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”覚えている”ということ

私が密かに尊敬している人について話そうと思う。
人と関わる中でほんの少しだけ意識していること、それをくれた人の話。

その人は、私の中学時代の保健室の先生である。

中学入学したてのころ、先生に後ろから名字で呼びかけられた。
話の内容は他愛もないことだったと思う。
特に覚えていない。

話の中身どうこうよりも、私には驚きと疑問があった。
「なんで先生は私の名前が分かったんだろう??」

新入生は120人いる。
みんなと同じ制服を着ているし、後ろを向いていたから名札だって見えなかったはずだ。
ただ不思議だった。

後日、教室で配られた学校通信的なもので
私はその疑問の答えを知ることとなった。

教師紹介のページに、その先生の自己紹介も小さく掲載されていた。
ひとことの欄に
『目標は、1学期中に新入生全員の顔と名前を覚えることです』
とあった。
「それであの時、私の名前が分かったのか。」

先生は毎年、4か月弱の間に、新入生120人もの顔と名前、クラスと部活動を覚えているのだ。
新入生だけじゃない。
2年生も3年生も、クラス替えがあるたびに覚え直している。

これは私の憶測だが
保健室の先生という立場では、生徒一人ひとりとの関わりは、教師ほどは深くないかもしれない。
しかし、いつだれがケガや体調不良で保健室にやってくるか分からない。
先生にとっては人一倍全校生が自身の生徒なんだと思う。
先生なりの、生徒との向き合い方なんだなと思った。

「え、すご。」
思わず声が漏れ出ていた。 
それからというもの、先生と会うたびに「この人はすごいな」と思うようになった。

月日は流れ、私が大学生のころ、先生と駅でばったり会った。
「先生!久しぶり~!」と声をかけた。
すると
「おー○○(私の名字)!元気?」
と返してくれたのだ。

私が先生を覚えているのは当たり前だと思う。

中学の頃から人知れず尊敬の念を抱いていたし
先生に影響されて「せめてLINEを交換している友達はきちんと名前を覚えよう」と全員漢字のフルネームに登録し直すようになった。
(卒アルを確認したり、新しくLINE交換する際はその時直接聞くようにしている。)
それくらい先生の密かな努力に感銘を受けたのだ。
なにより、私にとってはたった1人の”中学時代の保健室の先生”である。
忘れるわけがない。

一方、先生からすると
”5~6年前に卒業した生徒の1人”でしかないはずなのだ。
それに先生の事だから、きっと今でも毎年100人を超える新入生の名前を覚え続け、クラス替えごとに覚え直している。

”覚えていてくれている”ことがこんなにも嬉しいことだとは思わなかった。
心の奥がじんわりと温かくなり、自然と笑みがこぼれた。

以前、私は半年ぶりに友達と会ったとき
彼女の名字がぱっと出てこなかった。
仲良くしてくれている友達なのに。
なんだか自分が情けなかった。
と同時に先生を思い出し、「全然かなわないな」と思った。

それは、どことなく心地のよい敗北感だった。

そうか、
私たちが想像している以上に
”覚えている”ことは難しく、”覚えていてくれている”ことは嬉しい
のだ。