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『晴雨通信-1983年夏~1985年春 』柴田翔 (1985)

1. 父の好きな作家 - 柴田翔

社会人になって落ち着いてきたためか、父や母にも同じように個人の人生があるということへの理解が、ようやく最近生まれてきたように思う。
私の両親はきっと私の好きな音楽や作家、絵画について即答できると思うのだが、私は両親の好みの一部しか知らない。それはいつも「あなた(私)の好きなラフマニノフよ」という会話が投げかけられ、「私(父/母)の好きなショパンが…」という風にある意味"押し付けられた"ことがほとんどないからだ。私はいつも「ねえ見て、私の好きなオオデマリが咲いてる!」と私の話しかしないのだけれど。

ということで、父に「好きだった本/作家」というあまりにもベーシックな質問を投げかけた。友人の好みの方がよっぽど把握しているのではないかという娘ぶりである。そうしたところ、「福永武彦」と「柴田翔」という二人の作家の名前を挙げたのだが、もちろん私は一ミリも知らなかった。(私の認識では堀辰雄か村上春樹が上がるのではないかと勝手に思っていた)


2. 『晴雨通信』なる本

この本は雑誌「現代の理論」に連載されていたものを、1985年にまとめて出版したものであり、「大兄」宛に書く手紙というスタイルで書かれたエッセイである。柴田翔は東大のドイツ文学者であり、同時に『されどわれらが日々―』で芥川賞を受賞した作家とのことなのだが、お恥ずかしながら全く知らなかった。

この本は18回の連載分収められているのだが、どれも軽快で対等、真摯であり、2020年に20代である私が読んでも同じく頷いてしまう文章が多かった。購入するとしたら中古以外手に入らないようなので、図書館で蔵書検索をした方がリーチできそうである。

以下本書の感想

3.  三味線とモスキート/韓国のカフカ

4 三味線とモスキート より

子供の頃の記憶は恣意にみちている。その風景のなかでは、例えば十一月三日の祝日はいつも抜けるほど青い空に晴れ上がっていた。…何処かの遠くの家のラジオから、必ず三味線や琴、浄瑠璃、長唄の類、また浪花節などが響いていた気がする。…(p.35)

この感覚は本当によくわかるのだけれど、ふとした瞬間に(それは音、色、匂い、風、温度など何がトリガーになるのかはまちまち)、子供時代のある瞬間に引き戻されることがある。今までどこに収納されていたのか?というくらい鮮やかで、一つの物語として私の中に確固として沈んでいるようなのだ。自分でコントロールできないので、他人事のようだけれど。

…たとえば文楽の人形浄瑠璃を聞いた時とバッハを聞いた時の、自分自身にも分明ではない違い、しかし疑いもなく感覚できる違いを、あえて言葉にして言うならば、バッハは、心の奥に広い空間を拡げて響き消えていくのに対し、人形浄瑠璃と太棹の三味線の響きは、自分の存在の根にからみ、いわば魂としか言いようのない場に、不安と懐かしさの混じったゆるやかなうねりを呼び起こすとでもいえばよいだろうか。…ただぼくにとって美しさはバッハにあり、陶酔は浄瑠璃にあるといったような気がするということだ。(p.37-38)

その後バッハと浄瑠璃を聞いた時の差について語るのだが、これもまた「わかる…」となる話で力強くうなずいてしまった。私が頷いたのは特に最後のパートであって、"自分の存在の根に絡む響き"は何かと考えると悩ましい。どの音楽も、自分の存在の根に少しずつ絡んでいて、どれかいくつかを選ぶことができない。それは子供時代から様々な音楽を聞いていたからだろうか。私にとってクラシック音楽(それは時にバッハであり、チャイコフスキーであり、ラフマニノフであり、ドビュッシーであり…)は美しさであり、陶酔であり、そしてまた青春時代。一方で二胡といった中国系の音楽や、戦前の歌謡曲も、鎮静であり、青春時代だなと感じる。浄瑠璃は大学生に入ってから聞くようになったからか、自分の存在を構成するものかと考えると否…と答えてしまう気がする。のだが、9 韓国のカフカで語られる彼女の話を読んで、思考がまた揺れ動かされる。

9 韓国のカフカ より

9の最後に紹介されるのは、ある女性の話である。彼女は朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれたのだが、再婚した母に育てられたため、自分の出生について長らく知らなかった。日本国籍で、日本人として育っていたと思っていたのだが、なぜかわからない違和感を抱えていた。それが自身の出自を知り、ソウルに行った際に

…そしてソウルの街の喧騒の中に足を踏み入れた途端に、急にひどい解放感を感じたという。言葉は殆んど判らなかったが、その喧騒のなかで、長い間の違和感が一挙に消えて、何を叫んでもいい、どんなに泣いてもいい、どんなに笑ってもいいと思ったと彼女は言った。…
…勿論、彼女の半生の記憶が、そのまま真実であるかどうか疑うことはできる。多感な青春の時期に、突然、自分の父親が異国の人間だと知らされて、見ぬ父親の愛着から自分の過去に疑似記憶を作るのは、充分ありうることだ。…
…ぼくは彼女の話をまだ疑ってもいる。民族ごとに行動類型の違いがあるのは当然だが、それは文化伝統の問題ではないか。それとも彼女のいう「血の叫び」が本当にあるのか。あるいはそれとも、そこに働いたのは、民族間の狭間に置かれた彼女の内的反撥力なのか。答えは判らぬまま、彼女の話もぼくの記憶の中に沈んでいる。(p.92-93)

「血の叫び」はあるのだろうか?浄瑠璃では表出しなかった私の「血の叫び」はいつかのタイミングで生まれるのか、永遠に生まれないのか。また実際に「血の叫び」なるものがあろうがなかろうが、彼女にとってのこの体験は紛れもない事実なのであろうし、そういった宗教的体験をしてしまったら、それは彼女にとっての真実に相違はない。あまりにも鮮烈な印象は、理性や論理を超えた確かな感覚として刻まれ、それを相対化しようバランスを取ろうという行為は、私はきっと既存の自身の枠内でしかできないのだろうと思ってしまう。そうやって経験を蓄積することが、子供時代に感じた「大人って頑固」に繋がるとするならば、その「大人」に片足を踏み入れていると感じて、実はもうどっぷり角を曲がり切った後かもしれないのかと思うと、鳥肌が立ってしようがない。春宵一刻値千金には似つかわしくない感情を呼び起こしてしまったが、これにて筆をおく。

なお、作者の柴田翔は存命であり、三月の三島映画を発端にした”2020年は60年代の学生運動に縁があるかもしれない”という私のhunchは、こうして形作られていくようだ。

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