見出し画像

お兄ちゃんがおかしくなったのは13年前です。当時私は11で、お兄ちゃんは14でした。当時の私には得体の知れない中学校とかいう世界でお兄ちゃんは毎日ぶたれたり蹴られたりしたそうです。
それからお兄ちゃんは心がおかしくなってしまいました。味がしぃへんのですって。何食べても。ニコニコしてお外でいっしょに遊んでくれた兄ちゃんはもう戻ってこぉへんのですって。
お兄ちゃんはお兄ちゃんの宇宙に閉じこもってしまって。でもこの宇宙の中にはお兄ちゃんのこと殴ったり、傷つけたりするような人が存在しないから、それなら好きなだけそこにいたらいいと思う。
お兄ちゃんは部屋にいるときパソコンとかはしない。目が悪くならないから良かったなと思う。その代わりに本を読む。ラジオもきく。映画とかもたまにみる。スマホならラジオ聴き放題だよって言ったけどよくわかんないからいらないって。でも連絡できないのは困るからガラケーをもたせた。そんで私のスマホにはいつでも貸せるようにラジオアプリが入ってる。課金したけどお兄ちゃん貸してって言ってこなくて勿体無いから私もお兄ちゃんの好きな番組きいたりした。深夜のラジオは頭のおかしい人ばっかりで好きだった。
お兄ちゃんが使うはずだったお金が余ってたから、私は奨学金も借りずに大学行って就職した。当時小学生だった私が今では毎日働いてる。趣味はない。友達もいない。お金だけはたまる。だから私はたまにお兄ちゃんを無理矢理外に連れ出す。
お兄ちゃんの好きなラジオのお笑い芸人がライブやるってきいて誘ってみた。自分から外出しないけど、誘えばついてきてくれた。私もお兄ちゃんもラジオしか聴いたことなかったけど、コントやってる人たちらしい。
なんにも知らずに観に行ったライブは酷かった。小学生レベルのうんことか連発してるだけのネタだった。くだらなすぎてめちゃくちゃ笑った。泣くほど笑った。あんなにも下品なのに誰も傷つかないあの空間がたまらなく好きだった。隣の座席からふふっ、て聞こえてきてまたちょっと泣いた。
お母さんもお父さんも、きっとどう接すればいいのかわかんないんだと思う。傷つけたりしないけど助けてあげたりもしなかった。そんなら殺してるのといっしょだって思った。だから、お兄ちゃんの宇宙を無理矢理移設してしまった。
高校も大学もバイト三昧で学生には似つかわしくないほどの貯金をして田舎から東京へ2人で逃げた。東京のアパートには親戚がくることも近所に陰口言われることもない。
田舎の広い空はずっとずっとお兄ちゃんのこと殺そうとしてるみたいだった。都会の空はきったないけど、でもここならもっと完璧な静かなお兄ちゃんの宇宙ができると思う。

お笑いライブの帰り道、職場の人にあった。二、三個上で背が高くてしゃれた髪の毛が嫌いだった。「こんなところでなにしてたの?」とか「その人彼氏?」とか「私服そんな感じなんだねぇ」とか、全部キモかった。
扉を占める音もデスクの引き出しを開ける音も階段を登る足音も全部嫌い。全部思いやりが欠如しとって、キモい人。
キモくてキモいけどにいちゃんになんか、口にもしたくないような失礼なこと言った気がする。あんま覚えてないけど、でもなんかきもくて、たまらなくなって持ってたカバンで顔面ぶっ叩いてやった。金具がいい感じに当たったみたいで「いてぇっ!」って叫んでた。大げさだ。どうせなら血のひとつでもながしたらいいのに。
兄ちゃんはなんにも言わなかったけど逃げたりもしなかった。だから私が手ェひいて逃げた。逃げる前にもう一発。血が出るまで殴ればよかった。

帰り道。お兄ちゃんは一言も喋らなかった。胸糞悪くて近所のカレーのにおいもうざかった。
兄ちゃん。兄ちゃんのこと傷つけた人たちみんな死んじゃえばいいのにね。あの真っ赤な塔のてっぺんに突き刺さって死んじゃえばいいのにね。あの大きな鐘と一緒に杵で突かれて死んじゃえばいいのにね。この泥沼で苦しみながら沈んで行けばいいのにね。
お兄ちゃん、逃げてもいいんだからね。代わりに私がいくらでも殴るからね。

次の日、昨日のキモい人は仕事を休んだ。ということはなかった。ただ他の人たちとひそひそしとってきしょいなって思った。
兄ちゃんは相変わらず宇宙人だ。通信ができるのは世界で私ただ1人。それでいい。それが私の唯一の幸だ。

お兄ちゃん。お兄ちゃんのこと傷つけた奴らがお兄ちゃんのこと忘れて、へーきで笑ったり喜んだり、結婚して子供産んで昔は良かったとか言っても、私は忘れないよ。ずっとずっと苦しむよ。
電車で痴漢されたことも、男にどなられたことも、子どもを産むためのモノのように扱われて生きることも、全部これっぽっちも、お兄ちゃんの痛みにはたりなくて。もっと苦しみたい。苦しんで苦しんで苦しんだら、きっとお兄ちゃんと同じ宇宙に行ける。
おにいちゃんの宇宙はキラキラ、ピカピカしとる。おもちゃのピアノの音が流れてて布団の中の秘密基地みたい。
私も早くそこに行って、死んでしまいたい。



大学の課題用に書いた作品です。

優しすぎるひとは他人の痛みで死んでしまう。

というはなし。"ふいご"と読みます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?