心霊体験。

チョンコウいこうぜ

これが高校生の頃の合言葉だった。地元の小高い山の上にチョンコウはあった。

正確には朝鮮初等中学校だか、なんだかそんな名前の廃校だった。そこは本当に学校の怪談に出てくるような廃校だった。

17歳の僕は夜中に友達と何度もそこに行き、肝試しがてらに、満点の星空と綺麗な夜景を見に行っていた。小高い山の上にあるチョンコウはの屋上からは地元の街が一望できた。

高校生になり酒を覚えた僕たちは、夏は地元の小学校なんかで、外飲みと言われる飲み会を開くようになっていた。近所のコンビニで酒やツマミを買って、深夜の学校の敷地内で明け方まで飲むのだった。夏の夜にプールに足をつけながら缶チューハイを飲むのは楽しかった。

メンバーはだいたい幼馴染の5.6人だった。今思えばみんな家庭に問題を抱えていた。家に居場所がないから、友達といると心が安らぐのだった。お互いを信用していたから、誰も変なグレかたはしなかった。

チョンコウは敷地内への侵入を防ぐために有刺鉄線で囲われていた。でも僕らにはいつもの侵入口があった。裏門の有刺鉄線は既に僕がペンチでカットしてあったので、僕らはいつもそこから侵入をした。

10年近く廃校のまま忘れ去られたこの校舎は、各世代の不良グループの溜まり場だったようだ。僕らがそこに行き出したころには、ほとんどのガラスは破られていて、校舎は落書きだらけ、色んなものが散乱していた。

僕は何度もそこに行っていたので、校舎の地図は頭に入っていた。中央階段を上がって、三階の廊下を歩いて非常階段にいくと、そこから屋上に出れる。そこからの眺めは最高だ。

チョンコウで特に怖いとされてるスポットは7つあった。まずは給食室だ。ここには当時の謎の瓶の漬物や、怪しいハングルの書かれた調味料などが散乱していた。

理科室も怖かった。カエルのホルマリン漬けや、動物の内臓の瓶詰などが並んでいたし、人体模型も置かれていた。そのほかには沼のようなプール、物悲しい体育館、壁の一面が鏡ばりの音楽室、ベッドの置かれた宿直室、赤い絨毯のひかれた校長室、などなど、とにかく心霊スポットがたくさんあった。

僕は怖いという感情があまりない人間だったので平気だったが、友達とチョンコウにいくと、周りはいつも大騒ぎをしていた。

友達と夜中にチョンコウに忍び込み、一通りの心霊スポットを回った後に、屋上で星空と夜景を見ながら一服するのは最高だった。場合によってはそのまま屋上で酒を飲んだりもした。明け方に東の空に日が昇るのを何度ここから眺めただろうか。

親との距離に悩み、学校に疲れて、行き場のない気持ちの置き所をなくした17歳の僕は、チョンコウの屋上で澄んだ星空と、眼下に広がる生まれた街の夜景を見ることで、少なからず救われていたと思う。

誰かに何かを伝えたい衝動と、誰もわかってくれない諦めの二つの気持ちがいつも葛藤していた。自分なんかなんてと落ち込みながらも、自分だからできることがあるとも信じてた。17歳という年齢はとにかく全てが揺らいでいる。

ある日、チョンコウの屋上で軽い飲み会をしていた時のことだ。僕はいつもの幼馴染のメンバーと来ていたが、そのうちの一人が他校の友達を呼んだらしく、珍しく10人ほどが集まっていた。

10人も若者が集まると、必然的に飲み会はうるさくなった。この頃から僕はうるさいのが苦手だったので、屋上で酒を飲んでる連中を無視して、一人で廃校の中を歩いていた。

するとケータイがなり、友達の女からトイレに行きたい女の子がいるんだけど怖くていけないっていうから、あんた案内してあげてと言われた。もちろん廃校にトイレなんかはない。この頃、僕らは「やしょん」という名称で外でションベンをしていた。

男子だったら屋上の端っことか、場合によっては屋上から大空に向かって大々的に放尿するのだが、女子はそうにはいかないので、だいたい下まで降りて、校庭の脇で密かに放尿してくるのが慣しだった。

屋上に戻ると、二、三ことだけ話したことがある他校の女子が待っていた。ごめんね。私怖がりで下まで行けなくて、とその子は本当に怯えていた。大丈夫だよ。と僕は言ってその女の子と下へ向かった。

その子はよっぽど深夜の廃校が怖いのか、ずっと僕にしがみついていた。僕は全くお化けだの幽霊だのが怖くないので、そういった女の子の行動が不思議でしょうがなかった。

校舎を出て校庭に向かう時に、女の子は僕に本当に怖くないんですね、あなたって、と何か呆れたように言ってきた。うん。まぁ別に怖くはないよ。と答えると、女の子はじゃあ、あっちの脇でしてくるからここにいてね。と言ってきた。女の子はそのあとも怖さを紛らわすためにずっと僕と会話を続けた。暗闇から女の子の声と、放尿音が聞こえてきた。なんかすごいマヌケだな。と僕は思った。

僕も小脇で立ちションをした。女の子はそんな僕を見ていた。見ないでよ、と言いたかったが僕が隠れたらこの子は怖さで発狂しそうなので、我慢した。屋上に戻る最中に女の子がまた僕に話しかけてきた。

あなたはさっきまで一人でどこにいたの?と聞かれたので、喫煙所にしてる教室があるんだよ。眺めが良くてソファーがあるから気に入ってるの、と答えた。女の子はそこに行ってみたいと言い出した。怖くないの?と一応聞いたら、女の子はあなたが平気そうにしてるから、私もなんか少しずつ大丈夫になってきた。と良くわからないことを言っていた。

そこは三階の教室だった。黒板があって、教卓があって、机と椅子は端っこに山積みにされていて、なぜか誰かが持ってきたソファーが置いてあった。おそらく僕より少し上の代の不良が持ち込んだのだろう、そのソファーを窓際に置いて、そこから外を眺めるのが好きだった。

僕がソファーに腰かけると、女の子も隣に座った。眺めいいでしょ?と聞くと女の子は夜景を見ながら、確かに綺麗ね。と言った。手持ち無沙汰なので僕はタバコに火をつけた。女の子にも一応、タバコを勧めた。女の子は一本受け取り火をつけて、一口吸ってむせていた。

なにこれゴホッゴホッと漫画みたいにむせてるのがおかしくて、僕は笑ってしまった。ラッキーストライクだよ。と答えると、私たち女子は普段一ミリとかしか吸わないからと言い訳をしていた。

話してみると、その子は僕よりだいぶ頭の良い高校に通っていた。そして、僕の元カノの友達でもあることが判明した。なんだかんだで友達が繋がってしまうのは、正に「田舎あるある」であった。

僕は集団が苦手だからと言うと、その子も私も苦手と答えた。僕らはしばらく、そのソファーで会話を続けた。お互いの彼氏も彼女の話なんかで盛り上がった。お互いがなんだかとても自然に色々なことを語り合った。

ある程度、時間が経つと心配した屋上の友達から電話がきた。あんまりここにいてもあれだから戻りますかね。と僕が言うと、女の子もそうだねと答えた。

そのあと、僕らはなぜかキスをした。

お互い、多少のお酒が入ってたせいか、なんとなく雰囲気に押されたのかは、よくわからないけど、かるく触れ合うようなそれをした後に、普通に僕らは屋上の飲み会へと戻っていった。

月明かりの飲み会はそのあと深夜の3時ごろにお開きとなった。迎えにきてくれた友達の車に乗り込み、僕らは解散した。

飲み会中も、帰りの車の中でも、僕とその子は殆ど会話をしなかった。そして、連絡先も交換せずに僕らは、その日を終えた。


あれからもう15年が経った。チョンコウも取り壊されて、今では跡地が住宅街となっている。あの日出会った女の子とはあれから一度も会ってない。風の噂だと、東京の大学に行き、当時の彼氏とは別れて、大学卒業後は東京で働いていたらしい。僕は、その子の名前すら忘れてしまったし、顔もよく思い出せない。

ただ、なんとなくあの日、夜の教室で語り合った15分くらいの時間は楽しかったことだけ覚えている。

それはまるで、同じ学校になったことない女の子と、深夜の廃校を探検して距離を縮め、そのあと教室でクラスメイトみたいに会話をして、そのまま恋に落ちたみたいにキスをして、学校から出る時に別れたみたいな話だった。

なんだか学校での恋愛の凝縮版みたいだ。きっとその昔、チョンコウでもそうやって恋をしたカップルはいっぱいいたんだろう。そんな想いが刻まれた教室だからこそ、僕らもそんな気を起こしてしまったのかも知れない。

なんにせよ、あの15分はオバケに会うよりずっと不思議な体験だったと、今になって思う。そして、チョンコウがなくなってしまった今だと、全てが幻しだったような気すらしてしまう。確かにあった事も、全てが忘れ去られてしまえば、それは無かったと同じ事なのだろうか。

そんな悲しい事実は、オバケなんかよりもずっと恐ろしいことだと今の僕は思う。忘れていってしまうという事実は何よりも悲しい人間の呪いなのかも知れない。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?