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12/23 プログラム・ノート③グリエール 夜想曲&ロマンス

レインゴリト・グリエール(1875-1956)は、かつてはロシア帝国/ソヴィエト連邦の作曲家、と書かれることが多かったですが、今後は、ロシア帝国(現ウクライナ)出身の、との表記を目にすることが増えていくかも知れません。また、家系はフランスもしくはベルギー系、との記述も一般的でしたが、現在では、父はドイツ人の楽器職人、母はポーランド人、とされています。本来はドイツ系の姓Glierで、出版社の誤記によりGliér(フランス語として発音するならグリエ)、とされたことに困惑した本人が、語尾のrを発音してもらうための措置としてGlièreと表記をしたため、このような風説が広まったようです。定説が時代によって変化していく例を列挙する、みたいな入り方になってしまいましたが、作曲家としてのグリエールの評価も、また見方によって変化してゆくところで、ジダーノフ批判に晒されたプロコフィエフやショスタコーヴィチに比べ、ソヴィエトの支配体制側から危険視される要素が少なかったことも、逆に後世の評価を不当に下げる要因になっているかも知れません。交響曲第3番「イリヤー・ムーロメツ」のような実験的意欲作より、初期(この作品35を含め)や晩年(ホルン協奏曲)など、典型的ロマン派の様式による作品のほうが、演奏機会に恵まれがちでもあります。

11の小品 作品35(1908年)は、様々な楽器とピアノのための2重奏曲を集めた曲集で、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンのために各2曲ずつ、チェロのために1曲、という内訳になっています。そのうち、クラリネットのための6. ロマンス、7. 悲しきワルツ、のホルン用編曲と、元来ホルンのための10. 夜想曲、11. 間奏曲、の4曲が、ホルン奏者の間では定番レパートリーとして親しまれています(ロマンスに関しては、オリジナルのクラリネット版よりホルンで演奏されることの方が多い程です)。伸びやかなメロディ、芳醇な和声は、帝政ロシア末期の爛熟した果実、という趣です。

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