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不便だけど自由な世界へ #SIT日記

前段:今日松原さんとライブした。

ライブ配信自体はInstagramライブとか、昔はコミュニティで毎週のようにFacebookライブで番組風の配信をしていた。今回は約半年ぶりのライブだった。本番になると緊張しないタイプだと思ったけど、緊張「しない」のではなく「気にならなくなる」が正しい気がした。
自分のことを自分らしく表現するステージとして臨むことを意識していたが、終わった後の感想としては「準備不足感が否めなかった感」があって、少しモヤモヤした。
とはいえ「今日のライブは自己採点で何点だったか?」と言われると「70点くらいかな〜」と悪くない点数だと心は答えてくる。だから案外悪くなかったのだと思う。
これまで、ライブなどの準備をすると「自分という人間らしさ」が無い、相手目線・マーケティング目線の準備になってしまっていた。なので今回は準備はほとんどせずに臨んだ。
でも、「自分という人間らしさ」を出すという観点で準備すれば良いのだと気づいた。備忘録的にここに記しておく。で、本題。

不便だけど自由な世界

SIT四天王とも言える4ポジ区分の「自由」「愛」「創造」「現実」という抽象概念に対する自分のスタンスの言語化がなかなかできずにいた。
でも、今日のライブで、SITをやってのメリットの話をしていた時に「不便だけど自由なんです」と口をついていた。自分という個性において「自由」とは何か、なんであるべきかが言語化できそうな気がするのでトライしてみる。オチはないかもしれない。

仕事では便利であることが求められる

社会生活、特に仕事ではプロセスとかその人の個性とか個人の感情とか全部抜きにして「成果」が求められる。そんな細かいことを逐一意識していたら「不便」だからだ。つまりは、便利であることが求められている。

「セルフ・インテリジェンス」重視は社会一般的には「不便」

一方、自分で自分のことを探っていくということは、社会一般的には「不便」である。特に現代においては、そんなことよりもどうやってお金を稼ぐかとか、どうやって人かどの人物になるかとか、どうやってキャリアを積んでいくかとか、そういう具体的で便利なことに世の中の意識が向いていると思う。そんな世の中で「自分のことを自分で探る」ということを重視するといのは「自己満」「自己中」と揶揄されるのかもしれない。

便利を取ることで生まれる「不自由感」

社会で生きていくためには、そういう「自己満」はある程度やめていかないといけない。いや、やってもいいが仕事に差し障りのない範疇でやるべきとされるだろう。そうやって、世の中の枠組みとか社会通念とか一般常識に自分を当てはめつつ頑張っていると、それらしい成果が出始める。
そのうち他人から褒められて、その仕事といえばあなただよねというブランディングも成されるかもしれない。
出世したり、転職したり、独立したりして収入も増えるかもしれない。
収入が増えたら結婚できたり、家が買えたり、車が買えたり、投資でさらにお金を増やしたり、できることがどんどん増えていく。
でも、最初の設定というか、前提が同じなのでどこまでも「これは自分じゃない」という感覚が拭えない。

あくまでも「世の中の枠組みとか社会通念とか一般常識に自分を当てはめ」て頑張っているので、ある種の「鳥籠」「箱庭」のような、設定された世界の中でどんどんできることを増やして、色々なものを手に入れ、うまくいけば賞賛され、認められる。

でも前提が前提なので、どこまで行っても「不自由感」が付きまとう。
少なくとも僕は、この先の将来を考えた時にこの「不自由感」を感じていた。

不便だけど自由な世界

逆に自由について考える。
「不自由感」を感じるのは、「世の中の枠組みとか社会通念とか一般常識」が前提になっている時だった。
なので、逆に考えると「自由」というのは、「自分で世界を作る」ことが先であるということなのだと思う。

自分という人間にとってこれは好き・嫌い、こうあるべきだといった風に、「自分という人間」という物差し・定規で物事を測っていく。
今回SITの講座では、この測り方について小手先のテクニックだけでなく理論と実践を学んだように思う。

測っていくことで、「自分の自分による自分のための世界」が見えてくる。そうして初めて、「じゃあその世界の中でどうしていくのか?何をするのか?」という部分が見えてくる。

この「測る」という行為がとにかく面倒くさくて(笑)
社会一般的には、「どうしてそんなことやっているの?」と思われるようなことなのかもしれない。

でも、少なくとも僕にとってはやっと自由になる方法を得られたと思えたのだ。

一言で表すと?

最後にできるだけ「自由」とは何か?を一言で表して終わりにしようと思う。

自分の個性で考えた時に、「自由」「自由である」とは、
「自分の自分による自分のための世界」をベースにして、全ての活動を行えることである。


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