流町へようこそ!! 3

「モモイ……モモイかあ! なんて呼ぼうかな……ピーか、モモ」
「ピーはやめて」いくらなんでもそんな、伏せ字みたいなのは。
「じゃ、モモ」
 アイちゃんに呼ばれて、私はくすぐったいような、不思議と嬉しい気持ちになった。そのテンションに応えるように、町中の建物、家々や、電信柱、赤信号までもが、いっせいに声を揃えて叫んだ。

「流町へようこそ!!」

 押し寄せる波に、私は楽しくなって笑いだしてしまう。音のないクラッカーがあちこちで鳴って、目に見えない紙吹雪が舞いながらきらきらと輝いている。夕焼けの色まで、さっきより明るく、鮮やかに映った。
「改めまして、オレは自転車乗りの案内役、それとこのあいだから美少女戦士のアイ。よろしくな」
「よろしく」
「で、あんたの足下でむすっとしてるのが猫のギン」
 アイちゃんが細くてきれいな人差し指をぴっと伸ばす。いつの間にか、あの灰色の毛玉が右隣にちょこんと座っている。そっぽを向いていて相変わらずつれないけれど、さっきより距離が近づいていて、なんとなく受け入れてもらえてるようだった。
「ところで」とアイちゃんが言う。「その袋の中には何が入ってるんだ?」
 言われて私は、買い物帰りだったことを思い出した。ビニール袋を持ち上げる。
「これ? これは、カレーの材料」
 すると、アイちゃんは顔をしかめた。
「カレー、嫌い?」
「なんだ? カレーって」

 誰かにカレーについて説明する機会は、なかなかないんじゃないだろうか。インドが発祥の煮物みたいな料理で、ごはんにかけて食べるんだよ、それはどんぶりなのか、似てるけど皿で食べるよ、オムライス的なものか、そうそう。カレーがないのにオムライスはあるらしい。食べてみたいな、とアイちゃんがなつっこい犬みたいな調子で言って、じゃあ作ろうか、となった。
 そんなわけで、私とアイちゃんは、町に唯一の定食屋にやって来た。人気のない家々に挟まれた、「定食 紅屋」の小さな看板。がらがらと戸を開ければ、カウンター十席だけのこぢんまりとした店で、定食屋というよりは居酒屋だなと思った。
「らっしゃい……ああ、アイか。まだ準備中だよ」
 声の主は四十代後半くらいの、中肉中背の男性だった。白い割烹着がよく似合う、ちょっと頑固そうな顔。こちらに気づいて「お、新入り?」と言う。よろしくお願いします。私が頭を下げると、どうもご丁寧に、と歯を見せて笑った。
「モモイです」
「モモさんね。おれはベニヤっていいます」
「あ、お店の名前の」
「名字の漢字は、谷なんだけどね。あとはエムとか呼ばれてる」
「エム?」
「マメゾウだからな」とアイちゃんが笑った。「人の名前を笑うなよ、失礼なやつめ」とベニヤさんが顔をしかめる。
「で、今日は何でこんなに早いんだ?」
「かれーを作るんだ」アイちゃんが言うと、少し訛っているように聞こえる。期待に満ちあふれたその表情は、だんだん曇っていった。
「カレーだと……」
 ベニヤさんは眉間に皺を寄せ、ぎろりと睨みをきかせてくる。
「カレー、嫌いなんですか?」
「いや……ただ……確認させてくれ。粉か?」
 ああ、と私は内心で嘆息する。確かに少し悩んだけど、いくらなんでもここまでは予想できない。いったい、なんだってみんな、そんなにカレーが好きなんだろう。

(続きます)

#小説 #カレー

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