「いのちの初夜」刹那が生んだ完璧な絶望

人生を変えた小説。

そんな言い方をしてしまうと大袈裟ですが、僕には何冊かそう言った小説があります。今日はテイストを変えて、そんな一遍の小説について書きたいと思います。これから先に書くことは、僕が今まで書いてきた文章のどれよりも力を込めて書きます。それほど素晴らしい作品です。そして、少しでも興味を持たれたら「無料」で読めますので、是非騙されたと思って一読してみてください。

それでは、本日は北条民雄(ほうじょうたみお)の「いのちの初夜」を紹介したいと思います。

いきなりですがハンセン病ってご存知ですか?僕の文章力でこの病気の概要、原因、症状、歴史なんかを書くと、とても長くなってしまうのでリンクを貼ります。軽く読んでみてください。

https://medicalnote.jp/diseases/ハンセン病?utm_campaign=ハンセン病_概要&utm_medium=ydd&utm_source=yahoo#概要

簡単に言うと宮崎駿の「もののけ姫」に出てきたこの人達です。

ここから先はこの病気をハンセン病ではなく、北条民雄の小説の表記である癩病(らいびょう)と書きます。ちなみに癩とは「かったい」とも読み、意味はハンセン病患者という意味の他に乞食というのもあり、現在は使わない表記です。ただ、事実として昔の日本ではこの感染力のほぼない癩病患者を差別して、近代化以降は隔離病棟に追いやった事実があります。これは事実なので、僕は敢えて北条民雄について書くときは、癩病と書きたいと思います。

北条民雄は1914年に生まれ、すぐに母親と死別し、その後は父親と共に徳島県で育ちます。ちなみに本名は七條晃司(しちじょうてるじ)と言います。しかし、彼が小説家になってからこの名前を知る人は当時ほぼいません。その説明は後ほど。

民雄(ここからはこう呼びます)は、徳島県で育ち18歳の時に結婚をします。そして、その翌年の19歳の時に癩病を発病して破婚します。その後は、名前も故郷も全てを捨て、東京の東村山にある全生園という収容施設にぶち込まれて、その4年後に腸結核により施設内で死にます。わずか23年の儚い生涯です。

民雄はその施設内で暮らした4年の間に世界的な文学を数点書き残しました。その代表作が本日紹介する「いのちの初夜」です。

ここから先は是非、この作品を皆さんに読んでいただきたいので内容にはなるべく触れずに、作品の補助となる知識と時代背景とその経緯を書きたいと思います。

もし僕のこの駄文を読んで、少しでも興味を持った方は是非、青空文庫というサイトで無料で読めるので北条民雄のいのちの初夜を読んでみてくださいね。最後にリンクも貼ってあります。

それではまず作品の時代背景です。僕は明治後期から昭和初期に書かれた小説が好きで、その中でも特に「私小説」というジャンルが好きです。私小説とは読んで字の如く、作者自身のことを書いた小説です。そして、この北条民雄も私小説を書いています。ちなみに読み方は「わたくししょうせつ」です。

つまりこの作品は一部デフォルメされてますが、基本は民雄の経験からできた作品です。つまり民雄が実際に癩病にかかり、東村山の全生園という収容施設に入り、その中で感じたことが書かれています。

当時、癩病にかかるとは社会的な死を意味しました。そして生物的な死も近いとの宣告でもあります。その理由は、当時の医学ではこの病気の治癒法はなかったのです。

民雄の随筆の「発病」と「発病した頃」というものがあり、そこでこの病気が判明したときの絶望が書かれています。民雄は19歳の時に医者から癩病を告げられ、その後に当時の奥さんと離婚して、更に実家から戸籍も抜かれ全てを無にして施設へ入ります。それは、当時この病気が遺伝的であり、更に感染するものと考えられていたからです。

民雄の奥さんにしてみても、民雄の発病は死の宣告です。もしかしたら自分にも感染してるかも知れない。そして、感染してたら誰かに感染させてしまうかも知れない。もし旦那が癩病と知られたら自分も村八分にされてしまう。それは民雄の父も同じです。もし民雄の癩病が人に知れたら、遺伝的な疑いで自分すらも疑われてしまう。

これが当時の癩病の考えなのです。つまり発病したら最後なのです。こう言ったことから北条民雄は本名の七條晃司を捨て、故郷を捨て、家族を捨てて施設に入ります。

当時の癩病は根本的な治療法もありませんでした。なので施設に入るということは、基本的に日々進行する病気と共に、患者同士が暮らしていくということです。癩病は非常に恐ろしい病気です。進行すると顔が変形して、脱毛して、神経が痛み、炎症が起こり膿汁が垂れて、兎眼して失明したり、四肢が麻痺して指が落ち、手が落ち、足が落ち…やがて命を失う。そういったデスパレートな病気です。

19歳の民雄は比較的に軽い症状のうちにこの施設に入りました。そこは外と隔離された世界です。そして、周りには重病化した癩病患者が沢山いるのです。

少しだけ考えてみてください。もし自分が19歳でこの状況に置かれたら。妻と別れ、家族と別れ、この施設に入ったら…。それは想像を絶することだと思います。なので民雄の私小説の主人公(もちろん民雄本人)は常に自殺を考えています。全てに絶望しています。でも若さと崇高な精神を持っている民雄は絶望の中でいつも生きることを模索しています。そこに凄い力があるのです。

民雄は施設内で常に傲然(ごうぜん)としていたそうです。傲然とは偉そうに人を見下す様です。若くして施設に入った彼なりの虚勢なのか、それとも癩病の者同士の慰め合いを嫌ったのか、分かりませんが、とにかく民雄は施設内で生意気で、ぶっちゃけ嫌われていたそうです。

僕は民雄の作品を何度も読み返してこの民雄の態度の理由がなんとなく分かります。癩病になり常に自殺を考える絶望と、それでも私小説を書いて、癩患者のなかの慰め合いではなく世の中に発表してやろうという野心、その双極の二つのアンビバレントな感情があった気がします。

民雄は自らの文学を世に出すために川端康成に「自分の文学を見てください」と手紙を書きます。…と言えば聞こえは良いですが、その手紙は実際に残っているのですが、内容は川端作品が好きだと言いながら川端を河端と誤記したり、とにかく返事をくださいと執拗に懇願したり、大分なりふり構わぬ感じです。笑

でも川端はそれを全てわかっていながら作品を見ることを了承します。これはすごいことです。僕は日本文学の頂点は川端康成だと思っていますが、彼は本当に凄い人なのです。当時、癩患者の触れた者など、感染を恐れて誰も触りたがりませんでした。また癩病の施設は隔離施設なので外の世界とは遮断されていて、関わらぬ方が絶対いいのです。

それでも川端は民雄を認めて、このあと民雄が死ぬまでの4年間、何度も手紙のやりとりをして、褒めたり、励ましたり、アドバイスしたり、民雄が自殺をちらつかせたら諫めたりもして、民雄の作品を世に出したのです。川端康成といえば雪国などの作品で日本人初のノーベル文学賞を取った人というイメージでしょうが、本当の彼の凄さはこういった部分です。

民雄は癩病になり頭がボーッとしたり、体調を崩したり、仲間の死を見たり、と何度も躓きながら川端に「間木老人」という作品を送ります。それを川端は的確なアドバイスとともに褒めます。そして、これを世間に発表しました。

ここから川端は実費で原稿用紙などを工面して、更に本なども買い与えて癩病施設の民雄を援助します。それに一喜一憂しながらも民雄は創作を続けます。

そして、ついに名作「いのちの初夜」が誕生します。ちなみにこの「いのちの初夜」というスーパーセンスの題名を考えたのは川端康成です。

この作品は当時の文壇に、いや社会全体にセンセーショナルな衝撃を与えました。名前も顔も経歴も、全てが謎の癩病患者が、隔離された隔離施設の中の出来事を、そしてその心情を見事に書き切ったのだから当然です。

ただ、先にも書いた通りに北条民雄が有名になることは無理なのです。なぜなら民雄の素性が知れたら故郷の家族が困るから、またどこの隔離施設がわかったら周りが迷惑するから、とにかく全てが謎のまま、純粋に作品だけが評価されたのです。

いのちの初夜は主人公が癩患者として施設に入り、その一日のことが書かれた私小説です。では、この作品の内容にあまり触れないように、今度は民雄の文学について書きたいと思います。

はっきり言うと北条民雄はセンスの塊です。その文章はとてもリズム良く、流暢ながら核心を踏んでいます。20歳そこそこの若者がこれほどのセンスを発揮してることは信じられません。では、なぜ彼はそんなふうに書けたのか?について僕なりの解釈を書きます。

それは一言でいうと「完全なる自己否定」です。ここで自己否定というとネガティブとか、根暗とか、そういった事かと思われるかもしれませんが、それは全くの逆です。

文学だけではなく全ての芸術活動の根源は自己否定です。なぜかと言うと人は必ず死ぬからです。そして、時間は刹那の連続であり、人は今死なない事を保証されてないからです。分かりにくいですかね?

村上春樹がノルウェイの森のなかで太字に書いてた表現だと「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」なんて書かれています。つまり生きることと死は対局ではなく、内在なのです。

必ず死ぬ運命なのに、生きることを肯定的に捉えたら、それは死を受け入れたことと同じなのです。絵画にしても、音楽にしても、古今東西の世界のあらゆる芸術は生に対するアンチテーゼです。人間の運命に対する抗いです。分かりやすく言うと苦悩ですね。なぜ芸術家に自死する人が多いのかと言うと、それは死を含む生に抗っているからです。

死は決して称賛されることではないですが、決して避けられないことです。そして寿命の死も、今の死も刹那の連続の中にあればそれは同一です。そこにある時間の差は他人に対しては価値があるかも知れませんが、死んだ本人にとっては同じです。ますます分かりにくいですか?笑

まぁ、わかる人だけ分かればいのでもうひと押ししますが、他人の死は辛くても自分の死は辛くありません。自死を選んだ芸術家達は実は人一倍に愛が強くて、自分以外の人が死んでいくことに耐えられないのかも知れませんね。

これはあまり書きたくないのですが、馬鹿に勘違いされたくないのでエクスキューズしますが、別に僕は自殺を肯定してませんからね。昨今みたいに、追い詰められた自殺とか、ストレスによる自殺はなくなるべきだと思ってます。今は芸術家の、例えば川端康成、三島由紀夫、太宰治、田中英光なとなど自殺について書いてますからね。

ちょっとそれたので、そろそろ話をいのちの初夜に戻します。

主人公が癩病を患い、収容施設に向かうところからこの私小説は始まります。癩病に罹った運命は人間社会から消され、近い未来での死。それまでに身体の変形、地獄の神経痛、失明、などを意味します。当然、主人公はその運命を予想して何度も自殺を試みるも死にきれずに、この施設に入所します。

そこで他の末期症状の癩病患者の凄惨な姿を見て絶望します。目を失い、両足を失い、食事も排便もできない患者がウヨウヨいます。

彼は絶望の縁で再び自死を決意しますが、やはり死ねません。死ねると言う安心と、ドキドキとする心臓の矛盾に打ち当たります。

そんな彼は施設内で佐柄木という先輩入所者に出会います。そして彼と話すうちに、ここからは読んで欲しいので詳しく書きませんが「生きることの全て」を話し合います。

この主人公と佐柄木のやり取りこそ、作者の北条民雄の心の叫びです。本当に凄いです。

あぁこの凄さをどう表現したらいいのでしょうか。とにかく圧巻です。

話が前後して申し訳ないのですが、冒頭に書いたとおり実際の北条民雄は隔離施設で嫌われていました。それは彼が誰とも馴れ合わなかったからです。癩病になり、それを受け入れて、同じ患者同士で慰め合う事をしなかったからです。彼は施設にいながらも癩病の運命に抗い外の世界へ苦悩を届けたのです。

癩病になったらそんな自分を認めて、その中で幸せを見つける自己肯定をするのが普通なのに、彼はそんな他の患者に対して傲然としていたのです。そして、自死をしたい心と、死に切れない心のアンビバレントな関係を矛盾させ続けて、苦悩と共に生きたのです。

人は必ず死ぬ運命なのに、普通の人はなぜかそこそこ長く生きる気で生きてしまいます。そして、そんな生きる事を肯定的に捉えてしまいます。

民雄は癩病になり常に死と隣り合わせになってしまいました。その恐怖から逃れるには自死か、病気を受け入れて生きるしかないのに、その二つを強く否定して文学を書きました。

癩病になったと諦めて近い未来に死ぬか、今死ぬかの二択しかない運命の両方を否定して、何度も心折れて死んで楽になりたいと思いながらも書いたのです。自己の運命を否定し続けたのです。

今、日本は若者の自殺が問題になってます。そんな時代だからこそ、この80年以上前に書かれた小説の意味があると思います。辛くても生きる事をやめなかった北条民雄という若者が全てを捧げて書いた「いのちの初夜」という傑作。

どうしても読んでみて欲しいので、ここまで本文から一行も引用しませんでしたが、最後にこの小説の中で、あまり重要でない部分から一文。

「実際、同情ほど愛情から遠いものはありませんからね。」

どうですか?隔離されて、社会から消されて、全てを失った民雄の言葉だと思うと重いですよね。

なんだかダラダラと長くなってしまいましたが、最後にまとめと言うかおまけ話を一つ。

前述の通り、北条民雄の作品は全て川端康成の手で発表されました。川端は民雄の師として彼を世に出したのです。そんな川端が寒風という私小説で民雄が死んだ後に隔離施設に行ったことが書かれています。

この寒風もまた名作です。川端は民雄の全てを見抜いていました。民雄の苦悩、恐れ、虚栄、そして文学でたどり着いた光、全てを見抜いてお釈迦様のように民雄という孫悟空を見ていたのです。

僕はこの川端の寒風を読んだ時に、題名のような恐ろしい寒気を覚えました。そして、民雄が傲然としていて、大人びて見えても、所詮は20歳そこそこの小僧であることも再認識しました。でも、【だからいいのです。】

また村上春樹から引用しますが、デビュー作の風の歌を聴けの冒頭「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」と言う通り、完璧はあり得ません。

つまり民雄の絶望は完璧な絶望でないのです。でも彼は若かった。若さが絶望を大きくしてしまった。若い彼が感じた完璧な絶望が、若い彼のかける完璧な文章を作ったのです。

正にこの「いのちの初夜」は「刹那が生んだ完璧な絶望」です。

それでは、僕の駄文はこの辺で、下にリンクを貼ります。是非、読んでみてください。また読んでて分かれないことあったらTwitterにDM下さい。わかる範囲でお答えしますね。

いのちの初夜 北条民雄

https://www.aozora.gr.jp/cards/000997/card398.html

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