ノスタルジアと南風。

沖縄で昔の友達に会った。飲み友達だったやつで、7.8年前はよく朝まで一緒に飲んだ仲だ。いつのまにか会わなくなって、風の噂で故郷の沖縄に帰って店をやっていると聞いていた。
生意気な僕は定期的なLINEのアプリを消してしまう。人間関係にひどく疲れてしまうから。別に消す必要なんて全くないんだけど、なんとなく孤独でいることが自分にとって重要だと思える時期がある。でも孤独は自ら帰らなくても、いつも傍に存在している。どんなに充実してても、どんなに闇に落ちていても孤独はそばにある。その孤独に無関心でいれることが、人生の充実度なのかも知れない。

沖縄のバーでとてもキュートな女性に出会った。チンパンジーみたいな童顔に、茶髪のロングツインテールがとても似合う子だった。僕は初めて見た瞬間に察知した。

「君、安室ちゃん好きでしょ?」

「大好きです!」

やっぱりねぇ。そうだよねぇ。ファッション的にも、お化粧的にも安室臭がプンプンしたもん。アムラーって知ってる?知らんわな。てか、このバーのスクリーンには常に安室奈美恵のPVが流れている。そりゃ、誰が見たってわかるよね。

その子の名前は「ななみ」だった。その名前を聞いた時に僕は高校生の頃に少しだけ付き合っていた「ななみ」という子を思い出した。僕の目の前にいるななみと、僕の思い出の中にいるななみはどちらも童顔で、小柄で、とても笑顔がキュートだった。

ななみはここのバーで働いてる22歳の女の子だ。カウンターバーでカラオケも出来るけど、コンセプトはガールズバーでもスナックでもなくて、食事が美味しいフードバーらしい。それなら何か頼もうかな、とメニューを開くと「でも、お料理担当が入院しててフードはないんです」と信じられない言葉が返ってきた。僕は、こんな潔くて素敵なバーがあるなんて、ますます沖縄が好きになってしまった。

客は僕しかいなかった。カウンター越しに僕とななみは安室ちゃん談義に花を咲かせた。ななみにとって安室ちゃんはずっと一番の憧れだったらしく、引退前の沖縄ライブで、その姿を初めて見た時に涙が止まらなかったらしい。彼女は彼女が思っている以上に安室ちゃんが好きだったようだ。

「宗ちゃんはいつから安室ちゃん好きなんですか?」

すっかり打ち解けて(安室ちゃん効果で)あだ名で呼ばれてる僕は、ふとその瞬間に小学校の教室の風景が頭をよぎった。なんで?

あぁ、そうだ。安室ちゃんの曲は教室のラジカセで流していたな。あれは放課後だったかな。男子と女子が7.8人グループで教室に残って安室ちゃん聞いていたような。確か、あいつとあいつがいて、その頃に俺が好きだったあの子もいて、それで流してたよな。確か

「どーこーへーでもー、続く道がある…」

と僕はほぼ無意識に口ずさんだ。すると間髪いれずに、
「Don't wanna cryだ!!」とななみが答えた。

そうか、そういえばそんな名前の曲だったなあ。あの頃はこの曲が流行ってて、みんなで歌番組の話題で盛り上がって、ダウンタウンの真似して、KinKi Kidsのドラマみて、ポケビ派とブラピ派でクラスが分断してて、SPEEDの誰が好きかで揉めてたよな。懐かしいな。ななみの一言で僕の思い出のダムは決壊した。そして刹那のうちに僕は聯想の渦にのまれていくのだった。

長野の片田舎に僕らの通う小学校はあった。周囲を見渡せば360度が山に囲まれている陸の孤島のような町だ。僕の住む地域は盆地の端の、二つの大きな川が交差する三角州のような場所だった。農家があって、古い団地があって、農地を潰してできた新興住宅地があって、児童養護施設があって、といった感じで貧富の差もあり、新しい家と古い家との価値観の違いもある、なんだか田舎版のダイバーシティのようだった。

僕は2歳の頃にこの町へ引っ越してきて、19歳で当時の彼女と同棲を始めるまでの17年間を過ごした。保育園から中学までは、ほぼ同じメンツで、みんな友達というよりも親戚に近い感覚だった。

そんな親戚感覚も小学校も高学年になると、少しずつ学力の差や、運動神経の差や、貧富の差と言うものが出てきて、青春の甘酸っぱい時期を過ごしていくようになる。

クラスの友達関係も少しずつ仕分けされていく。一緒にいて過ごしやすい友達や、つるんでることでメリットのある関係が構築されていく。つまり、イケてるかわいい女子のグループと遊ぶには、能力で選抜された男子グループに属してないといけない。そんな、今考えれば不毛な波に僕は気づかないうちに飲み込まれていた。

小学校6年の時に僕は学級委員長になった。学級委員長なんてのはただの人気投票で、僕はいつの間にかクラスの主要なグループに入っていた。その他にも、委員会の委員長や、地区会の地区長もやっていた。

この頃に、僕はなんとなく自分が人気者になっていくのがわかった。悪い意味での選民意識が芽生え始めたのかも知れない。勉強も運動もそこそこできたし、先生に反抗する気概もあった。そして、なによりも友達と遊ぶ時に仕切りたがる性格と、周りを笑わせるユーモアを持ち合わせていた。そういった目立ちたがり屋のきらいが思春期の共同体の中でフューチャーされていった。

子供なりにチヤホヤされるのが嬉しかった。そして、なによりも自分の属してるサッカークラブのキャプテン、クラスいちのイケメン、体育のヒーローなんかのグループは、常に女子の可愛いグループと遊べるのが何よりの僥倖だった。

でも、そんな楽しい遊び仲間ができる反面、辛い境遇もる。それは、それまで親友だった友達との間にできた距離だ。僕はこの頃から親友だったウッポンという少年と離れていくことになる。

ウッポンはとっても気持ち悪いタイプの子供だった。少年ジャンプと、お笑いと、ファイナルファンタジーをこよなく愛していながら、ポケットの中に昆虫を入れたり、カエルやミミズを平気で掴むタフガイで、女子からの人気はすこぶる悪かった。

ウッポンと僕は小学校低学年から気が合う友達だった。休み時間に少年ジャンプの話をしたり、秘密基地で遊んだり、とにかくいつも二人で遊んでいて、休みの日はお互いの家を往来して親交を深めた。

ウッポンはとても警戒心の強い子供で、とにかく人嫌いだった。特定の友達以外とは全く口も聞かない変わり者だ。そんな性格のせいで彼の友達は僕と、僕の周りの数人だけだった。

対する僕はウッポンとは真逆で、誰とでも仲良くなれるタイプで、クラスのほぼ全員と遊び、席替えをしても隣の席の子とはすぐに打ち解けられる性格だった。僕らはそう言った真逆の部分に惹かれあったのかもしれない。

僕とウッポンはお笑い番組と漫画が大好きだった。当時、世間的にはウッチャンナンチャンのウリナリが流行っていたが、僕とウッポンは断然ダウンタウンのごっつええ感じ派だった。さらにジャンプではスラムダンク、ドラゴンボール、幽遊白書なんかが流行っていたけど、我々二人は「すごいよマサルさんセクシーコマンドー外伝」に夢中だった。

…と、言うのは嘘で、実は僕はウッポンに合わせて「ごっつが一番でウリナリはダメ、マサルさんはジャンプで一番」と言っていたが、他の友達とはウリナリやドラゴンボールを笑いながら語り合っていた。

もちろんごっつとマサルさんが一番面白いと言うのに異論はなかったけど、僕はウッポンほど排他的にはなれずに、魔人ブウを憎み、ミスターサタンで笑い、ナンチャンの社交ダンスを応援しつつ、ビビアンスーに興奮していた。

そんなウッポンと僕は小学校5年の学習発表会で漫才をすることになった。細かい経緯は忘れてしまったが、クラスのほとんどの連中が劇とか、朗読の発表をする中で、なんとなく僕はそれが嫌でウッポンを漫才に誘ったのだ。

当時の担任の先生はとても理解がある人で笑いながらオッケーをしてくれた。そして、僕とウッポンはそこから休み時間のたびにネタ合わせをすることになった。

ネタ合わせは、僕らのコンビ名を決めるところから始まった。僕的にはやっぱりダウンタウンが好きだったので、そんな感じのスタイリッシュな英語が良かった。でも当時はネットも何もないので英語を調べることもできない。

するとウッポンが急に「ウッポンヒロポンにしよう。俺がウッポンで、お前がヒロポン」と言い出した。僕は意味がわからなかった。そもそもウッポンの名前はユウサクだし、僕の本名にもヒロポンの要素がゼロだった。その意味不明なコンビ名に思わず僕が「なんで?」と聞くも、ウッポンは「うん、それがいい。そうしよう」としか答えなかった。

この日から、僕は彼をウッポンと呼ぶようになった。それまで慣れ親しんだユウサクと言う呼び方をやめて、全く意味のわからないウッポンという呼称に改めた。ところが彼は僕をヒロポンとは呼ばなかった。それは、未だに謎なのだが、漫才の時だけ彼は僕をヒロポンと呼び、普段は今まで通り本名で僕を呼び続けた。

僕らの漫才は何故か驚異的にウケた。

学習発表会というステージで、保護者の方も見ているせいか抜群にウケた。考えてみれば小学5年の子供が二人で漫才をやっているなんて微笑ましさがあって親御さんたちは笑っていたのだろう。親が笑うと子も笑う。そんな相乗効果で僕らはクラスの人気者になっていった。

ネタは基本的に僕が考えていた。今思えば漫才とは名ばかりで、ごっつや、バカ殿や、その他のお笑い番組の要素を取り入れたコントのようなどつき漫才だった。僕はこの頃からお笑い番組のモノマネが得意でよく友達にも披露していた。小学生だとこれくらいのお茶目な奴がちょうどウケるのだ。

僕らの漫才(?)は好評で担任の先生もえらく気に入ってしまい、なぜかそこから一年半の間に5回ほど披露する機会を得た。その度に僕らはネタ合わせをして、披露しては爆笑をさらって自信をつけていた。

そんなある日のネタ合わせの最中に、珍しくウッポンがネタを書いてきた。僕はいつものテイストでバカ殿風のドタバタ劇のネタを書いてきたのに、なぜかウッポンは全く異次元のショートコントを書いてきた。僕はそれに目を通して、絶望した。そのウッポンのセンスがあまりにも凄かったからだ。そして、僕は自分のネタを恥じて、ウッポンのショートコントを採用した。

そこから次回の発表はショートコントを三本やろうということにした。僕はウッポンのインドのカレー屋さんというネタに負けないように頑張って二本のネタを書いた。

そして、6年の時の学習発表会。僕らは一番最初にウッポンの考えた最強のネタを披露した。



二人「ショートコント、インドのカレー屋さん」

ヒロポン(以下、ヒ)「どーも、リポーターのヒロポンです。今日はですね、なんと!この町に新しくできたインド料理屋さんに取材に来ています。それでは、早速お店にお邪魔したいと思います」

(ウィーンとドアを開けて、店に入る)

ヒ「おっ、早速カレーのいい匂いがしてきますね。それではこちらのご主人にインタビューしてみたいと思います。こんにちは」
(ヒロポンがマイクを店主役のウッポンに向ける)

ウッポン(以下、ウ)「……」

ヒ「あれ?おかしいな。聞こえなかったかな?もう一度、こんにちは」

ウ「カレー」(無表情で言う)

ヒロポン「おっ!さすが評判のカレー屋さん、挨拶からカレーなんですね。早速ですが、こちらのおすすめメニューは?」

ウ「カレー」(無表情で言う)

ヒ「やっぱりそうですか。では、こちらのカレーのこだわりは?」

ウ「カレー」(無表情で言う)

ヒ「ん?あれ?なんですかね?やっぱりカレーの中のカレーってことなんですかね?ちなみにこのお店は何年目なんですか?」

ウ「「カレー」(無表情で言う)

ヒ「あれ?ちょっと答えになってないな?もしかしてご主人、緊張してるのかな?」

ウ「「カレー」(無表情で言う)

ヒ「あっダメだこれ。もう何言ってもカレーだ。ご主人はなぜカレーしか言えないんですか?」

ウ「「カレー」(無表情で言う)

ヒ「やっぱりそうだ。この人、何聞いてもカレーしか言えないよ。この人は誕生日聞いてもカレーっていうよ。ね?そうでしょ?」

ウ「「カレー」(無表情で言う)

ヒ「ほら!やっぱりそうだ!じゃあ身長は?」

ウ「「カレー」(無表情で言う)

ヒ「体重は?」

ウ「「カレー」(無表情で言う)

ヒ「出身は?」

ウ「「カレー」(無表情で言う)

ヒ「ああ!ダメだこれじゃインタビューにならない。どうしたらいいんだ?」

ウ「「カレー」(無表情で言う)

ヒ「いや、今は聞いてない!そうだ、いいこと思いついた。これ聞けばインタビューが成り立つぞ。よーし!それでは、ズバリ好きな食べ物は?」

ウ「「チャーハン!」(目を見開いて食い気味に)

ヒ「なんでだよ?!」(ツッコミで叩きながら)

ウ「「カレー」(無表情で言う)

ヒ「いや、今のは聞いてんじゃなくてツッコミだよ!てかもういいよ!」

おわり

ウケなかった…

なぜかこのネタは僕たちウッポンヒロポンで唯一すべったネタになってしまった。

正確には最大の山場のチャーハンのところで笑っている保護者が2、3人いた。しかし、殆どのオーディエンスは、このネタの振って振って落とすと言う意味がわからなかったのだ。
その後の僕が考えたレストランのネタと、ガソリンスタンドのネタはウケた。でも、やっぱり個人的には1番面白かったカレー屋さんがスベったのが悔しかった。

僕は今でも思う。僕の考えたと言うよりも、数々のお笑い番組からパクったネタよりも、このウッポンのネタは何倍もすごい。そもそもネットもない時代の小学5年が、こういったシュールネタを全くのサラから考えるなんて、彼は間違いなく天才だったと思う。それくらいウッポンはすごい奴だった。

それなのに何故か周りは僕のパクリネタを評価してしまった。どんな才能も、近くでそれに気づける感性がないと日の目を見ないのだ。僕はクラスの人気者に、ウッポンはクラスの変わり者へと益々なっていった。

教室という子供にとってオフィシャルな場所で僕とウッポンは少しずつすれ違っていった。僕の周りには煌びやかな連中が自然と集まり、休み時間が男女のグループで固まって会話をする合コンのような塩梅になっていた。

さらに周りの影響で僕は、昼休みも放課後も校庭でサッカーをするようになっていた。サッカーは常に隣のクラスとの試合方式で、いつのまにかFWというポジションを与えられた僕は出ない訳にいかなくなっていた。ウッポンは球技が全く出来ない。休み時間のたびに明るい連中に囲まれて校庭に向かう僕はチラリと教室を見た。ウッポンは机に座ってあえて僕から視線を外してるようだった。なんだか胸がキュッとなった。

それでも僕は時間を作ってウッポンとの秘密基地に顔を出すようにしていた。その頃、僕たちには学校内に秘密基地があった。校舎の離れにプレハブ小屋があり、そのプレハブ小屋は床下がとても広く出来ていた。もちろんその広い床下に子供が入らないように、板張りにされているのだが、僕たちはその下をスコップで掘って潜り込めるようにしてあった。普段はその穴の上にベニヤと布を引いて、その上に土を被せてあるから、誰にも気づかれない。

床下は150センチくらいの高さのある空間で中腰なら好きに移動ができる。中は僅かな足元の隙間から外の光が入る程度で中心は真っ暗だ。でも僕らはそこに大量のロウソクとマッチとライターを持ち込んでいた。

秘密基地のメンバーは僕とウッポンを含めて5人だった。その5人は鉄の結束で結ばれたメンバーだ。

ある日の昼休み。何となくサッカーのメンバーから逃げて僕は基地に行った。入り口をくぐり中にはいると、ぼんやりとロウソクの火が見えた。既にメンバーが2人ほど来ていた。床下はまるで碁盤の目のように足元20センチくらいのところに木枠がはめられていた。僕は自分のスペースに腰を下ろしてロウソクに火を灯すと、お菓子を入れた箱からチョコパイを出して食べた。

しばらくするとウッポンともう一人のメンバーもやってきて、僕らは格子状に貼られた木枠のそれぞれのスペースに腰掛けて、ロウソクの火をぼんやり眺めながら、昨日見たテレビや、今週のジャンプ、場合によってはファイナルファンタジーⅥの攻略法を語り合った。それは僕に取って何よりも楽しい時間だった。

持ち込まれた大量のお菓子、友達の家の仏壇からくすねてきたマッチとロウソク、少年ジャンプ、ゲームボーイライト、エロ本、漫才の台本ノート、そういった子供の夢が基地の中に散らばっていた。本当にそこは居心地が良かった。

今でも思い出す特別な光景がある。

小学六年生だった頃の、ある冬の日曜日。僕とウッポンは二人で基地にいた。なぜ他のメンバーがいなかったのかは覚えてないが、僕らは午後1時に小学校で待ち合わせをして、そこから二人で基地に入った。

僕らはもうすぐ中学生になる。中学生になったらきっとクラスも環境も変わってしまう。ウッポンと僕の間にある、この薄ぼんやりとした距離は益々広がってしまうのだろうか。僕らはきっと心と心で通じ合っている。でも環境が変わり、状況が変わり、そこに物理的な距離ができる。

幼い頃の時間は残酷だ。僕らは口に出さなくても、または理解できてなくても、何となくこのもどかしい距離感を感じていたと思う。

その頃、僕のウッポンは二人で漫画の設定を考えて語り合うことにハマっていた。暗くて寒い基地の中で、毛布にくるまり、ロウソクの火で暖を取りながら語り合う。僕らが二人で作った物語。

レインタウンは雨が降り続ける街。

街は大きなボウルの底にあるような形態で、外に出ることはできない。降り止まない雨が街中にある水車を回して発電している。
この街は上空に常に分厚い雲に覆われているので、太陽も星も見えない。
街の真ん中に無限タワーという塔がある。その塔は天に向かって伸びていて分厚い雲に突き刺さっている。
そこに生まれたセイルという男の子が、その街から外の世界へ出て行く話を僕らは考えていた。

細かい設定を二人で決めていった。

その街は雨で守られてる古代都市。その昔、ゴーレムが世界中の土から生まれて人間は滅びかけた。そこで、人間はゴーレムの苦手な雨が降り続ける都市を築き、人間はそこに留まり300年が経った。
無限タワーは雲を吸い寄せる。そして、街には雨が降り続ける。降った雨はボウル状のレインタウンを流れ、地下水路に流れて海に放出される。
分厚い雲はの中では雷鳴が鳴り続けて、雲に入ってしまうと人間は生きて出れない。
セイルはその街はで生まれ、いつか星や太陽を見たいと願っていた。そして、無限タワーの秘密を探り、隠しエレベーターを見つけて、タワーを登る。でもそれは片道通行。セイルは無限タワーの頂上、空中都市エデンにたどり着く。

エデンは太陽が降り注ぎ、緑豊かな都市だった。そこには若い女の子と老人の二人だけが暮らしていた。エデンもまた孤立都市。そして、エデンには掟があった。男子は18歳になるとパラグライダーみたいなものに乗り、外の世界へ旅立たねばならない。
そうやって300年の間に少しずつ人が減り、もうここには二人しか残っていなかった。女の子の名前はレイラ。
セイルがエデンに訪れた日にレイラの祖父は息を引き取る。セイルはレイラと共に飛行パラグライダーに乗り、外の世界へと旅立つ。

外の世界のゴーレムは既に滅んでいた。

セイルは外の世界で、レインタウンの成り立ちを知る。そして、雨をやませてレインタウンに太陽を降り注がせて解放させようとする。
世界にはレインタウンの他に、海の中に築かれたシータウン、巨大な滝の裏に築かれたリバータウン、とても濃い霧に覆われたゴーストタウンなどがある。セイルとレイラはそれらの街を築いた人間の古文書を手に入れて、街を解放して行く旅に出る。


…と、まぁこんな設定を二人で決めていた。僕らの想像力は止まることなく、設定は雪だるま式に増えていく。いつかこれを漫画にして二人でジャンプに掲載させようと語り合った。幼い僕らは、それが本気で叶うと思っていた。そして、その話を完璧にするためにノートに絵を描き、設定を書き、夢を書き続けていた。


どれくらい基地の中にいただろうか、時計もないので時間がわからない。すっかり寒くなってきたし、僕らは一度外に出て校舎の時計を見に行くことにした。

僕らは真っ暗な基地から外へ出た。

先に外に出た僕は思わず「わぁ」と声を漏らした。
外は雪が降っていた。

雪は少しだけ積もっていた。基地から出たら外の景色がまるっきり変わってることが幻想的で、僕らはその瞬間に特別を感じた。

見上げると薄灰色の天から白い雪がヒラヒラと舞い落ちてくる。寒さよりもワクワクが勝っていた。雪だ。今年最初の雪だ。

わずかに積もった雪を掴むとサラサラとしている。経験でわかるが、これは積もらない雪だ。雪合戦も出来ないし、鎌倉も作れない。でも、ほぼ1年ぶりに見る雪はやはり気分を高揚させる。

校庭に行くと、更に広大な銀世界が広がっていた。真冬の日曜の夕方に学校に来てるのは、どうやら僕たちだけだった。僕たちは校庭の雪を踏みつけてはしゃいだ。新雪を踏みしめる権利は最初の一人にしか与えられない。明日学校にくる連中には味わえない楽しみだ。

校庭の雪を踏みつけて、巨大なテンテンくんとドラえもんの顔を描いた。ジャングルジムのてっぺんからその落書きを見て二人で笑った。寒さで鼻水が出てきたけど、楽しさの方が勝っていたから平気だった。白銀の世界には、僕ら二人しか存在してないようだった。

日も暮れてくると僕らはバイバイをした。いつものようにハイタッチから腕を組み、また明日学校でな!と声を掛け合う。明日はまた他の友達とサッカーをするかも知れない、女子のグループと手紙のやりとりもある。ウッポンとどれくらい話せるだろうか。そんなことを思いながら僕は家に帰った。

ダウンタウンのごっつええ感じが終わってしまった日曜の夜はやることがあまりない。僕は家に着くと明日の学校だけが楽しみだった。そして、眠った。



バーでななみと会話をしながら、僕はきっとこんなことをずっと思い出していた。それは集中して当時を振り返るという訳ではなく、とても断片的に当時の風景が頭の中に流れて行くようなイメージだった。過去の景色が頭によぎる。そのよぎった景色と今に不思議な共通点ができる。それを皮切りに聯想はこだまするように、反射するように、共鳴するように繋がっていく。

過去と今と未来は繋がっている。過去に起きた波は今に波及して、未来へと流れていくのか。僕という人間は今どこにいるのか。自分は不動で時だけが流れているのか。

夜中の一時頃に僕はバーを後にした。ななみとはすっかり意気投合をして、日を改めてまた飲もうという話になった。僕はその日の約束をスマホのスケジュールに登録するとホテルへと歩いて帰った。沖縄のぬるい夜風が心地よい。空を見上げて月を探したが、薄雲に覆われた空は濁っているだけだった。

沖縄に思い入れも記憶もない。僕が頻繁に沖縄に足を運ぶようになったのは30歳近くになってからだ。でも不思議とここの空気は僕に色々なことを思い出させる。これがノスタルジアなのかも知れない。故郷から離れてみるほどに、望郷の念が湧き出るのだろうか?なんともご都合主義な郷愁である。

日を改めて、再びななみの店を訪れた。

時刻は既に深夜の2時を回っていた。店に入るとまたしても客は僕一人だった。
平日のこの時間って本当に暇なんです。と、ななみは笑った。とりあえず二人で乾杯をして酒を飲んだ。そして、2時半を回るとななみは店を片付け始める。僕はその姿をぼーっと眺めていた。カチャカチャとグラスを洗う音が店内に響いていた。

中学に入学すると僕とウッポンは別のクラスになってしまった。僕は一組で、ウッポンは二組、教室は隣で距離はそれほどない。でもそこを隔てる壁の力は強力だ。たった一枚の壁を隔ててるだけなのに、僕らは違う世界に生きているようだった。

クラスが変わってあまり絡めなくなったウッポンを、僕は強引にテニス部へと誘った。運動音痴のウッポンだったが、テニス部は経験者もいないし、みんな初心者だから大丈夫だと思ったからだ。

ところが同じ部活に入ったのに、僕とウッポンの距離はさらに広がってしまうことになる。僕はテニスを始めて直ぐに上達した。練習するほどに自分が上手になっていくのが楽しくて、人一倍練習もした。そして、気づけば大会でも好成績を残してレギュラーになっていた。対してウッポンは中々上達しなかった。更にメンバーにも選ばれず、少しずつ練習をサボるようになり、やがて部活に顔を出さなくなっていった。

僕はその時になんて言葉をかけていいかわからなかった。ウッポンの気持ちを考えると「練習でろよ」とは言えなかった。かける言葉が見つからないうちに時間だけが経ち、やがてウッポンはテニス部を辞めてしまった。そうすると益々、僕らは付き合う友達なんかも変わっていき、中学も二年になる頃には、廊下であっても会話をしなくなっていた。

本当は昔、基地で語り合ったレインタウンの話とか、新しく始まった笑う犬の冒険というテレビ番組の話をしたかった。きっとウッポンも見ているはずだから、でもそのきっかけが分からなくて、とうとう僕らはそれっきり二人で遊んだり会話をすることはなかった。

それから、それぞれの時間が流れて、僕らは中学を卒業して別々の高校へと進んでいった。
別々の道とは進むほどに離れていくことなのだと思う。中学を卒業してからは、同じ地区に住んでいるのに、ついに僕とウッポンは行き合うことすらなかった。僕らの共に過ごした時間は間違いなく存在していたはずなのに、それは絆として僕らを再び引き合わせることもなく、純粋な思い出として、ただお互いの心にだけ残ったようだった。



片付け終わりましたよ。

あぁ、、

いきなり声をかけられて僕は多少めんくらったが、すぐにとりなおして、じゃあ飲み行こうかと外へ出た。


沖縄の夜風は今日も生ぬるい。

「どこに飲みいくんですか?」

「知り合いのやってる店。バー?みたいな感じかな」

「みたいな感じ?行ったことないんですか?」

「ないよ。」

「えっ?初めて?てか今日行くって言ってあるんですか?」

「言ってないよ。連絡先知らないし」

「えぇ!どうゆうこと?大丈夫なんですか?」

「わからん。でも昔よく一緒に飲んだ友達なんだよ。今、こっちで店出してるって聞いたからさ」

「はぁ…。もし、その人いなかったらどうするんですか?」

「そしたら他行けばいいよ。もしいるならさ、久しぶりに飲みたいと思ってさ」

「なんか、変っていうか、不思議な感じですね」

「そうかもね。でも、昔良く飲んだやつなんだよね。それっきり連絡取ってないけどさ、なんか懐かしいんだよね。」

僕らは繁華街に向かって歩いた。暫く歩くと、雑居ビルにたどり着いた。看板を見ると、他の友達に聞いていた店名が見つかった。何とも怪しい看板だ。迷ってても仕方ない、僕はエレベーターに乗り三階に行き、その店に入っていった。

薄暗い店内にはカウンターとテーブル席が4つほどあった。カウンターに女の客が一人いて、そのカウンター越しに男の店員が二人いた。暗い店内を怪訝に眺めていた僕の目はその店員の一人を捕らえた。

店員と僕は同時に声を漏らした。「あっ!!」

そこからはまるで安っぽいテレビドラマみたいな再会話に花が咲いた。懐かしいね。元気だった?今何してるの?あいつは元気?相変わらずだな。そんなありきたりの話が止まらなかった。

そんなおっさん2人の再開劇をなぜかななみも喜んでいた。意味はよくわからないけど、安っぽいドラマほど感情移入しやすいのかも知れない。

そこから三人で飲みながらダーツをして、カラオケを歌って、トランプゲームをして、とにかく沢山のテキーラを飲んだ。なんか部活みたいだな、と思いながら、はしゃいで、飲んで、騒いだ。

すっかり飲み疲れて、ふいに時計を見ると朝の7時になっていた。ずいぶん長く飲んだもんだなと我ながら呆れる。泥酔したななみがカラオケで安室奈美恵の曲を歌い続けている。昔のツレが口を開いた。

いつ長野に帰るの?

今日の12時の飛行機だよ。あと5時間。

じゃあ11時には空港行かなきゃだから、あと3時間しか飲めないね。

バカ言ってんじゃないよ。もう帰るよ。ホテルで2時間だけでも眠るよ。疲れた。

なんで?ノリ悪いじゃん。ここまで来たらトコトンでしょ?

そうだったな。昔はそうやってたな。俺、年とったのかも。疲れちゃったよ。

俺も年取ったよ。笑えないくらい年取ったよ。お互い様だよ。

そうだな。また来るよ。会計して。また来るから。

きっとだよ。また来てよ。てか、沖縄だったら、呼んでくれたらどこでも行くよ。飲もうよ。

そうだな。次来る時は連絡するよ。俺も楽しかった。

色々、懐かしいね。俺も今日は楽しかった。

言いようのない寂しさに駆られながらも、僕は会計を済ませた。そして、腰を上げて店を後にした。

見送られて雑居ビルから出ると、外はすっかり明るかった。明るいところで見るななみの顔は死化粧みたいに真っ白だった。

「大丈夫?」と聞くと「だめ、吐きそう。とりあえず帰るね。また連絡する」と返ってきた。

僕はななみをタクシーに乗せると、ホテルに向かって歩き始めた。

道中、たくさんの他人とすれ違った。誰も彼も知らない人だらけだ。この中の誰かと再びすれ違っても僕は何も感じないし、気付きもしないだろう。生きていくってことは常に誰かとすれ違っていく。他人のまますれ違う人と、友達として過ごして、いずれすれ違う人、その違いは何なのだろうか。

懐かしさと寂しさは二律背反のようで表裏一体だ。人は想いがあるほどに喪失を憂いてしまう。何も持たない身軽さに憧れながらも、常に何かを掴んでしまうのは、人間の弱さなのか。何もわからない、何もわからないままに、何かを選び掴み続けている。

掴んではこぼれ落ちて、拾っては失くして、これ以上持てなくても何か他のものを掴もうとしたり、そんなことを繰り返している。

沖縄の眩しい太陽に目を細める。疲れたから少しだけ眠ろう。何もわからないまま、何も知れないまま、今日も眠ろう。僕はそう思った。

ホテルの部屋に戻りベットに潜り込んだ。スマホのアラームを二時間後にセットする。眠りの中に全てを置いてこよう。二時間後に起きたら、また身軽な自分に戻る。それを繰り返してきた。リフレインのようなこの問答に終わりはない。いや、結末は決まっている。それは肉体の限界、心に答えがないが、身体は正直だ、いずれこれも終わる。身体が朽ち果てる時に全てが終わる。だから終わるまで漂っていればいい。ただ漂うのだ。

そう決めると僕は、僕は目を閉じた。

眠りはそう遠くはなかった。僕はあっさりと微睡に飲み込まれていった。


おわり

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