヤバそうな方々がどんどん運ばれてきます。走ってきたのに体は冷え冷えで、預け荷物持ってきて体を拭いてストーブの横で毛布を巻いて暖をとってみたいに。ランニングに精通しているペースランナーさんもかなりつらそうに運ばれてきたり、こりゃあ過酷だなぁ。

ただ、その後5時間、6時間のファンランの皆さん、雨具を着たりポンチョをまとって、仲間のランナーと完走したことを喜びながら、にこにこと嬉しそうに競技場に帰ってくる市民ランナーの皆さんを見ると、
「あー、素晴らしいな、あんなおっちゃんやおばちゃんでもしっかり帰ってきて、にこにこしてる。羨ましいな、おいらにもできるんじゃないかな?」
と思わせてくれるものでした。
市長さんもゴールの手前に立ちっぱなしで、帰ってくるランナーの皆さんにハイタッチして完走を労っています。

治療が終わったらマラソンでもやってみようかな、と思ったのはこの日のことでした。

大会の10日後、11月25日には医療ボランティアの打ち上げパーティーがありまして、その時にお酌に回っておられた山野市長に
「最初に聞いた時は『なんでぇ、マラソンかよ』って思いましたよ」
と正直に話しました。ドリフのがっくりポーズを取られた市長さんに続けて、
「でもね、ゴールされた皆さんの晴々としたお顔を見て『ああ、いいイベントだったんだな、携わってよかったな』と思いましたよ」
と話したら、握手を求められました。山野さんの飾らない人柄に触れて、マラソンイベントに対する見方が変わったのは本当のことです。出る人も応援する人もボランティアも、一丸となって、楽しめるイベントであり続けてほしいなと思います。

2015年の年末は入院して手術。2016年1月26日から放射線治療開始、27日から4泊入院化学療法。翌月からも3泊に減らして、4月23日まで合計4コースの化学療法を行いました。

5月に、郊外のスポーツ用品量販店でランニングシューズを購入。地域の運動会で両膝を痛めていたので、店員さんと話し合いながら慎重に靴を選び、今も続けて履いているAsicsのGel-Nimbusを初めて購入しました。通信販売でEpsonのGPS腕時計SF-810を購入してログをとり始めました。
初めて走り出したのが5月18日です。自宅の周り1kmでへとへとになりました。走っても走ってもぜんぜんダメで、方針変更してとにかくロングウオーキングでいくぜ、と決めたのが5月28日。そこからは、早起きする時刻を早めて、距離を稼いで少しずつ速くしていく方針にしました。
もちろん金沢マラソンにランナーとして応募して、幸運にも抽選で出走権を獲得しました。

そして、2016年10月23日に第2回金沢マラソン(フルマラソン)を無事完走することができました。

この初めての完走の充実感というのは、言葉で表すのがとても難しい。

速さを求めているか?
→ No。順位も時間もどうでもいい。42.195km完走できたことが嬉しい。

すんごい気持ちいい?
→ No。疲労は絶頂、足は痛くて下手に止まったら攣りそう。

達成感?
→ Yes。これはあり。

絶頂感?
→ Yes!これがしっくり来るかも。脳内麻薬どば〜〜に近いかもしれません。

スタンドでゴールを見届けてくれた家族と車で帰宅して、シャワーを浴びてビールを飲んだら心の底から湧き上がってくる、セカンド・ウェーブ絶頂感。長距離ランナーを一旦始めるとやめられない人が多いんだということがよくわかりました。

その後は

2017年3月19日 ハーフマラソン(金沢ロードレース)完走

2017年10月29日 フルマラソン(第3回金沢マラソン)完走

2018年10月28日 フルマラソン(第4回金沢マラソン)完走

2018年12月9日 フルマラソン(ホノルルマラソン2018)完走
この時から女房も一緒に走り始めました。
「応援に同行するぐらいなら一緒に走ろう」ということで。

2019年7月28日 フルマラソン(サンフランシスコマラソン2019)完走
UCSFでのHIVトレーニング (IMPACT) でお世話になった小林まさみ・デビッドウィーズナーご夫妻と再会しました。

左から、女房、おいら、デイブ、まさみさん

2019年10月27日 フルマラソン(第5回金沢マラソン)完走

2019年12月8日 フルマラソン(ホノルルマラソン2019)完走
昨年に続いて。
すでに仕事は引退してたので心置きなく。
徳田先生、杉浦先生ほか皆さんとWolfgang's Steak House - Waikiki Beachでの美味しい食事も、2年続けて楽しみました。Mr. Wolfgangと記念写真も撮ったり。

左から、おいら、Mr. Wolfgang、杉浦先生、徳田先生

2020年10月 オンラインマラソン(グアムマラソン2020)
コロナで現地開催は中止

2020年10月 オンラインマラソン(金沢マラソン2020)
コロナでオンライン開催

2021年10月31日 フルマラソン(金沢マラソン2021)完走

2022年3月13日 ハーフマラソン(名古屋シティマラソン2022)
10km関門不通過で初めてのリタイア (T^T)

普段のランニングで、化学療法を受け続ける体力の維持も目指してましたが、2022年に入って体が思うように動かなくなってきました。腫瘍マーカもぐっと上がってきて、息が切れるようになってきて、これはもうアカンかもねという感じです。

今受けている化学療法が奏効してくれたら、軽いジョギングやウォーキングぐらいはできるようになるといいなと思ってます。目の前にぶら下げるニンジンとして秋の金沢マラソンには応募しようと思ってます。
「10月まで生きるんだ」
というニンジンをその時に食べることができるかどうかはわかりませんが、絶望はもうちょっと先の方がいいよね。

ということで、自己満足のストーリーにお付き合いいただきありがとうございました。

追記:標記がわかりにくかったので「ドーピングでのロシア陸連の出場問題」を「ロシア陸連のドーピング問題」に訂正しました。


サンフランシスコマラソン2019・ゴールデンゲートブリッジに向かってるところ・女房撮影
Run to live, Live to runのTシャツは同級生が作ってくれました。感謝 m(_ _)m


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