三島由紀夫没後50年という年

2020年は三島由紀夫の没後50年という年であり、三島が好きだと公言している自分にとり三島を見直す口実・きっかけが溢れている。彼が私にとってどのような人物なのか、自分はなぜ好きなのか・今どのような理由で好きだと感じているのか、あくまで感想的に(not 分析的)したためたい。

2020年の1月1ミシマ (随時更新を目指す)

今年は三島イヤーなので、1月に1つ何か三島関連のことができないのだろうか?と思っている(1月に1作品を読むというのは早速行えていないが、トータル12冊読むという野望はある)

1月: 歌舞伎「鰯売恋曳網」を歌舞伎座で鑑賞
三島作の歌舞伎を中村屋兄弟主演で。三島の歌舞伎作品をいくつか見られるのではないかと期待しているが…3月に鑑賞予定だった「桜姫東文章」も戦後三島が監督したということで楽しみにしていたのだが。軽快でユーモラス、明るいエンターテインメント歌舞伎だった

2月: 美術展「森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020―さまよえるニッポンの私」を鑑賞
ぜひ映像作品「エゴオブスクラ」も一緒に見るべき。昭和天皇・マッカーサー、オランピア…そしてマリリン@駒場900番と対峙して並べられている「烈火の季節/なにものかへのレクイエム」と題された三島関連の作品、三島のスピーチを美に置き換えた巻物と演説…もう一度見に行きたい

3月: 映画「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」を鑑賞
大学二年生だったか、まだ駒場にいた時分にこの討論のことを知り、YouTubeで見たような記憶があるのだが…『美と共同体と東大闘争』を一読してから映画を見たが、討論自体はもちろん全編が掲載されている本と思いつつ、50年後の現在の全共闘の学生たち、楯の会のメンバーたち、記者…へのインタビューがたいへん面白かった。

4月以降の三島イベントを何に据えるかアイディア募集中…

大学生だった数年前までは、勝手に三島と自分の間には糸を繋げることができていた。「なぜ法学部に進学したのか」という問いに対して、冗談半分に「だって三島の後輩になりたかったのだもの」と返していたのだ。だが大学も卒業し、財務省に入省もしなかったし(もちろん本気ではなかったのだが、1分くらいは財務省を受けてみようかと思った時間は存在した笑)、彼との糸は純粋に作品に向き合うことで紡いでいけるのだろうか。

三島由紀夫・三島文学との出会い

高校二年生であっただろうか、課題図書に『金閣寺』があり、課題だからと読み始めた。多感な時期ということもあり、それまでにも自分に雷光の如き衝撃を与えた体験が何回かあるが、『金閣寺』もその一つだった。何場面もはっと息をのむシーンがあるのだが、特に好きなのがこの場面。この行為は狂気さと神聖さとをはらみ、そしてその光景が"眼前に見るようにありありと"浮かぶこの文章力に私はこの作家こそ、その才能の前に私が圧倒的にひれ伏せる相手だと出会えたことに嬉しさを感じた。

 …士官は深い暗い色の茶碗を捧げ持って、女の前へ膝行した。女は乳房を両手で揉むようにした。
 私はそれを見たとは云わないが、暗い茶碗の内側に泡立っている鶯いろの茶の中へ、白いあたたかい乳がほとばしり、滴りを残して納まるさま、静寂な茶のおもてがこの白い乳に濁って泡立つさまを、眼前に見るようにありありと感じたのである。
 男は茶碗をかかげ、そのふしぎな茶を飲み干した。女の白い胸もとは隠された。…                ――新潮社『金閣寺』p.66より

作品ではなく、作者の為人や人生というものを少なからず点数付けに入れてしまうのだが、不思議と三島に関しては彼の“右翼”的思考や自決の最期について、それはそれとして受け止め、賛同も否定もせず、ただ「三島由紀夫」として受け止めてしまっている。思考停止ともいうべき崇拝を、作品に対して行っているともいえ、それほどまでに幼少の(とはいえないものの、若いあの日に)鮮烈な出会いが私の時間止めているし、私の選択として「三島由紀夫」を分解しようとは思わないのだ。というのも自分にとって圧倒的な存在というものを探し求めている我が生において、それに値すると心から信じられる事物や存在というのは、あまりにも貴重であり、分解・分析という行為が、自身にとっての価値・位置づけを揺らがせることは起きえない範囲で閉じている。


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