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『サラバ!』西加奈子(2014)

これから書き連ねることはとても私的な事柄で、そこに誰かにとってのtakeawayがあるのか分からない、そういう気持ちはほとんどないまま書き出している。友人に勧められて読んだ『サラバ!』(ハードカバー版)はあまりにも痛切に自分自身と重なるところが多く、何かを書かずにはいられなかったし、自分が一番悩んでいる「自分自身が信じるものを、ずっと誰かが決めてくれた。でもこの先は?」ということを真っ向から書かれて、この本の感想を書くことを通じて、少なくとも何かしらかは自分の中でまとめられることがないだろうかと藁にもすがる思いなのだ。私は往往にして文章を考えながら書いている時に、ふと考えがまとまることがあるし、今回もその恩恵にあやかりたいと思っている。

1. 貴子と歩(1) - 海外での生活

貴子と歩は私だった。びっくりするくらい自分を見ているようだった。

最初は彼らの立場がとても自分に似ていると思った。私は姉で、下に弟がいる。そして海外で時間を過ごしているところ。私は貴子みたいに"猟奇的"ではなかったし、あくまで男性視点の話であるところ、海外で過ごしたタイミング・地域が主な違いだろうか。でもそれ以外は、同じエピソードでもないのに、本当に、自分の半生を見ているようだった。

駐在生活の描写は驚くほどビビッドだった。私が住んでいたのはヨーロッパで私は中高が海外だったけれど、日本との違いに驚く当初の様子や家族が団結するところ、あれは間違いなく我が家の一番輝いていた時期だと思うところが自分の家族のを見ているようだった。日本人学校のある種の品の良さ(似たような経済バックグラウンドを持つ少人数の子供だけで形成されるクラスに起因する)も、市立の小学校にいた私からすると驚いたこと、自分と現地の貧しい子供とのあまりにも大きい経済格差を認識し、そして自分は生まれというその一点でおいてのみ"こちら側"を享受しているという居心地の悪さを、ふっと思い出した。

僕の「初めての部屋」は、初めてにしては贅沢すぎる部屋だった。12畳はあっただろうか。…右側には大きな鏡付の白いドレッサーがあり、手前にもまた鏡付のやや小ぶりなドレッサーがあった。左には、大統領執務室にありそうな、大きな大きな机があって、それは「勉強机」ということだった。…(p.128)

最初に自分の部屋を見た時の心、ふわっと嬉しさで舞い上がる気持ち、を思い出していた。目の前には「私の部屋」が思い浮かんでいた。自分風に書くとこんな感じだろうか。

私が与えられた「私の部屋」は、日本での自室と比べものにならなかった。日本の自室も比較的大きめだと密かに誇りに思っていたことなど一瞬に忘れてしまった。部屋の真ん中にあるベッドはキングサイズで、枕は二つ並べて寝るのがすぐ当たり前になった。その横にぬいぐるみや抱き枕を置いても、大の字で寝ても、なおあまりある大きさのベッドを私は占有することが許された。…そして部屋に飾られた何枚もの花の絵画。ちょっとした古いホテルにあるような、重厚感を感じる照明器具。その全てが私が「お嬢様」であることを私に信じさせるには十分だった…

私は何度か本気で天蓋を付けようかと思うくらいに素敵な部屋だったし、そこで過ごす自分がとても好きだった。十二国記の『風の万里 黎明の空』で祥瓊が「私とても公主の自分にこだわってたわ。王宮に住んで、贅沢をしてる自分をなくしたくなかった」という場面がある。この気持ちが私には自分ごとのようにわかる気がする。もちろん私の家族より豪華な暮らしをしている駐在員もいたし、何より日本人学校生活を経てすぐ転校したインターナショナルスクールには現地の富豪の子女がいたのだから、私の暮らしはテッペンでは全くなかったし、生まれてからそのような暮らしをずっとしてきたわけではなかったというのに、私は驚くほど素直にそんなことは気にかけておらず、心の底から自分を恵まれているお嬢様だと思っていた。日本の市立の小学校に通っていた私など一瞬にして無いものと等しくなった。思えばあの時代は本当に自分を信じていられた時代だった。私の未来は洋々と開けていた。(今書いてて思い出したが、大人達には「◯◯さん(名字)のところのお嬢さん・お嬢様」と呼ばれることがよくあった。それは「クラスメイトをみんな"さん付け"で呼ぶ日本人学校の品の良さ」の亜種であったが、自意識に少なくない影響を及ぼしたのではないだろうか)

そして部屋を思い出すと、付随して記憶の中で鳴る音がある。真冬に、氷点下の外で、大吹雪の中で、雪かきをする、ザクッーザクッーという音だ。

僕と「彼ら」とに、どのような違いがあるのだろう。どのような違いが、この現実を生んでいるのだろう。(p.185)

私が部屋で勉強していると聞こえる音で、雪かきの音だと気づくのに時間はかからなかった。外はマイナス10-15度だったと思う。そしてある日、それが私とそんなに年の変わらない男の子がやっている仕事だと知った。朝私はスクールバスで通学していて、その停留所まで歩いて行く時に、敷地内を出る時に知った。近くを通る時は、必ず笑顔で挨拶をしてくれた、出稼ぎで来ていると思われる男の子。その子と私のこの生活はなぜこんなにも違うのだろうか?

母は出産直後だというのに、太ももが露わになった短いワンピース、その鮮やかな緑と同じ色のスカーフを頭に巻いている。そして驚くことに、ヒールのある、白い靴を履いている。イラン・メヘール・ホスピタルは、いわゆる金持ちのための病院だった。徒歩でやってくる人間など、ほとんどいなかった。すぐに車に乗る母がそんな靴を履いていたことを、だから、誰も責めなかったのだろう (p.9)
…そのとき、一台のバンが僕らを追い抜いていった。エジプトではよくある、とても汚れたバンだった…助手席にヤコブが乗っているのが見えた。ドキッとした。(p.214)

16か17だっただろうか、ある日私は母と二人で何かを観劇するために出かけた。バレエかオペラかクラシックのコンサートか、母も私も大好きだったから平均すると月に1-2回は何かを鑑賞していたと思う。私はいつもワンピースやちょっとしたドレスを着ていた。ジーンズの鑑賞客もいる一方で、ロングドレスで鑑賞している人もいて、お嬢様だと自負する私がジーンズ客寄りの服装をすることなどもってのほかだった。その日も雪が降っていた。私は迎えに来た我が家の車に、ドレスにコート姿で乗った。もちろんドアは運転手に開けてもらえるし、我が家の車も駐在員の例に漏れず高級車で、いつも汚れがなかった。そしてドレスに羽織るような薄いコート!いつもはスクールバスの停留所まで着込むようにコートを着ているが、その時は地下の駐車場からだったし、どうせ劇場の前に横付けされて(ドアを開けてもらい)降りるだけ、帰りも劇場の前から車に乗るだけと思っているからそんな格好なのである。

そして、地下駐車場から地上に出て、彼の横を通り過ぎた。彼は雪かきをしていた。こちらを一顧だにせず、黙々と雪かきをしていた。雪が舞っていた。私は暖かい車内から彼の雪かきを見た。その時の衝撃を私は上手く言葉にすることができない。急にドレスを着ている自分が恥ずかしかった。「お嬢様」の生活を満喫している自分をどこに置いていたか急にわからなくなってしまった。その日は全く集中できず、何かを考えるわけでもないが、どこか息苦しかった。手にかいた汗の感覚だけが思いだされ、その日何を鑑賞したかさえも思い出すことはできない。どうして自分はここにいるのだろう?彼はなぜ雪かきをしているのだろう?という二つの問いだけがこの後も私の中で浮いたり沈んだりしているのだった

それでもこの感覚を思い出すことはほとんどなくなっている。私はその日とその後数日は衝撃を受けていたように思うが、いつの間にかすっと元のお嬢様生活に戻っていたし、それに対して何かしらの罪悪感を感じることがあっても、上手く誤魔化すことを覚えた。その最たるものが勉強だった。

2. 貴子と歩(2) - 内面について

貴子と私自身の共通点は「マイノリティ」であることに囚われていることだと思った。彼女はそれを脱したのだと思うが、残念ながら私は脱せていない。自分の気持ちとしては脱したい方が大きいのだが、「公主の自分にこだわっている」ことも無くなってはいないと思う。はー。

「初めまして、今橋貴子です。エジプト、カイロから来ました。皆さんに会えてソーハッピー、日本はわからないことだらけだけど…」(p.267)

思い返すと私はずっと社会的に評価される方のマイノリティに属していたような気がする。自意識が芽生えた小学校高学年では、小学校は私立ではなかったけれど、中学受験組ということを意識していたし、中学以降私は帰国子女というブランドを獲得した。最初に一年間ほど日本人学校に在籍したが、その中で私は早々に勉強ができる子という立ち位置を獲得し、インターナショナルスクールに移ってからは、日本人という立ち位置を得た。東大に入学したあとは女子20%前後という中で、私は圧倒的に優遇されるマイノリティだった。卒業後は入るのが難しいと言われる企業に勤めていて、なかなか経歴を華々しく飾っている。というかコレクターのようなところが否めない。そして私にまつわるマイノリティは、いつも私を上に持ち上げるものであった。私は自分がマイノリティであることを誇っていたし、頼りにしていた。ある意味「自分が信じるもの」として取り入れていた。

けれど、年々それがとてつもなく苦しく感じる時がある。なぜならば、私がこの後に取ることができる(と思われる)選択肢など、MBA等で有名大学に留学するか、起業して名前をあげるといったビジネス的キャリアを積むか、社会的地位があるような誰かと結婚して、何の不自由なく暮らすことくらいなのではないだろうか?それが今まで私が使用してきた尺度の延長線上にある選択肢で、何より実際に私の頭にちらついている選択肢なのだ。でも私が取れない、取りたくない選択肢でもある。それが苦しい。自分の設定した(と思っているが、実際は誰かが決めた)モノサシで生きようとして、ついに生きれなくなりだして、私はどうしていいかわからなくなった。その歪みが、きっとこの休職をすることになった一連の精神的な心の動きに連動しているんだと思う。でもどうすれば?

3. 「すくいぬし」と「サラバ!」

下巻を読み進めるにつれ、正直どんどん苦しくなっていった。上巻は自分の過去を見つめているようでよかった。完成され、それ自体に価値を認めている己の過去。でも下巻を進めると、そこにいた歩は、今の自分に近いと思われる歩だった。それに絶対的な自信を、信じられるものを持た無い私だった。

「いつまで、そうやってるつもりなの?」(p.237)

澄江のこの言葉は、私の心臓を矢で刺した。矢はきれいに貫通した。

「あなたは誰かと自分を比べて、ずっと揺れていたのよ。」
僕の好意さえ、誰かに監視されたものだった。みんなが見て羨ましがるような女か、恥ずかしくない女か…
そして今、僕は最愛の友人たちの幸せを、心から喜ぶことが出来なかった。それどころか、傷つけようとした。この上なく汚らしいやり方で、傷つけようとしたのだ。(p.261-2)

そしてこの場面を読んだ私の心の動きは上手く思い出すことができない。急速に温度が下がっていって、暗がりに落ちていくようなそんな感じがした。私は一人で、これからも誰からも愛されず、むしろ人を傷つけることでしか自分を満たせ無いような気がした。自分を嫌いだと泣く歩を見ながら、私はそれでも自分を嫌うことができない、自分を肯定してしまうんだろうとぼんやりと思った。私にとっての「すくいぬし」はもう私の中にあるのかもしれないけれど、私は今までずっとそうだったように受け身で、誰かからそれを「これがあなたのすくいぬし」とをはっきりと言葉で伝えられないと、今の私はきっと信じられないんだと思う。誰かから与えられる時点で、それはもう「すくいぬし」ではないというのに。人でも、物でも、なんでも電撃的な出会いを夢見て、someday my prince will comeとどこか願っているだろう私自身を持て余している。

この本に私にとっての救いがあったとすれば、それはこの本には「すくいぬし」もあれば「サラバ!」もあるということだった。自分にとっての幹とは、各人のものであって、誰か他人のものは自分のものになりえないし、誰かが持っているものと全く同じものを持つと思っているのならば、それはまやかしであるということ、は理解している。だけれども、私にとっての「すくいぬし」のエピソードはあまりに美しく、劇的だった。

別れ際、おばちゃんは大切にしていた辞書を、「私だと思ってください」と、刺青の人に渡したそうだ。
すると刺青の人は、こんな大切なものをもらうことは出来ません、と言った。
「おばちゃんな、じゃあこの中の1ページだけを私にください、て言うたんやて。」…
「あなたが選んだ言葉を、私のものにしたい、て。」(p.161)

実際に歩も「僕は、物語の壮大さに圧倒されていた」と発言していて、こういうところも私はとても歩に共鳴した。私にとってこの話は「いれずみの人」との話ではなく、「シセイの人」との話として了解された(最初のルビには「いれずみ」とふってある)。どこかであった美しい話、憧れの話として印象が強く、私にとっての「すくいぬし」も、どうしても劇的でなくてはならないような気がした。その瞬間に雷に打たれなければ、私にとっての「すくいぬし」にはなり得無いのではないかと思った。

「サラバ!」
ナイル河は、静かに波打っていた。時々渦が起こったが、「それ」が現れる気配はなかった…
現れなかった化け物のことを思いながら、でも僕は、絶望していなかった。「サラバ。」
僕には、サラバがあった。ずっと、あった。(p.344)

この本の最後に近い「サラバ」の話を読んだとき、ちょっとほっとした。私の中にもずっと「何か」はあって、それを私が気付けていないだけなのならば、そんなに悲観することはないのだと言われているような気がした。そう自分が信じられるような気がするから、私は今まで通り呼吸をして生きていていいのではないかと思った。あくまでそれは現在の思考停止なのかもしれないけれど、それを信じられている間は良いのではないかと思った。私は自分がずっと自己中心的な人間だと思って生きてきた。(そういう面も勿論ある)「ワガママ」「よくいって天真爛漫」「自己チュー」と誰かに言われてきた/言われているような気がしてきたからだ。その度に私は「だから?」「それで?」と言い返しているつもりだった。でもきっと私は自分の影に向かって強がっていただけなのだとも思う。

何を信じるのかは、いつだって、あなたに委ねられているのだ(p.355)

この一文を読んだ時に、私は涙が出た。私は自分で自分の選択をすることが怖い。でも一方で私は自分だけの選択肢をしてみたいと思う心があることを知った。それはこの文章が、人生の信じるものを大きく語る文章ではなくて、物語を選ぶという小さな行為の末の決断を委ねるものという、自分の手の中に収まるものであると信じられたからだ。そしてそれなら私にもきっとできると思えたから、私はとても安心した。そういう意味で下巻は私にとっての救済も散りばめられていた。私は傷つく自分に精一杯でおろおろしたけれど、救いの手も本当は一緒にそこにあって、気がつかないだけだったのだ。まだ私の「サラバ」が何か言語化はできないけれど、もしかするともうそれはほとんどできていて、私が少し目線をずらしさえすればわかるのかもしれないのだから。

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