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庭と僕

うちの実家は祖父が建てたものだった。物心ついた頃には、母方の祖父の家に住んでいた。祖母は物心つくかつかないかくらいの時に亡くなったので、母と姉と祖父の4人暮らしだった。

祖父は庭でツツジをいっぱい育てていた。2段の台の上に、ツツジの鉢植えを並べて育てていて、朝と晩には水やりをかかさなかった。庭の芝刈りも祖父の仕事だった。
子供の頃の我が家のお小遣いは1回お手伝いで50円というシステムだったが、庭の水やりもその中に入っていた。たまに祖父の代わりに水やりをやっていた。

水やりの他にも、草取りなんかも手伝った。たくさん取ると達成感があったし、何より祖父が喜んでくれるのが嬉しかった。

中学校では生徒会長に立候補したが落選して、緑化委員長になった。正直、委員会という組織の意味などは理解していなかったと思うが、「委員長=リーダー!」「緑化!ガーデニング!」くらいの認識で、人に頼ることを知らなかった僕は夏休みの水やり当番表を毎日確認しに行き、たくさんのサルビアが枯れないように頑張る他なかった。

ある時、中庭の花壇にひまわりを植える話が出て、用務員の先生にタネをもらって蒔いた。蒔いた時僕は多分いなかったんだと思うが、横に15メートルほどある花壇のうち、右側3メートルくらいのエリアにしかひまわりの芽が出ていなかった。

梅雨に入る頃、掃除の時間に自分一人だけでせっせとそのひまわりの芽を植え替えた。植え替えまくった。夏休みには花壇いっぱいに咲いていたが、その努力は誰にも褒めてもらえなかった。多分中学生には、学校で育っているひまわりを綺麗だなと思うことはあっても、それを誰が植えたのかとか、育ててくれてありがたいなと思う人はあんまりいないんだろうなと思った。

大学では農学部で森林の勉強をしたが、その過程て造園についても少し勉強した。実習もあって、大学構内の植木をみんなで剪定するというものだった。2時間近くかけてみんなで剪定するのは楽しかったし、意外と剪定できるものなんだなと思った。

またある時は、鳥取にきているイギリス人に、ナチュラルガーデンの作り方を教わった。そこにある自然をうまく使って整えれば、それらしくなるのだと知った。

東京に出てきてすぐ、彼女の家の庭の手入れをした。マンションの1階で、オリーブの木を植えたところ2~3メートルまで伸びてしまい、2階の住人から苦情が来たとのことだった。以前はシルバー人材センターに3万円払ってやってもらったと聞いて、「もったいないからやるよ」といって短くした。そのほかに、もういらない木を根っこから取り除くこともやった。

東京に出てきて2年経った頃、祖父が亡くなった実家で一人暮らしをしていた母親が病気になった。1年ほどの闘病期間を経て無事治療を終えた頃、母に一本の電話がかかってきた。

「お宅の空き家、売りませんか?」

どうやら母親が闘病している間に、庭は荒れ放題で人の住んでいない空き家に思われていたらしい。

という話を聞いてから、庭の手入れのために熊本の実家に3~4ヶ月に一回帰る生活をしていた。

植物の生命力は凄まじくて、鉢植えでなければほっといても伸びてくる。雑草も生えまくる。

こうして書いてみると、ずっと庭とか植物をいじっているようだが、本当はそういう土いじりや庭いじりがしたくて、気がついたらそういう機会を選びとっていたのではないかとも思う。

オチも何もないけれど、庭と僕のお話。

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