空想旅行 最終日
ヘルシンキ二日目は曇り。この日はアテネウム美術館へ、トーベ・ヤンソン展を見に行った。ヘルシンキ駅前の広場は、人も車も多くてにぎやかだ。街の一角で古い建物の改装をやっているらしくて、そこだけ一面シートが張られているんだけど、シートに建物の絵が描いてあって、近くを通るまで工事をしていることすら気づかなかった。そういう細かい発見が楽しい。
美術館に入る。ならんで入場料を払うと、受付のおじさんがムーミンのシールをくれた。服に貼っておいて、見せれば何回でも入れるとのこと。
展示室は広くて、たくさんのひとたちが見に来ていた。ちゃうどいいざわめきは図書館と同じだ。美術館自体にあまり行かないからよくわからないけれど、小さな子どもや赤ちゃんがこんなに来ている展覧会は初めてだった。
そして何よりも、絵に圧倒された。何枚もの油絵。はじめのうちの、北欧の厳しい冬、雪深い夜の森をかけていく獣の絵。誰もいない夜の街の上で光るオーロラの絵。ひとりで雪の上を歩く黒いムーミントロールのような生き物の絵。明るい室内画や自画像を描く時期があり、胸につきささるような反戦を訴える風刺画の時期があり、心あたたまるムーミンたちのイラストを描く時期がある。私が衝撃を受けたのは、晩年にもう一度、冬の荒々しく冷たい鈍色の海を、白い波しぶきを何枚も描いていたことだった。その風景のなかに絶対の孤独が見える。寂しさや悲しみなんていう生ぬるい感情ではなく、ただ確固として存在しているという事実、そこから生まれたどうしようもない孤独。
私はトーベ・ヤンソンというひとについて、小学生のころに読んだ『ムーミン』シリーズの作者という、ただ一つの面しか知らなかった。彼女は、童話作家である以前に小説家であり、風刺画家であり、画家だった。けれどそういう、私の無知や、彼女の肩書きなんて本当はどうでもよくて、私はただ、タバコをおいしそうにふかす自画像に釘づけになってしまった。このひとは、なんてかっこいいんだろう。
美術館を出て、トラムに乗ってカハヴィラ・スオミを目指す。映画『かもめ食堂』のモデルになったと言われるお店だ。停留所からちょっと歩いて、途中で迷いながらも着くことができた。カツレツのランチをいただく。とてもおいしい。ただ、これはこのお店に限った話じゃないんだけど、添え物のマッシュポテトの量が添え物のレベルを超えている気がする。
最後にどこに行こうか悩んで、アカデミア書店に向かった。ここも真ん中が吹き抜けになっている。大きな天窓から光が入ってちょうどいい明るさだ。二階に上がると吹き抜けを囲ってぐるりと棚が配置されている。広い。棚は背が低くて、陳列のしかたもほとんど面展示で、歩いて眺めているだけでも楽しい。平積みでキノコ採りの本ばかりで一区画、野鳥の本ばかりで一区画ならんでいるのは、さすがフィンランド、壮観だった。おかしかったのは料理本コーナー。日本食ブームらしくお寿司の本がたくさんあった。ネタが果物だったりするお約束はさておき、何気なく開いたページに日本語で書かれた「寿司スリム」という単語に吹き出してしまう。破壊力が高すぎる。あとは児童書コーナーのスターウォーズの本がやけにヨーダばかり推してくるとか、ファンタジー色強いけどラノベってこっちにもあるんだなあとか、一時間くらいあっという間にすぎてしまった。
本屋さんを満喫したらおなかがへったので、二階のかどにあるカフェ・アアルトへ。アアルトデザインの椅子に座って、おいしいケーキを食べて、温かい紅茶を飲む。息をはいて、ああ、帰りたくないなあ、と思った。
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